翻訳ミステリーの子供・小路幸也さんの巻 第一回(構成・杉江松恋)

 今月から「翻訳ミステリー大賞シンジケート」では、「週末招待席」と題して翻訳ミステリー愛好者をお招きし、読書歴や偏愛する作品などについて語っていただきます。土・日曜日にインタビュー記事を掲載していくので、これまで週末にアクセスしていなかった方もチェックをお忘れなく。
 記念すべき第一回は、小説家の小路幸也さんをお招きしました。〈東京バンドワゴン・シリーズ〉などの洒脱な作風で知られる小路さんですが、〈翻訳ミステリーの子供〉と言ってもいいくらに、子供のころから多数の翻訳ミステリーを読み、影響を受けてきたといいます。このサイトの読者には、小路さんの読書歴に思わず共感してしまう人も多いはずです。

――お忙しいところ時間をとっていただき、ありがとうございます。今日は小路さんに、翻訳ミステリーへのエールを頂戴できないかと思っています。


小路 お力になれるかどうかわからないですが、なんでもお話させていただきます。


――小路さんに以前インタビューさせていただいた際、翻訳ミステリーの読書体験をお聞きしたのが印象的だったのです。まさに〈翻訳ミステリーの子供〉ですよね。最初に読まれた作品は覚えていらっしゃいますか? どんなきっかけで手を出されたのでしょう。


小路 最初に読んだのは、小学校四年生ぐらいでした。学校の図書室にあったエラリイ・クイーン『エジプト十字架の秘密』です。今となってはどこの出版社でどなたの翻訳だったのかもわからないのですけど、ジュヴナイルとして抄訳されたものだったと思います。


――たぶん、あかね書房の〈推理・探偵傑作シリーズ〉でしょうか。『靴に棲む老婆』と一緒に収録されている本ですよね。ミステリーを読むのはそれが初めてでしたか?


小路 前段階として江戸川乱歩の〈少年探偵シリーズ〉(ポプラ社)に魅了されて、図書室にあったものを全部読んでしまっていたんです。「他にこんなような物語はないのか?」と探し回っていて、手に取ったのがエラリイ・クイーンでした。今でも記憶していますが、その棚には他にアガサ・クリスティーやレスリィ・チャータリスが並んでいました。


――チャータリス! 懐かしい名前です。おそらく偕成社の世界探偵名作シリーズ『あかつきの怪人』か、あかね書房の推理・探偵傑作シリーズ『怪紳士暗黒街を行く』あたりではないかと思うのですが、実際にお読みになりましたか?


小路 読みましたとも。あの(怪盗セイントが残していくカードの)天使の輪っかの絵と、活躍ぶりがものすごく印象に残りました。悪党には悪党のやり方で、という怪盗セイントことサイモン・テンプラーの行動美学が大好きになって、たぶんそれが「必殺シリーズ」フリークへと進ませたのだと思います(笑)。


――あ、小路さん、必殺フリークでしたか。私もです。


小路 お仲間ですね。たしか、チャータリスを読んだ小学五年生の頃、『必殺仕掛人』の放送が始まったんですよ。その後、チャータリスは長い間記憶の中にしかなかったのですが、社会人になってから早川書房ポケミス『聖者ニューヨークに現れる』を発見して「おおこれはあの怪盗セイントだ!」と小躍りしましたね。


――骨がらみのマニアですね(笑)。小学生のそのころ、数ある作品の中から『エジプト』を最初に手にしたのはどうしてだったのですか?


小路 たぶん〈エジプト〉というわかりやすいキーワードだったからではないかと。とにかく、読み始めから夢中になったのを覚えています。いきなり飛び出すはりつけにされた首ナシ死体、しかもクリスマス、颯爽と登場する名探偵。(挿絵の)スマートな明智小五郎にすっかりやられていた僕には、エラリイは(外見的に)似たようなタイプの名探偵でまずそのカッコ良さに惚れてしまったんですね。さらに、正直なところそれほど(小林少年の影に隠れて)目立たない明智小五郎と違って、エラリイ・クイーンはもうのっけから喋るわ動くわ(笑)。『エジプト十字架の秘密』は国名シリーズの中でも、実にアグレッシブな国際サスペンスと言っていいほど動きが派手ですよね。そこも、子供心に魅かれた理由ではないかと思います。余談ですが、『エジプト十字架の秘密』を読み終わった僕はエラリイの愛車〈デューセンバーグ〉のプラモデルはないものかと、おもちゃ屋さんを探し回りました。


――第一印象が抜群に良かったわけですね。ちなみに『エジプト十字架』は、大人版で再読されましたか?


小路 はい。中学生になってハヤカワミステリ文庫『エジプト十字架の秘密』をお小遣いで買って読みました。タイトルですぐに「あぁこれは昔読んだやつだ」とすぐにわかりましたが、とにかくその〈濃度〉に驚いたことを覚えています。大げさに言えば「これが大人になるということか!」と(笑)。とにかくただ探偵があちこち飛び回って解決したという印象しか残っていなかった物語が、思索と探求に裏打ちされていたものだったことに気づかされて、たぶん、ようやく〈推理小説〉とはこういうものかと眼を開かされたのだと思います。読み進めながら「いや待てこれは覚えておかなきゃならないことか?」とか「これは、事実なのか?」などと一時も油断できないものなのだなと。読み終わったときに身体がこわばっていたのも印象深いです。読了後に深いため息を満足げについたのも、このときからだったと思います。


――小路少年が小説に影響を受けてデューセンバーグのプラモデルを捜したというお話、微笑ましいですね。もしかするとその辺から、小路さんの中でアメリカ文化に対する憧れみたいなものが芽生えていたのではないでしょうか。


小路 僕の子供のころはアメリカやイギリスのテレビドラマの全盛期だったんですよ。人形劇の「キャプテンスカーレット」「ジョー90」「サンダーバード」、ドラマでは「0011ナポレオンソロ」「逃亡者」「幽霊探偵ポップカーク」「それ行けスマート」などなどなど。とにかくアメリカやイギリス(小学生のころはその違いに気づきませんが)は憧れの国でした。なので、エラリイ・クイーンをはじめとする翻訳ミステリに対してなんの違和感も警戒心もなかったんです。外国人の長いカタカナ名前も風習(すぐキスしたり(笑))も、ごく自然に感じていましたし、〈カッコいい〉ものだったんですよ。


――わかります。ある世代までは舶来の作品に、そういう親近感を持っていたと思うんです。


(つづく)
(プロフィール)
小路幸也 しょうじ・ゆきや
北海道旭川市生れ。札幌市の広告制作会社に14年勤務。退社後執筆活動へ。2003年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で第29回講談社メフィスト賞を受賞し、デビューを果たす。2006年、古書店を経営する大家族が主人公の『東京バンドワゴン』を発表し、ミステリー以外の読者からも注目を集めた。著書多数。北海道江別市在住。公式サイトURLはhttp://www.solas-solaz.org/sakka-run/

エジプト十字架の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-16)

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聖者ニューヨークに現わる (1957年) (世界探偵小説全集)

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