第2回 Empathy for the Devil――『アンダーカバー』(執筆者:今野芙実)
みなさんこんばんは。第二回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく大きな「謎」があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。
前回は日常系SFをご紹介しましたが、今回はより翻訳ミステリー大賞シンジケートらしい作品を。小説でも映画でも多方面から人気が高い「潜入捜査官もの」です。『フェイク』『インファナル・アフェア』『新しき世界』といったシリアスでハードなものから『21ジャンプストリート』(および続編『22ジャンプストリート』)のようなライトなコメディまで、名作多数のこのジャンル。特にシリアスな題材での「潜入」という状態がもたらす足元の不安定、正しい理由があるとしても「フリをする」「欺く」という行為そのものが持つ背徳性といったものに惹かれてならないという方は多いのではないでしょうか。ええ、私もその一人です。
今回ご紹介するのは、その名作群に連なるものであり、同時にこのジャンルを今、この時代にどう語るべきかという意識を強く感じる「ジャンルのアップデート」作。ダニエル・ラグシス監督の『アンダーカバー』です。
■『アンダーカバー』(Imperium)[2016.米]
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あらすじ:放射性物質が大量に行方不明になる事件が発生し、大型テロの可能性が浮上し、若きFBI捜査官ネイト・フォスター(ダニエル・ラドクリフ)は上司からネオナチ武装組織への潜入捜査という任務を与えられる。白人至上主義者たちの扇動者に近づき、テロ計画について調査するのだ。なぜ捜査官の中でも決して「タフ」なほうではない僕が? 戸惑いながらスキンヘッドの一員に加わり、ネオナチグループに入り込むネイト。しかし、なかなか決定的なテロ計画の証拠は見つからず……
決定的な事件になかなか至らない停滞で不穏を醸成する脚本の丁寧さ、巧みな音楽使い、ストーリーの根幹にある価値観の真っ当さ、鈍色のサスペンス性、諸々の美点をひとつひとつ語りたくなる大変現代的なエスピオナージです。『Thinking Like a Terrorist: Insights of a Former FBI Undercover Agent』の著書を持つ元FBI捜査官、マイク・ジャーマンの実際の潜入経験が元になっているとのこと。
Thinking Like a Terrorist: Insights of a Former FBI Undercover Agent
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私はこの著作自体は未読なのですが、このタイトルが根底にあるテーマと深く響きあっていることはご覧になった方ならきっとお分かりになることでしょう。身分秘匿捜査の手法やテロ計画を探ることのスリル以上に、今作の最大の魅力は潜入捜査を通じて「共感すること」への優れた考察が提示される構成にある、と私は感じました。
この映画、言葉がもたらす共感の複層的な表現が見事です。序盤で主人公ネイトが逮捕された青年を尋問するとき、相手の母語で語り掛けることが引き出す真実。そのネイトは逮捕現場ではタフな同僚たちからの疎外感を味わい、部屋でもオフィスでもずっとヘッドホンでクラシック音楽を聴いている内向的な青年で、FBIのチーム内では「共感されない」存在。彼は潜入捜査の中で「(自分も大好きな)ブラームスの話ができて、親切であたたかく、家族を大事にする穏やかな男性」が白人至上主義者であるということに悲しみと混乱を感じ、ヘイトスピーチをシュプレヒコールする「ホワイト・パワー」デモで群衆から向けられる敵意にネオナチグループのメンバーたちが抱く恐怖と緊張にも、彼らの組織内で認められたい感情の強さにも気づく。
自分の倫理からは悪魔の組織にさえ思える団体の一員のフリをするということは、「彼らのように」思考し、「彼らのような」パフォーマンスをし続け、共感させ、仲間になっていくこと。それは彼らが「悪魔ではない」ことを知ることでもある。がゆえに、あまりに厳しいことで、主人公は終始、自分自身の感情と相手の立場で考えることでの「共感」により引き裂かれ続けるのです。か、過酷……
ネオナチのマッチョな世界に身を投じる羽目になった、優秀なプロフェッショナルではあるが内向的で争いを好まない青年、その都度の共感に引き裂かれながら知性と誠実さで自身を本来の自分につなぎとめ続けるネイトを演じたダニエル・ラドクリフが名演を見せています。繰り返し名乗りの練習をする地味なシーンひとつさえ地味にならない、唯一無二の主演力。彼が「見た目より大人だな」と言われながら重用されていくことが頷ける存在感があるからこそ成立するストーリーであるともいえるでしょう。
やがて明らかになっていくのはネイトの潜入先のグループやその上位組織が一枚岩ではないどころかあまりにも脆弱なこと。上下関係を競い合っていて、雑な武装と曖昧な計画で成り立っていること。彼らが「プロ」には程遠い、それゆえのあやうさの塊であること……しかし問題のテロ計画についてなかなか調査が進まない……その状況がじっくり描かれた先にある展開を説明することはもちろん避けておきましょう。
さて、このストーリーから(否応なしにも)想起されるのは、国内外の社会や政治においてこの1年余りではっきりと見えてきてしまった価値観の異なるものの分断と差別的言辞の頭が痛くなるような話の数々です。しかしそんな題材を扱いながらこの映画は最後まで冷笑的にならず、どんなところにも「人間」がいるということから目を離していません。倫理の底が抜けてしまった、いわゆる post-truth の時代と言われる今、ネオナチメンバーのあやうさや扇動者の醜悪さを強調する以上に「ただ、彼らの視点で考えられる」捜査官の「共感と対話」を軸にしてこの題材を描いた態度は作り手が「言葉」と「人間」の危険性と希望の両方をまとめて引き受けた覚悟だと感じました。厳しい上司がネイトと交わすエピローグの対話はその象徴のよう。それがどんな言葉なのかは、ぜひご覧になってお確かめください。
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「サイコパス」と呼ばれる人格障害を巡って宗教団体、犯罪者、被害者、医師、学者といろんな方向から一筋縄でいかない話を取材していくこのノンフィクションはある種のミステリーとして読める1作。ジョン・ロンソンは身分を隠した「潜入」型の取材をしているわけではないのですが、価値観や主義主張、有名無名問わず、とにかくフットワーク軽く「まずはじかに聞きに行く/出来る限りは対話する」を貫いています。まったくストーリーに関連はありませんが、この態度は『アンダーカバー』の誠実さと通底している、かもしれません。
可笑しいのはすぐに答えに飛びつかない、ではなく簡単に共感してしまって答えらしきものに飛びついてはふと我に返って「あ、やっちまった……」を繰り返す語り口。これがなんとも率直でエキサイティング。どこかすっとぼけた調子の「狂気を巡る冒険」の先には、いたって真っ当な「明確ではないことを単純化してしまうことのあやうさ」が見えてきます。
人間はそう簡単に「あっち側」と「こっち側」に切り離せるものじゃない。コトはそう単純じゃない。そんな視点を持った作品に出会ったとき、私は最も現代のフィクションを観る/読む楽しみを感じるのかもしれない……なんてことを考えながら、それでは、今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。
今野芙実(こんの ふみ) |
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webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。 |
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