北上次郎の質問箱・第二回その1(執筆者・北上次郎)
吉野仁さま、書評家のすすめる本を買いにいく読者と
作家のすすめる本を買いにいく読者のどこが違うのですか?
「http://homepage2.nifty.com/yoshinojin/」は愛読しているブログだが、8月21日の発言が気になったので書いておきたい。本の雑誌9月号の翻訳ミステリー特集に対する批判から始まって、書評と読者の関係にまでその言は及んでいる。本の雑誌9月号に対する批判についてはここでは触れないことにする。私はそれに答える立場でもない。私の名前が出てくる箇所があるので、行きがかり上、そこにだけ触れることにしたい。
できれば、「巧言令色 吉野仁」8月21日の項を読んでからこれを読んでいただきたいのだが、それも面倒だという人のために、少し長くなるがその一部を引いておく。
「で、あえて同じような例を挙げると、かの北上次郎さんが理想とする「もっともいい書評」とは、「それを読んだ読者がたちまち書店に走ること」と定義している(はず)。自分の書評を読んだ読者がいますぐその本を買って読みたいと思わせる文章だ、と。たしかに」
「例のつぶれた某お粗末書店店長のごとく、そうして熱のこもった書評家がいまは少ないとお嘆きになる諸兄があちこちいるかもしれない」
「でも、そうした文章に反応する読者って、いったいぜんたい「熱い書評」がなければまったく本屋に行かないの? どこまでも他力本願? それがどうも自分は理解できない。だれかが褒める前に、まずは自ら書店に出向いて探しまわって読んでみようという挑戦者はどこにいる。挑戦というか、本来はそういうリスクを含めての、読書の楽しさだったはず。読んだ本がすべて傑作、なんてのは、むしろつまらない、というか実際にありえない」
「ある程度、小説を読んできたなら、自分自身で傑作を探せよぉ」
乱暴かもしれないが、これが8月21日分の要約である。というか、私がひっかかった箇所である。本の雑誌9月号をお読みになってない方のために少しだけ説明を加えておくと、その翻訳ミステリー特集の中で、飯田橋の書店「深夜プラス1」が閉店になることになり、店長の浅沼茂氏インタビューが載っているのだが、そこで浅沼氏が次のように答えている。
ここは2連発を引いておく。
「一時期、このミスのベスト1がマニアックすぎたでしょう。海外部門の一位に『ポップ1280』『神は銃弾』『飛蝗の農場』と三年続けて選ばれたことがあって、この三年間で離れていった人が相当多い。僕は暗黒の三年間と呼んでいるんだけど」
まず最初にこの発言にコメントをつけておくと、トンプスン『ポップ1280』は未読のような気がするが、『神は銃弾』と『飛蝗の農場』は私が絶賛した作品なので(小説推理の新刊時評で、私はこの二作に◎をつけて絶賛している)、あれがマニアックなのかよと驚く。だから私もこのくだりには異論があるので、吉野仁の批判がわからないでもないことは書いておく。翻訳ミステリーが売れなくなった本当の原因など、誰にもわからないのだ。それが本当に「暗黒の三年間」のせいなのか、少し疑問。続けて引く。
「若手の書評家に北上次郎のように諸手を挙げてほめる人がいないでしょう。覚めた感じがするんですよ。もっと熱く語ってくれなきゃ。人がほめないような本を取り上げたほうが目利きと思われるとか、カッコつけてるんじゃないかなあ。そういう風潮が『飛蝗の農場』の一位に行きついた。売る側の身にもなってほしいよね」
ここでオレの名前は出さないでほしいのだが(オレの名前さえ出てなかったら、知らん顔して本を読んでいたのに!)、吉野仁の批判はこの2連発を受けたものであることがおわかりいただけただろうか。
実は前段と後段は別の問題なのである。それを浅沼氏が一緒に語るから、吉野仁も一緒に批判することになる。なぜ別の問題なのかというと、翻訳ミステリーが売れなくなった原因の真犯人は誰なのか、それはまったくわからないのだが、熱く語る人がいなくなったというようなことは関係がないからだ。
というのは、そもそも書評などそんなに力を持っていない、ということがある。これは三十五年間、書評を書き続けてきた私の実感である。ほんの時たま、タレントでもなく著名人でもない人の書評で本が動くことがあるが、そういうケースの大半は媒体の影響といっていい。朝日に載ったから、テレビで紹介されたから、という媒体の影響であり、その人の書評の力ではない。残念ながらそれが真実である。
にもかかわらず、三十五年間ずっと書評を書いてきたのは、たとえごまめの歯ぎしりであっても、少しは報いたいからだ。ベストセラーを生み出すことは不可能でも、一人でも多くの読者にその本の良さを知ってもらいたいからだ。それで一部でも百部でも売れてくれたら(そのくらいの力はあると信じたい)という思いがあるからにほかならない。
だから、翻訳ミステリーが売れなくなったことと、書評と読者の関係性の問題はわけて考えたい。ここまではいいですか。この先がいよいよ核心だ。
吉野仁は「ある程度、小説を読んできたなら、自分自身で傑作を探せよぉ」と書いているのだが、これは正論である。おっしゃる通りだ。しかし、間違いなくその通りであっても、そういう読者が増えなかったから、こういう事態を招いたのである。問題はどうしたら、そういう読者をふやすことが出来るかだ。それを考えなければ事態の解決につながらない。
吉野仁は8月21日の最初のほうに次のように書いている。
「ひとつには、日本の人気作家がこれまで読んできた傑作海外ミステリを紹介すること、ではないだろうか。(略)好きな日本作家が語っていれば違う。なにより日本のミステリ作家のほとんどは、マニア度の高い読者家でもある。ジャンルを問わず、本をよく読んでいる(ようだ)。そうじゃなくては小説家になれない。
そうした方々に、昔から好きな海外ミステリ(作品・作家)、影響を受けた海外ミステリ(作品・作家)、最近もっとも面白かった海外ミステリ(作品・作家)を挙げてもらい、その小説について詳しく書いていただく。熱く語ってもらう。
それだけで新たな読者獲得の効果は少なくないと思う。まず作家のファンが注目する。手に取る。話題になる」
「好きな作家がほめているのだから、おそらく共通するセンスを持っているのだろう、と。それなら食わず嫌いをせずに海外ミステリを読んでみようという気になる。なにしろ、いくら書評家が傑作と叫んだところで、その作品がものすごく面白いと理解できる(好きな日本作家と同質の面白さは分かる)誰かが実際に読んでくれなければ意味がない。外に広がっていかない。ならば、最初から紹介者は日本作家のほうが手っ取り早い」
これを解決策の一つの案として吉野仁は挙げているのだが、これ、おかしくありませんか。「熱い書評」を読んで本を買いに行く読者に対し、「自分自身で傑作を探せよぉ」と君は言っているのだ。なのに、作家に「熱く語ってもらう」機会を作ることが解決につながるというのは論理的に矛盾していると言わざるを得ない。
「熱い書評」を読んで本を買いに行く読者と、「熱く語る」作家の推薦の弁を聞いて本を買いにいく読者の、どこが違うのですか? これ、論理的には同じですよね。君の論理でいえば、どちらも「自分自身で本を探さない読者」だ。
どちらも、この本が売れない時代に買ってくれる貴重な読者だとは思うのだが(この意味については後述する)、「書評を読んで本を買いにいく読者」は「自分自身で本を探さない読者」だ、という吉野仁の論理に従えば、「作家の推薦する本を買いにいく読者」もまた、「自分自身で本を探さない読者」である。どう考えても同じだろう。
どちらが効果があるか、という話ではない。そういう話であるなら、吉野仁の言うように書評家より作家の推薦のほうが実際的には効果があるに違いない。しかし、そういう話ではない。翻訳ミステリー冬の時代を脱却するためには、自分自身で傑作を探す読者を増やすことであり(これは正論なので私ももちろん賛成する)、そのためにはどうしたらいいか、という話である。
吉野仁も「作家の推薦」が必ずしも抜本的な解決策として考えているわけではないはずだ。あくまでも「解決策の一つ」という意味と推測する。しかしこれが「解決策の一つ」なら、「熱い書評」で本を買いに読者を増やすことも、「解決策の一つ」になるのではないか。論理的には同じ意味であるはずだ。
私がひっかかったのは、「書評を読んで本を買いにいく読者」に対して「自分自身で本を探せよぉ」と言いながら、「作家の推薦で本を買いにいく読者」に対しては、なんというか、期待するというか、本来の読者に育つのではないかというニュアンスがあることである。
いや、いいんですよ。それで本当に読者が増えるなら、「自分自身で本を探す読者」が増えるなら、それが何であってもかまわない。しかし「書評」が少しは読者を増やすように、「作家の推薦」も残念ながら少しだけ読者を増やすだろうけど、両方ともに抜本的な解決策ではない。
では解決策はないのだろうか。実は一つだけある。
しかし長くなりすぎたので、続きは次週だ。
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