翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第七回(構成・杉江松恋)
小路幸也さんをお招きしての「週末招待席」も残すところあと一回。今回は、小路さんの翻訳ミステリー観をお聞きしてしまいます。日本語で書かれたのではない海外文学を日本語で読むことの意味や、翻訳文体と言われるものに対する気がつかなかった指摘など、今回も読みどころは満載です。
――改まってお聞きしてしまいますが、小路さんは翻訳ミステリーの素晴らしい点とは何だと思われますか?
小路 何よりもまず、〈届かない地の物語〉ということでしょう。日本人ではない人たちが書いたその土地の物語です。そこに描かれたものを日本語で知るということの楽しみは単一民族ならではかもしれません。同じように、違う教義を持った人たちの〈暮らし〉を事細かに知ることができて、自分もその中で生活できるのですから下手な旅行より楽しくてしょうがありません。ミステリーである以上、多かれ少なかれそこに悲劇が描かれるはずです。ときには日本人の感覚では有り得ないような〈血の悲喜劇〉がそこに繰り広げられるのです。映画ではただ眼の前を通り過ぎるだけのドラマが、文字で濃密に描かれて堪能できるのですから、こんなにコストパフォーマンスの高い〈海外ドラマ〉は翻訳ミステリーしかないでしょう。
――文字で描かれる、という点は本当にそう思います。
小路 これはまったくの戯言かもしれませんが、英語、もしくはその他の言語と日本語の表現を比べたときに、日本語の表現方法の多様性は他の言語の追随を許さないのではないでしょうか? 間違った知識かもしれませんが、たとえば『きらきら』が『ぎらぎら』に変化するような擬態語の表現は海外の言語では難しいと松岡正剛さんがおっしゃっているのを聞いたことがあります。だとしたら、素晴らしい翻訳家の方々が訳した翻訳ミステリーは、原書よりも素晴らしい細やかな表現方法で成立した〈日本人が編み出した海外の物語〉なのではないかと。そういう物語を読めるのも、翻訳ミステリーならではでしょうね。
――もし、小路さんが翻訳ミステリーを読んでいなかったら、もしくは好きではなかったら、ご自分の文章表現が変わっていたのではないか、というような部分はありますか?
小路 日本語の文法すらきちんと把握してませんし、翻訳ものにありがちな表現というものの研究もしてませんが、自分の作品をゲラで直しているときに、〈一文で表現できることを分けている〉ことが多いことに気づきます。たとえばですけど、〈彼は僕に向かって手を振ったんだ。〉を〈彼は手を振ったんだ。僕に向かって。〉というように。これは翻訳ものを読んできたせいではないのかなぁと考えたことがあります。うーん、違うかなぁ(笑)。それと、以前に書いた作品で〈僕はそれをまるで生まれたての子猫を抱くように静かに優しくつかみとって、〉という表現を使いました(『そこへ届くのは僕たちの声』)。もちろん自然に出てきたものですけど、これは明らかに何かの翻訳ものの表現だろうなぁと後で苦笑したことがあります。以前に編集者に「小路さんは独特の文章のリズムを持ってます」と言われましたが、もしそうだとしたら、それは翻訳物を読んできたせいじゃないかと思っていますね。
――翻訳文章の豊かさ、ということをおっしゃっておられましたが、これは原書ではなくて日本語訳で読めてよかった、と感じた訳書はありますか? または、訳文のリズムがお好きな翻訳者はいらっしゃいますでしょか?
小路 繰り返しになってしまうかもしれませんが、マイクル・Z・リューインの私立探偵サムスンシリーズですね。何せ英語が判らないのでなんとも言えないですけど、心優しき探偵サムスンの魅力というのは日本語に訳されたからこそ際立っているのではないかと思います。おそらく原書で読む英語のサムスンはもっと乾いている人間ではないかと。日本語で日本人が読むと、そこに独特の湿り気と(冗談ですが)わびさびが加わり、さらに妻に逃げられた不器用なバツイチ男の情けなさも加わると(笑)。むろん、私立探偵である以上、偏屈でタフな男のスタイルを踏襲してはいますが、日本語をしゃべるサムはやはりどこかウエットで、そこがたまらなく好きです。
――微妙にマザコンな感じなんですよね。
小路 翻訳者となると、これもやはりそれほど意識はしていないのですが、大好きな作家を訳していらっしゃる常盤新平さん、田口俊樹さん、柴田元幸さん、石田善彦さんなどの方々は気になりますね。
(つづく)
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。
翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第六回(構成・杉江松恋)
小路幸也さんをお招きしての「週末招待席」第六回。今回はちょっとマニアックな内容です。影響を受けた作家として小路さんはアーウィン・ショー、デイモン・ラニアン、マイクル・Z・リューインの三人を挙げられました。ではその三人について、初心者でもわかりやすく作家の姿勢を教えていただきましょう。質問に対してなんと小路さんは……?
――先ほど名前の挙がったショー、ラニアン、リューインはタイプの違った作家ですが、一種の「節度」のようなものを持った男性を書きます。日本人から観ると「恥じらい」に見えることもある態度で、もしかすると翻訳がすごく難しいニュアンスなのかもしれません。比較のために、それぞれの作者の違いのようなものを表現していただけると嬉しいです。
小路 僕なんかが真面目に彼らを語るのはおこがましいので、こんな風に表現しちゃいますけどショーは山下達郎で、ラニアンは吉田拓郎で、リューインは佐野元春ですね。
――おお、思ってもみなかった比喩です(笑)。ではまず、山下達郎から……。
小路 ショーは〈都会の風〉を身の内に秘めた作家なのではないかと推察します。そして都会人らしくゴージャスにきちんとプロットを立て計算し尽くして描ける。出来上がった作品は、全ての楽器が奏でるメロディがひとつの大きな波になってゆったりと押し寄せてきます。ポップスの王道を行きながらも、その裏側にあるのはまるで交響曲のようです。
小路 ラニアンは都会を描きながらもそこに流れるのは〈ダウンタウンの血〉です。下卑た笑いと泣き笑いをキャンディのようにひとつにくるんでしまって、リズミカルに仕立て上げられるのは、計算ではなく天性のものではないかと。実は誰にも真似できないことをしているのに、誰もが共感できるポピュラリティを持っているのでしょう。粗にして野であるが卑ではないといったところでしょうか(笑)。
リューインは、(サムスンシリーズでは)私立探偵という鎧を身に纏いながらも、その中で脈打っているのは〈叙情性〉だと思います。夕焼けに涙するほど女々しい男なのに、だが私は(私立探偵)だ、と、その涙の理由を声に出して歌わないで、街を歩くリズムにやせ我慢して変換していくのです。時にはスローに、時にはタイトに、詩情溢れるその街を歩くリズムは決して都会の車の音や雑踏の中に紛れ込んでいかないで、高らかにビルの谷間に響くのです。
(つづく)
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。
翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第五回(構成・杉江松恋)
小路幸也さんをお招きしての「週末招待席」も折り返し点を過ぎました。前回は、小路さんのファンなら聞き逃せないキーワードも飛び出しましたね。さて今回は、改めて小路作品の根幹についてお聞きしたいと思います。翻訳ミステリーとの出会いが、作家小路幸也にどのような影響を与えているのか……?
――ハードボイルドという言葉が先ほどから何度か出てきていますが、できたら小路さんのハードボイルド観についても教えていただけますか?
小路 諸先輩方に哄笑されるのを承知で言うと、〈一歩の空間を身に纏った男たち〉の物語だと思います。彼らは自分の身の回り約50センチの空間全てを〈自らの聖域〉としているんですね。そこだけは誰に嘲笑われようと、脅されようと、自分のスタイルを守り通すんです。そしてかかわった人物をその聖域に呼び込むことで、事件を同時に身に纏うんですね。それで、自分のやり方で事件を追う。だからかかわった女性はみんな彼らの聖域に飲み込まれて惚れてしまう(笑)。〈守り通すこと〉〈貫き通すこと〉この二つを同時にできるからこそ、ハードボイルドとして成り立つんです。
――その辺の考え方は、小路さんの作品を貫くテーマになっているのではないでしょうか。明確に意識したハードボイルドというのは、今だからこそ書かれるべきではないかと思いますね。
小路 書かれるべきである、という点については僕もそう思います。おそらくそういう時代がすぐそこまで来ているのではないでしょうか。
――翻訳ミステリーと周辺の作品で、 自作に影響を与えている作品・シリーズについて教えていただけますか?
小路 アーウィン・ショー『夏服を着た女たち』『真夜中の滑降』『ビザンチウムの夜』、デイモン・ラニアン『ブロードウェイ物語』、そしてマイクル・Z・リューイン〈アルバート・サムスンシリーズ〉ですね。僕が描きたい究極の物語は〈お洒落で、猥雑で、澄んだ男らしさの漂う物語〉でしょうか。澄んだ男らしさ、というフレーズは確か『A型の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の帯に書かれていたものです。三氏が物語で描き出した〈自分たちの生き方のスタイル〉を身に纏った男たち、というのが、たぶん僕の理想なのでしょう。それは現代劇でもミステリーでもファンタジーでも変わりなく。影響を与えられてそれが巧く生かされているかどうかはともかく(笑)、僕の中に三氏の描いた男たちの姿がいつもあることは間違いないです。余談で、なおかつたぶんですけど、僕が描く子供たちはいつも何かしらの〈能力〉が与えられます。特にそうしようと意識はしていませんが、まだ自分の〈生き方〉を身に纏えない子供たちを守るためにそういうものを与えて描いているんじゃないかと思います。
――子供たちの能力の件は非常に納得しました。現代はものすごく未熟なまま子供が大人にならなければならなかったり、未熟な大人に対峙しなければならない時代ですから、そのギャップを誰かが守らなければならないということがあるのではないかと思います。小路さんはきっと、その部分が捨ておけない書き手なのでしょうね。時代の枠に作品がはめられてしまうのは作家として心地よくない批評かとも思いますが、「今だからこそ」「書かなければならな い」という思いで書かれていることはおありでしょうか。これは若干翻訳ミステリー談義からはみ出してお聞きしてしまいます。
小路 「書かなければ」などとは思ってはいないのですが、子供時代から読んで聴いて観てきたものが全て身の内に溜まっていってそれが僕を作家にしてくれた。であれば、それを自分なりの形で表現して残し、自分が時代から受け継いだものを、次代に伝えるべきだろうとは考えています。それは表現する手段を手に入れた幸運な人間の使命だと思っています。ではその身の内に溜まったものは何か、と、問われれば、判りやすく言ってしまえば〈愛と正義と友情〉でしょうね(笑)。愛は〈LOVE〉で、正義とは〈真っ当に生きる〉ことであり、友情は〈血を越えた繋がり〉でしょう。たぶん、今までの僕の作品は全部このキーワードでくくれるのではないかと。まぁ単純バカなんでしょうね(笑)。
――そんな(笑)。
(つづく)
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。
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翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第四回(構成・杉江松恋)
小路幸也さんをお招きしての「週末招待席」第四回。前回はクイーン談義から意外なところに話が発展しましたが、今回も小路さんの作品世界についてお聞きするところから始めたいと思います。さらに小路さんの読書体験について、もう少し根掘り葉掘り聞いてしまいましょう。
――ところで、小路さんはアメリカを舞台にした『HEARTBLUE』、『ブロードアレイ・ミュージアム』などの作品をお書きになっておられますが、クイーンから現在に至るまでの間に、アメリカ文化の影響を受けた作品は他にありますか? たとえばアーウィン・ショーであるとか?
小路 はい、アーウィン・ショーです。そしてデイモン・ラニアンです。むろんカポーティやオースターといった人気作家、O・ヘンリーやヘミングウェイといった大御所からも英米文化の薫陶を受けましたが、なんといっても前述の二人です。彼ら二人は比べるとまるで違うテイストの作家ですが、そこに息づいているのは〈生きる喜び〉ではないかと読み取りました。明るい陽光の、もしくは摩天楼の下、きらびやかさと暗い影のコントラストに、やはり憧れと理想を見ます。
――そうか、『ブロードアレイ・ミュージアム』はラニアンですよね。
小路 そうなんです。本当はもっとストレートにしたかったんですが、やはりちょっと日和っていつもの僕のテイストを盛り込んでしまいました。
――読書体験ということですと、クイーンのあとにはどんなミステリー作家を読まれたのですか?
小路 これも愛読した作家を思いだすままに羅列しますと、アガサ・クリスティー、レックス・スタウト、ミッキー・スピレイン、チャンドラー、エド・マクベイン、ディック・フランシス、マイクル・Z・リューイン、W.L.デアンドリア、マーシャ・グライムズ、デイヴィッド・ハンドラー、イアン・ランキン……うーん、キリがないのでこの辺で(笑)。御三家といわれる大御所はもちろんですが、高校生になって矢作俊彦さんにやられてしまいまして、そこからハードボイルドの系譜に向かっていきました。
――おお素晴らしいチョイスです。それぞれの作家についてお好きな作品を教えていただく、というのはちょっと面倒くさい質問になってしまうでしょうか。
小路 クリスティーでは『謎のクイン氏』が何といっても大好きです。死者の代弁者たる探偵(?)ハーリ・クインの不可思議さは、ひょっとしたら僕の作品のテイストの源泉かもしれません。実は僕、ハンドルネームが〈RE-QUIN〉なんです。これはエラリイ・クイーンとハーリ・クインの掛け合わせでして。スタウト、スピレイン、チャンドラー、マクベイン、フランシスに関してはもうごくごく当たり前のラインナップですね。リューインはサムスンのシリーズで、中でも『沈黙のセールスマン』がいちばん好きかな。W・L・デアンドリアはやはり『ホッグ連続殺人』です。それなりに翻訳ミステリーを読んでいたはずなのに、コロッと騙されました。グライムズはどれかなぁ『「化かされた古狐亭」の憂鬱』かな。ハンドラーは『猫と針金』、ランキンは『黒と青』かなぁ。シリーズ物は全部好きですけどね。他にもジョージ・P・ペレケーノス、サム・リーブス、S・J・ローザン、ドン・ウィンズロウ、フェイ・ケラーマンとシリーズを愛読している作家を挙げるとキリないですねー(笑)。
――これは困らせてしまう質問かもしれませんが、いちばん好きな翻訳ミステリーを教えていただけますか?
小路 困るなぁ(笑)。うーん。クイーンは別格として、マイクル・Z・リューインかなあ。あ、でも、ある時期に読んで自分を奮い立たせてくれたいちばん思い出深い翻訳ミステリーは? という意味で、バリー・リード『評決』にします。大学も辞めてミュージシャンを目指してもうまく行かなくて、ものすごく悩んでいた若い時期に読んで、本当に勇気づけられました。ここで沈んでいってたまるか、という思いを湧き立たせてくれた本です。ぶっちゃけてしまえば〈正義は勝つ〉という捻りも何もない〈法廷もの〉なんですけど、主人公の情けなさと、でもその胸の奥に眠る正義感と、彼を取り巻く人間模様がとても好きになりました。ここだけの話ですけど、この物語に出てくるある〈いいフレーズ〉が気に入って、自著の中で何度か使ってます。
――『評決』ですか! これもいい小説だと思います。いいフレーズというのが、気になるなあ。こっそり、どの言葉だか教えていただけますか?
小路 手元に今本がないのですが、「〈気に入った〉という感情は全てに優先される」というような感じのフレーズです。野卑で墜ちた主人公の弁護士を、教会の大立者がそう言って信用し、庇うのです。ある意味、実にハードボイルドな言葉ですよね。確か、三冊ぐらい、バリエーションで使っているはずです(笑)。
(つづく)
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小路幸也 しょうじ・ゆきや
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翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第三回(構成・杉江松恋)
小路幸也さんをお招きしての「週末招待席第三回」。前回小路さんが挙げられた〈エラリイ・クイーンベスト5〉は、1『ダブル・ダブル』、2『九尾の猫』、3『十日間の不思議』、4『シャム双生児の秘密』、5『真鍮の家』でした。今回は、それぞれの作品を好きな理由についてお聞きするところから始めましょう。
――おお、スタンダードのように見えてひねりのあるリストですね。『ダブル・ダブル』以外の四作についても、一言ずつコメントを頂戴してよろしいでしょうか。
小路 では、どれも中学のときの初読の際に持った印象ということで。『九尾の猫』は「映画のようじゃないか!」とものすごく印象に残りました。映像的な作品ですかね。クイーンもこんなのを書くのか、と驚いたのを覚えています。それこそまるでアメリカのTVドラマを観たような場面が次々に繰り広げられるのにワクワクしました。
――ミステリー研究家の小山正さんに教えていただいたのですが、『刑事コロンボ』のリンク&レビンソンが、TVドラマにしているそうですね。
小路 そうなんですか。『十日間の不思議』は、キリスト教というものが英語圏の創作家にこんなにも深く根づいているのか、と思い知ったという意味合いで。ある種のカルチャーショックを感じた作品です。日本的な因習とか仏教神道にまつわる因果風習などが薄い北海道にいたせいもあり、そういうものがピンとこなかったのですがキリスト教のそれはまるでパズルのようだなと。きっとミステリーに向いた宗教なんじゃないかと思いましたね(笑)。
――禁止事項でがんじがらめにされる宗教ですからね。
小路 『シャム双生児の秘密』は今で言えばタイムリミットサスペンスモダンホラーですよね(笑)。おそらくクイーンもその辺りを狙っているのでしょうけど、推理とそこを融合させる手際に唸りました。『真鍮の家』は、数少ないクイーン警視の物語。実はそれほど再読していないのですが、妙に好きです(笑)。なんだろう、きっとクイーン警視がエラリイを思う眼差しが僕は好きなのじゃないかと思います。そうか、まったく意識してませんでしたがこれはエラリイの〈新しい家族〉の物語ですよね。頑固な父親に快活で元気な(新しい)母親、そして父を敬愛する並外れた頭脳を持つ息子。むー、僕は昔からそういうものに目を向けていたのかもしれませんね。自分でも新しい発見です。
――ちなみに、クイーンがお好きな理由は、さっきおっしゃられたような「古き良きアメリカ」性だけでしょうか? クイーンという探偵の持つヤンキーらしさ、いかにも北部アメリカ人らしいところも、お好きなポイントかと思うのですが。
小路 おっしゃる通りです。いかにもアメリカ人! というところが魅力的でした。そしてテレビや映画で知っているのにもかかわらず、〈アメリカ人〉というものは身近にいない〈架空の存在〉でしかなかったんですよね(少なくとも僕が小さいころの大半の日本人は)。そこもポイントだと思います。〈名探偵〉とは架空の存在でしかない。しかし扱う事件は現実に即したものである。この〈架空と現実〉のバランスが見事に調和するのは、僕の中では 〈見知らぬ、かつ時代も違う外国〉でしかないんですね。
――バランスをとるのが難しいと。
小路 はい。そういう意味で、日本の名探偵は(僕の中では)もはや明治・大 正・昭和前期の中にしか存在できないんです。その時代の日本はもう〈ファンタジー〉の世界ですから。
――なるほど。
小路 颯爽として超然として、かつ、悩み苦しむことが〈絵になる〉ことこそが、クイーンのクイーン足る所以だと思います。
――なるほど。日本の名探偵はファンタジーの領域に入った世界でのみ存在しうるという理解は、実際に小説というツールを使って架空現実を物語化されている小説家ゆえの、誠実な言葉だと思いました。小路さんの作品の『東京バンドワゴン』連作が成立しているのは、あえて名探偵という中心的存在をおかず、集団劇になっているからなのでしょうか。かつて『ホームタウン』で書かれた、百貨店チェーンの中でトラブルシューター的な活動をする主人公も私立探偵の延長線上にいるキャラクターだと思いますが、正統派の探偵キャラクターを主人公にした作品を書かれるのは、小説家として相当な覚悟がいることなのでしょうか。
小路 『東亰バンドワゴン』は〈ホームドラマ〉という領域のファンタジーですからね。当初は意識して探偵役を〈紺〉という孫にさせようと思ったのですが(1作目の第一話はまさにそういう形です)、あっという間に家族の波に飲み込まれました(笑)。ただそれ以降も基本的に思考で謎を解く作業をするのは〈紺〉なのですよ。でも、結局は並外れたいいかげんさを持つ父親の〈我南人〉にかっさわれていくというパターンを決めました。〈我南人〉にしてみても中心人物の〈勘一〉の息子ですから、こじつければクイーン父子の三段活用になっています。
――ああ、そうか。リチャード=エラリイ関係の発展形だ。
小路 『ホームタウン』の〈百貨店の探偵〉というポイントは、クイーンの『フランス白粉の秘密』でフレンチ百貨店専属の探偵がいたところから始まっています。おそらくは〈警備員〉という意味合いでしょうけど、あの作品では〈探偵〉と訳されていますよね。
――それは気付かなかった!
小路 杉江さんがおっしゃる通り、正統派の探偵を書くには、僕にとっては覚悟と勇気がいります。……と、今は思います。残念ながら、結果として『ホームタウン』は理想の〈探偵物語〉からは一歩外れて斜めの方向へ物語をシフトしてしまいました。まだデビュー仕立てで(まったく売れず(笑))闇雲に突き進んだ結果ある意味では自分の納めやすいところへ落ち着いてしまいました。今は、覚悟を決めて勇気を持って、いつか〈正統派の探偵の物語〉を書く所存です。
――書いてください! 期待しています。
小路 それがいつになるかは、現時点ではお約束できませんが(笑)。
――ずっと待っていますとも!
(つづく)
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小路幸也 しょうじ・ゆきや
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- 作者: エラリイ・クイーン,青田勝
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- 作者: エラリイ・クイーン,青田勝
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シャム双生児の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 3-17)
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翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第二回(構成・杉江松恋)
小路幸也さんをお招きしての「週末招待席」第二回。第一回では、ジュヴナイル版エラリイ・クイーンとの出会いについて語っていただきました。デューセンバーグでしたか。あれはかっこいいですよね。第二回は、大人向けミステリーとの出会いについて。最初に読んだ作品は、意外といえば意外なタイトルだったそうです。
――文庫版『エジプト十字架の秘密』は中学生のころに読まれたということでしたが、大人向けのミステリーを最初に読まれたのはいつごろだったのですか?
小路 やはりエラリイ・クイーンでした。実は中一から音楽に夢中になってしまい、フォークギターを抱えて毎晩がなりたてる中学生でした。なので、小学校卒業以来読書から離れてしまったのですが、ある日本屋さんで青い背表紙が並ぶ棚に迷い込んだのですね。ふと見ると〈エラリイ・クイーン〉とある。「お、これは」と、急にミステリー好きの血が沸き立ってきました。
――なるほど。クイーンの力は偉大だ(笑)。最初に手にしたのはナンバリングが1の『災厄の町』あたりでしたか?
小路 それが、どうせなら読んだ記憶のないものを、と。手にしたのは何故か『最後の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でした。
――それはクイーンマニアでもかなり後の方で読む作品ですよ! どうしてまた?
小路 たぶん、薄くて値段が安かったからだと思います(笑)。それがエラリイ・クイーンとの一年ぶりの再会でした。小学生のころには、国名シリーズしか読んでいなかったのです。『エジプト』『オランダ』『ギリシャ』辺りだったと記憶しています。それが、『最後の女』ではいきなりドジったエラリイが旧友の招きでライツヴィルという田舎町に静養に行く、という静かなノスタルジック溢れる展開で、「こんなのもあるんだ」と。
――おお、ライツヴィル! クイーンが中期以降に創造した、お気に入りの舞台ですね。
小路 残念ながら『最後の女』の感想は「ふーん、なるほど」で終わってしまうようなものでしたが(笑)、〈ライツヴィル〉という架空の田舎町が妙に心に残りました。それもたぶん、それまでに見聞きした〈古き良きアメリカ〉というものが、どこか僕の琴線に触れたのでしょうね。それから夢中になって〈ライツヴィル・シリーズ〉を読みあさりはじめたのです。ひょっとしたら、僕の作品が〈ノスタルジックな感じ〉と評されるところは案外この辺に根っこがあるのかもしれません。意図的ではまったくないのですが。
――〈ライツヴィル〉が根っこにあるというお話、まさしく我が意を得たりという気がします。デビュー作『空を見上げる古い歌を口ずさむ』の舞台となるパルプ町は、小路さんにとって、ところと形を変えたライツヴィルだったのでしょうか。
小路 たぶん、そうだと思います。そのうちに違う形で、それこそ純然たる探偵ものみたいな形で〈パルプ町〉を描きたいなぁとも思ってます。
――せっかくですのでお聞きしたいのですが、いちばんお好きな〈ライツヴィル〉ものはなにか教えていただけますか?
小路 うーん。悩みますけど、『ダブル・ダブル』かなぁと。たぶん、あの物語の構成が好きなのですね。こうだと思ってたけど実は! みたいな。
――私も実は〈ライツヴィル〉派で、クイーン・ベスト5を選ぶなら『フォックス家の殺人』か『十日間の不思議』は必ず入ります。あとは、後期の作品で『緋文字』のようなワンアイデアの作品も好きですね。小路さんのクイーンベスト5は何でしょうか?
小路 これもまた悩む質問だなあ(笑)。順位はあくまでも今の気持ちということでよかったら、1『ダブル・ダブル』、2『十日間の不思議』、3『最後の一撃』、4『災厄の町』、5『フランス白粉の秘密』かな……。いやーでも困るな。『途中の家』や『真鍮の家』『シャム双生児の秘密』も『九尾の猫』『チャイナオレンジの秘密』も好きなんだよなぁ……。ううーん。じゃあ、バラエティに富んだリストってことで、1『ダブル・ダブル』、2『九尾の猫』、3『十日間の不思議』、4『シャム双生児の秘密』、5『真鍮の家』。これでどうだ!(笑)
(つづく)
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。公式サイトURLはhttp://www.solas-solaz.org/sakka-run/
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翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第一回(構成・杉江松恋)
今月から「翻訳ミステリー大賞シンジケート」では、「週末招待席」と題して翻訳ミステリー愛好者をお招きし、読書歴や偏愛する作品などについて語っていただきます。土・日曜日にインタビュー記事を掲載していくので、これまで週末にアクセスしていなかった方もチェックをお忘れなく。
記念すべき第一回は、小説家の小路幸也さんをお招きしました。〈東京バンドワゴン・シリーズ〉などの洒脱な作風で知られる小路さんですが、〈翻訳ミステリーの子供〉と言ってもいいくらに、子供のころから多数の翻訳ミステリーを読み、影響を受けてきたといいます。このサイトの読者には、小路さんの読書歴に思わず共感してしまう人も多いはずです。
――お忙しいところ時間をとっていただき、ありがとうございます。今日は小路さんに、翻訳ミステリーへのエールを頂戴できないかと思っています。
小路 お力になれるかどうかわからないですが、なんでもお話させていただきます。
――小路さんに以前インタビューさせていただいた際、翻訳ミステリーの読書体験をお聞きしたのが印象的だったのです。まさに〈翻訳ミステリーの子供〉ですよね。最初に読まれた作品は覚えていらっしゃいますか? どんなきっかけで手を出されたのでしょう。
小路 最初に読んだのは、小学校四年生ぐらいでした。学校の図書室にあったエラリイ・クイーン『エジプト十字架の秘密』です。今となってはどこの出版社でどなたの翻訳だったのかもわからないのですけど、ジュヴナイルとして抄訳されたものだったと思います。
――たぶん、あかね書房の〈推理・探偵傑作シリーズ〉でしょうか。『靴に棲む老婆』と一緒に収録されている本ですよね。ミステリーを読むのはそれが初めてでしたか?
小路 前段階として江戸川乱歩の〈少年探偵シリーズ〉(ポプラ社)に魅了されて、図書室にあったものを全部読んでしまっていたんです。「他にこんなような物語はないのか?」と探し回っていて、手に取ったのがエラリイ・クイーンでした。今でも記憶していますが、その棚には他にアガサ・クリスティーやレスリィ・チャータリスが並んでいました。
――チャータリス! 懐かしい名前です。おそらく偕成社の世界探偵名作シリーズ『あかつきの怪人』か、あかね書房の推理・探偵傑作シリーズ『怪紳士暗黒街を行く』あたりではないかと思うのですが、実際にお読みになりましたか?
小路 読みましたとも。あの(怪盗セイントが残していくカードの)天使の輪っかの絵と、活躍ぶりがものすごく印象に残りました。悪党には悪党のやり方で、という怪盗セイントことサイモン・テンプラーの行動美学が大好きになって、たぶんそれが「必殺シリーズ」フリークへと進ませたのだと思います(笑)。
――あ、小路さん、必殺フリークでしたか。私もです。
小路 お仲間ですね。たしか、チャータリスを読んだ小学五年生の頃、『必殺仕掛人』の放送が始まったんですよ。その後、チャータリスは長い間記憶の中にしかなかったのですが、社会人になってから早川書房のポケミスで『聖者ニューヨークに現れる』を発見して「おおこれはあの怪盗セイントだ!」と小躍りしましたね。
――骨がらみのマニアですね(笑)。小学生のそのころ、数ある作品の中から『エジプト』を最初に手にしたのはどうしてだったのですか?
小路 たぶん〈エジプト〉というわかりやすいキーワードだったからではないかと。とにかく、読み始めから夢中になったのを覚えています。いきなり飛び出すはりつけにされた首ナシ死体、しかもクリスマス、颯爽と登場する名探偵。(挿絵の)スマートな明智小五郎にすっかりやられていた僕には、エラリイは(外見的に)似たようなタイプの名探偵でまずそのカッコ良さに惚れてしまったんですね。さらに、正直なところそれほど(小林少年の影に隠れて)目立たない明智小五郎と違って、エラリイ・クイーンはもうのっけから喋るわ動くわ(笑)。『エジプト十字架の秘密』は国名シリーズの中でも、実にアグレッシブな国際サスペンスと言っていいほど動きが派手ですよね。そこも、子供心に魅かれた理由ではないかと思います。余談ですが、『エジプト十字架の秘密』を読み終わった僕はエラリイの愛車〈デューセンバーグ〉のプラモデルはないものかと、おもちゃ屋さんを探し回りました。
――第一印象が抜群に良かったわけですね。ちなみに『エジプト十字架』は、大人版で再読されましたか?
小路 はい。中学生になってハヤカワミステリ文庫『エジプト十字架の秘密』をお小遣いで買って読みました。タイトルですぐに「あぁこれは昔読んだやつだ」とすぐにわかりましたが、とにかくその〈濃度〉に驚いたことを覚えています。大げさに言えば「これが大人になるということか!」と(笑)。とにかくただ探偵があちこち飛び回って解決したという印象しか残っていなかった物語が、思索と探求に裏打ちされていたものだったことに気づかされて、たぶん、ようやく〈推理小説〉とはこういうものかと眼を開かされたのだと思います。読み進めながら「いや待てこれは覚えておかなきゃならないことか?」とか「これは、事実なのか?」などと一時も油断できないものなのだなと。読み終わったときに身体がこわばっていたのも印象深いです。読了後に深いため息を満足げについたのも、このときからだったと思います。
――小路少年が小説に影響を受けてデューセンバーグのプラモデルを捜したというお話、微笑ましいですね。もしかするとその辺から、小路さんの中でアメリカ文化に対する憧れみたいなものが芽生えていたのではないでしょうか。
小路 僕の子供のころはアメリカやイギリスのテレビドラマの全盛期だったんですよ。人形劇の「キャプテンスカーレット」「ジョー90」「サンダーバード」、ドラマでは「0011ナポレオンソロ」「逃亡者」「幽霊探偵ポップカーク」「それ行けスマート」などなどなど。とにかくアメリカやイギリス(小学生のころはその違いに気づきませんが)は憧れの国でした。なので、エラリイ・クイーンをはじめとする翻訳ミステリに対してなんの違和感も警戒心もなかったんです。外国人の長いカタカナ名前も風習(すぐキスしたり(笑))も、ごく自然に感じていましたし、〈カッコいい〉ものだったんですよ。
――わかります。ある世代までは舶来の作品に、そういう親近感を持っていたと思うんです。
(つづく)
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。公式サイトURLはhttp://www.solas-solaz.org/sakka-run/
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