第17回『おれの中の殺し屋』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁)

第17回:『おれの中の殺し屋』― WARNING! WARNING! これぞ暗黒小説の決定版!



全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁
後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


畠山:杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」。17回目となる今回のお題はジム・トンプスン著『おれの中の殺し屋』。1952年の作品です。

おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)

おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)

テキサスの田舎町に住む保安官助手ルー・フォードは人当たりのよい人畜無害の男。ある日、街はずれで売春をしているジョイスに立ち退きの命令をしに行ったところ、気の強いジョイスは彼に殴りかかった。その時……彼の内側に潜んでいた強烈な殺人衝動が目を覚ます。兄の仇に苦しみを与えるための殺人計画を皮切りに、周到に立ち回りながら犠牲者を増やしていくルーだったが、やがて疑いの目が向けられるようになり事態は急展開していく。


 ジム・トンプスン1920年生まれのアメリカ人。大学卒業後にいくつかの職業を経験した後、作家となりました。スタンリー・キューブリックの映画現金に体を張れ『突撃』に脚本家として参加したり、『鬼警部アイアンサイド』のノベライズを手がけたりもしています。
 気の毒なのは、トンプスンは生前にはあまり(というか全然?)評価されなかったということ。奥様に「死んでから約10年後に有名になるだろう」と言って原稿を保管しておくように頼んだそうです。実際に彼の名が高まったのは死後20年経ってからでしたが。
 日本では一時期著作が入手困難になっていましたが、近年扶桑社さんの頑張りにより、書店で買える作品が増えました。ちなみに扶桑社の担当編集者だったT氏によるトンプスン指南はこちら→「初心者のためのジム・トンプスン入門」


 トンプスンはいつか読まなきゃと思いつつ本棚に寝かせっぱなしになっていました。ようやく取り出す日が来たわけです。まずは『おれの中の殺し屋』と対をなすと言われる『ポップ1280』を読み、うひゃぁぁぁと言葉にならない気持ちを抱えたまま『おれの〜』に突入。
 いやぁ、なんかもうヤラれました。読み終わって数日経ってもボーーっとしてます。なんと言ったらいいのだろう、このダークさは。
 もっとたくさんの人がもっと非道な方法で殺される小説は他にもあるし、もっとどぎつい残酷描写のものだってあります。でも何かが違う。
 いつもなら小説の中での犯罪(たとえ犯罪者に共感を覚えるような場合であっても)と自分自身は別世界にいることを認識しています。でも本を読んでいるうちにルー・フォードという名の「なにか」がすっと入り込んできてあれれ? と思っている間に自分の中にある善悪の境界線が失われていく感覚。


 ルー・フォードの実に饒舌な一人語りは時に真面目で時に軽妙で時にシニカル。その合間に当たり前のように人を殺すことを考え、実行し、大笑いし、その波が過ぎたらもう被害者について考えることもなく、もちろん罪悪感もない。そしてこう言います。
「どいつもこいつも、どうしておれに殺されにくるんだ?」
 ここまでくると、残虐非道な悪魔なのか生殺与奪の全権を握る神なのか、わからなくなってくるじゃありませんか。(ちなみに『ポップ1280』の主人公ニックもこんな含みをもたせたことを言っているのでぜひぜひ併せてチェックをおススメします)


 しかもこの作品が映画になっている! ルーを演じるのはケイシー・アフレック……っておっと、ベン・アフレックの弟か! アゴ割れてないからわかんなかったぞ!
 ついでに、全然知らなかったけどスティーブ・マックィーンの『ゲッタウェイもトンプスンの原作だったのか! 昔観たけど内容忘れたぞ! というわけで大慌てでレンタルショップへ走ったのでした。


 さて、この本を読んだ後で富士山登頂を果たしたはずの加藤さんは人生観のひとつも変わったでしょうかね? あ、言っとくけど主人公の名前にちなんだギャグやろうとしてることは先刻ご承知、寝耳にウォーターなんてのは言わぬがフラワーだよ!



加藤:主人公(ルー・フォード)の名前にちなんだギャグ? え? え? と小一時間悩んだ挙句、降参してメールで教えを乞うたら「ルー大柴だよ」って、分かりづらいわ!


 さて、梅雨も明けいよいよ夏本番ですね! 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
 僕は7月の11日12日で名古屋読書会登山部の面々と富士山に登り、頂上で読書会をしてきました(編集部註:当日のレポートが近々当サイトに掲載される予定なので、お楽しみに)。
 富士山と言えば、今年は深田久弥著『日本百名山刊行50周年にあたるのだそうですね。深田さんはその名著のなかで富士山をこう評しています。

富士山はただ単純で大きい。それを私は「偉大なる通俗」と呼んでいる。あまりにも曲(くせ)がないので、あの俗物め! と小天才たちは口惜しがるが、結局はその偉大な通俗性に甲(かぶと)を脱がざるを得ないのである。

 偉大なる通俗! なんて恰好いいフレーズなのだろう!
 そんなわけで今回取り上げるのは孤高のノワール作家 “ダイムストア(安物雑貨店)のドストエフスキー” ことジム・トンプスンです。


 僕にとって「キラー・インサイド・ミー」を読むのは今回で2度目。最初に読んだのは河出文庫村田勝彦訳『内なる殺人者』でした。
 当時、ジム・トンプスン作品は『内なる殺人者』と『ゲッタウェイ』くらいしか邦訳が手に入らなかったと記憶しております。
 しかし、80年代末のアメリカでの再評価を受け、故・三川基好さんによる翻訳がスタート。2000年に出された『ポップ1280』がこのミス海外編で1位を獲るなど話題となり、三川さんは亡くなる2007年までにジム・トンプスン10作を訳されました。


 そんなわけで、久しぶりにジム・トンプスンを読む機会をいただいたので、せっかくだからと思い、三川基好訳『おれの中の殺し屋』を買い直しました。おお、解説がスティーヴン・キングではないか。
 そして読み始めてすぐに蘇るあの感覚。むむむ、やっぱり凄いぞ、ジム・トンプスン
 もう内容そのものはすっかり忘れておりましたが、最初の数ページで既に「これは只事ではない」「なにもかもが普通のようで普通じゃない」「油断するなよ!」というメッセージが伝わってくる。
 次々と殺人をくり返す主人公の視点で描かれる話でありながら、不快さが無いのが不思議。
 そのうえ、読者を惑わせるような仕掛けも皆無で、ある意味ムチャクチャ信頼できる語り手でさえあるのです。彼は自分が周囲からどう見られているか客観的に知っており、また自分が異常者であることもしっかり自覚しているのですから。


 ふー、一気に語ると魂を吸い取られそうになる。ジム・トンプスンはそんな作家だ。ここは一旦、畠山さんに場を譲って適当に茶を濁してもらうとするか。


 そーいえば、最初に「やっと梅雨明け」と書いたけど、北海道には梅雨はないのでしたね。
さらに、北海道にはGがいないと聞いたことあるけどホントなの?




畠山:お茶を濁す」=いいかげんなその場しのぎでごまかしたり取り繕うこと。
 まいったなぁ、根が真面目だからそういうの苦手なのよねぇ。
 え? G? 昔は北海道は圧倒手的にG党が多かったのよね。年に一回の公式戦の時は道内いたる所で親類縁者の葬式がでっち上げられたものですよ。けど今はファイターズでしょ……って、そういう話じゃなく? あ、あっち!? あっちのG!(熱心な巨人ファンの皆様に平にお詫び申し上げます)いやそれがね、温暖化の影響なのか北海道でも近年少しずつ目撃情報がでてきてるみたいですよ。ホントの話。CMでしか見たことのない“ゴキブリ◯イ◯イ”を実際に使う日がくるんだろうか……。


 なんて感じで、しらじらしくお茶を濁したところで、トンプスンに戻りましょう。
 強引なようですが、ルー・フォードの場のしのぎ方って天才的に巧いんですよ。10年前から考えてて今思いついた(日本語としてどうなのか)ような絶妙さ。残酷な殺人犯であることはわかったうえで「いいねぇ」と思わせる部分です。
 流れのままに複数の女性と関係を持ちながら同時に倫理観も持っている矛盾が平気で成立しているし、殺人や暴力の場面ではかすかなカタルシスのようなものすら感じさせる。
 なぜ私はルー・フォードに嫌悪や怒り、痛ましさを感じないのか。むしろこれはこれで仕方がないんじゃないかと思い始めている自分に気づいて、いやいやここでそんなシンパシー感じてちゃヤバいでしょ、自分……と慌てたり。
 一体なぜこんな風に思うのだろう??


 そんな混沌とした胸の内を整理するのを助けてくれたのが『ポップ1280』に吉野仁さんが書かれた解説。
 この解説、素晴らしいんですよ。至れり尽くせり痒いところに手が届くような解説でいちいち納得したものです。トンプスンはもちろんですが、この吉野さんの解説も必読です。ああ、いけませんよ、「解説だけ立ち読みしようかなー」なんて了見は。まずは本編をちゃ〜んと読まないとこの有難味はわからない。


 映画キラー・インサイド・ミーは原作に忠実に作られていて大満足。ケイシー・アフレックのゆる〜い笑顔がルーという役どころにピッタリはまっています。ヘンドリックス郡検事役が今を時めく『メンタリスト』のサイモン・ベーカーだったので、うっかり事件を解決しちゃうんじゃないかとハラハラしましたけどね(笑)
 数十年ぶりに観た『ゲッタウェイ』も新鮮に楽しみました。主人公は冷静に考えると行き当たりばったりの小悪党なんだけどスティーブ・マックィーンが演じると妙にシブくてカッコイイ。でも昔観たときは“女をバンバン殴るマックィーン”にちょっとショックを受けた思い出があります。原作を知っていれば納得できていたでしょうね。これ、ラストは原作と違うようですので(トンプスン自身が脚本を担当していましたが、マックィーンと意向が合わず交代になったとか)、小説も要チェックです。
 この映画においてトンプスンワールドをよく表現しているのは、主人公を追う強盗仲間とそれに巻き込まれた一般人夫妻のねじれていく関係かもしれませんね。2冊の本を読んだだけでこれくらいの勘が働く程度にはかぶれられるんだから凄いものです、トンプスン。


 それにしても私は富士登山隊に入らなくてよかった(その前に体力と根性がない)。トンプスンを読んだ加藤さんと私が一緒に山登りなんぞしたら、お互い虎視眈々と相手を山頂から蹴り落とすチャンスを狙ったに違いありません。




加藤:やだなあ、僕が畠山さんを山頂から突き落すわけないじゃん。どーせやるなら下山後に「リアル脱出ゲームやろうぜ」とか言って樹海に連れてって置き去りにするよ。そのほうが証拠も残らないし。でも、畠山さんなら野生化して生き残りそうな気もするけど。


 そんな殺伐とした人間関係が思わず露呈してしまった我々ですが、本書『おれのなかの殺し屋』はドロドロした情念が黒く渦巻く救いのない世界、みたいなものを想像して読み始めると随分イメージが違って驚くかも知れません。
 主人公である保安官助手のルー・フォードは誰からも好かれる気のいい男。頭が切れるというわけではないけど、真面目で人当たりが良く、公僕としては申し分ないというのが衆目の一致するところなのです。
 しかし、猟奇犯罪の犯人が「まさかあの人が」という人であるのはよくあること。多かれ少なかれ誰もが人には見せない何かを抱えているものだと思うのです。
 その意味ではこの主人公はそんな人間の一人に過ぎず、きっかけがなければ何もなく平凡な一生を送ったのかも知れないし、やはりいつかはこのような犯罪を犯したのかも知れない。おそらく後者だろうけど。


「ねじれたキューでゲームを始め、あまりにも多くを望んで、あまりにわずかしか得られず、よかれと思って、大きな悪を為す者たち」


 これが彼の考える自分を含むすべての人間たちの在り様なのですから。哲学的? 文学的? いや、やはり偉大なる通俗と僕は呼びたい。


 もう一つ今回の再読で気づいたのは、本書が意外なほどミステリーとして真っ当としていたということ。ただただ、主人公が人を殺しながら破滅に向かう話だと思っていたのだけれど、意外なくらい起伏に富みミステリーとしての構成がしっかりしているのに驚きました。
 その意味では、実は読者を選ばない話なのかも知れません。とはいえ、主人公はシリアル・キラーである以前に、(あまり詳しく描かれることはなかったけど)どうやら特殊な性癖の持ち主のようで、特に女性にとっては不快と思われるところもあるでしょう。
 それでも絶対に読む価値のある一冊だと僕は断じるのであります。



勧進元杉江松恋からひとこと


「最後の一撃」というミステリー用語があります。最後の一行でそれまで浮遊していた部品が収まるところに収まり、小説全体の見え方まで変わってしまうという。
『おれの中の殺し屋』の最後の一行はどんでん返しを企図したものではないでしょうが、それでも小説全体に意味を与えるという点においては極めて重要な働きをしています。その一行があるからこそこの小説は普遍性を持ち、重い哀しみを読者の心に残すのですから。だからこそすべてのミステリーファンに、暴力場面の残虐さを我慢してでも読んでもらいたい、と私は考えます。


 本書を読んで気に入った人は『ポップ1280』と『ゲッタウェイ』を読むべきなのですが、残念ながら後者は絶版で手に入りません。そこでお薦めしたいのは、『残酷な夜』です。『おれの中の殺し屋』以上に表現の冒険があり、特に終盤の展開は眩暈がするほどに前衛的です。小説を書いたことがある人ならば一度はやってみたいと憧れるような、文章による世界変容が行われる作品なのですから。また、あらかじめ壊れてしまった者の悲劇を描いた作品としては同書ほどに胸を打つものも他にないでしょう。


さて、次回はアイラ・レヴィン『死の接吻』ですね。楽しみにしております。



加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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