ミステリーとホラーの狭間で・三津田信三さんの巻 第4回(構成・杉江松恋)

 三津田信三さんをお招きしての「週末招待席」もいよいよ折り返し点。前回は本格ミステリー好きが高じていった読書遍歴についてお聞きしました。今回はさらに踏みこんで、自著とミステリーの関係についてお話をいただきたいと思います。


(承前)

――ここで定番の質問なのですが、三津田さんが作品を書かれる上で影響を受けた作品やシリーズについてお聞きしたいと思います。


三津田 ディクスン・カー横溝正史とお答えすれば、やっぱり……で丸く収まると思うのですが(笑)、実は刀城言耶シリーズに限ってお話をしますと、この二人は(表現は少し間違っていますが)むしろ反面教師でした。


――それは意外ですね。正史とカーでずぶずぶ、と答えていただくと非常に収まりのいいインタビューになったのですが(笑)。これはぜひ訳をお聞きせねば。


三津田 カーは怪奇小説がとにかく好きで、それが自作にも現れています。しかし小説家としての彼は、根っからの本格ミステリ作家だったわけです。なので某長篇と某短篇、それに一部の作品の細かい箇所を除くと、どれほど怪奇色があろうと、カー作品は最後に合理的な結末を必ず迎えます。怪奇と恐怖は、あくまでも装飾にしか過ぎません。


――そういう意味では徹底していますね。


三津田 一方の正史は、戦前に怪奇と幻想と耽美に彩られた作品を書いていましたが(最高傑作は「鬼火」です!)、戦後は長篇本格探偵小説の執筆に邁進します。このとき正史は、明らかに戦前の文体を捨てている。


――逆に、戦後の作品から入った人は由利先生もの以外の戦前の作品を読むと違和感があるでしょうね。


三津田 横溝正史というと、おどろおどろしいイメージが強いですが、その多くは映像作品の印象ですね。戦前に比べると、短篇と長篇の差を考慮しても、戦後の作品はかなりあっさりしています。以前なら絶対ねちっこい描写をしたところを、さらっと流している。なぜなら戦後の正史にとって最大の関心事は、いかに優れた本格物を書くか、それしかなかったからです。


――戦争が終わって自由に探偵小説を書けるという解放感があったのでしょうね。今読み返すと、どの作品からも執筆ができる喜びを感じます。行間に充溢するものがあり、それが作品の奥行きにもつながっているように思います。


三津田 もちろん作品によっては、怪奇幻想を離れたところで、正史特有の物語性が見られるものもあります。でも、それが本格物のプロットに、ちゃんと組み込まれている。正史が何処を目指していたのか、とてもはっきりしていると思います。


――そういう作家だからこそ、自分が書きたいものが求められる作品ではなくなってきていると感じて、長期間にわたり断筆をしたのでしょうね。書き手としてぶれがなかった。その真っ直ぐさを、同じ作家としてどう感じられますか?


三津田 正史は探偵小説が禁止されていた戦中、人形佐七捕物帳シリーズを書いて糊口をしのぎました。作家としては江戸川乱歩よりも遙かに器用だったと思います。それが断筆したわけですから、相当な考えというか、思いがあったのではないでしょうか。自分では長篇本格探偵小説が書けなかった乱歩が、戦後に探偵小説の講演行脚をしたときの心境と、もしかすると近いものがあったかもしれません。


――戦前の正史は海外作品の翻訳も手がけているのですが、そのうちの一つ『二輪馬車の秘密』を読むと、後半部をばっさり切って枚数を節約するなど、実に器用なところを見せています。編集者としての素質もあったんですね。だから、やろうと思えば時勢に合わせた作風に転じることだってできたと思います。それをしなかったんですね。


三津田 僕はホラー作家としてデビューしましたが、ホラーの中にミステリ要素が入っていると言われ、作中には無意識に出てきてしまうなぁ……と、自分でも思っていました。近親憎悪を抱いているはずなのに(笑)。


――血筋は争えないですね(笑)。


三津田 最初に書いた「作家三部作」が大して売れなくて、どうしようかと試行錯誤を重ねた習作を書いているとき、超常的なホラーと合理的なミステリの融合という矛盾する作風に辿り着いた。ホラーは民俗学のテーマを用いて、時代設定は昭和二十年代から三十年代にして――という風に、わりと自然に決まっていきました。


――たどりつくべきところにたどりついたと。


三津田 このとき、真っ先に浮かんだ先人が、ディクスン・カー横溝正史でした。でも、この二人と同じでは意味がない。そもそもホラーとミステリの融合にはならない。それで言葉は悪いのですが、反面教師になっていただいたわけです。


――なるほど。反面教師というのはつまり、その作家を分析して研究するということでもありますから、裏返しの形で尊崇したともいえますね。


三津田 そう受け止めていただければ幸いです。実際に影響を受けた作家では、先に名前が出たクリスチアナ・ブランドでしょうか。作中で事件のディスカッションを行ない、どんでん返しにこだわるところなど、そうかもしれません。


――結末に至る前に、可能性を徹底的につきつめていく過程に本格ミステリーとしての価値を感じます。


三津田 あと刀城言耶の推理がぶれるのは、ホラーとミステリの融合を模索している作風のため、当然というか言わば必然の設定ですね。ただし、コリン・ディクスターのモース警部シリーズに影響を受けているのも確かです。


――刀城言耶とは正反対に近い個性のキャラクターですが、モースと言われると少し納得します。


三津田 モース警部で感心したのは、「考え過ぎる名探偵」を創造したこと。そのため推理が二転三転してしまう。大好きでしたね。唯一の難は、推理過程が一番面白くて、肝心の結末が印象に残らない点でしょうか(笑)。でも、それが気にならないほど途中の経過が面白くて、とても楽しんで読んでいました。


――『キドリントンから消えた娘』の結末なんて、どんでん返しがありすぎてまったく覚えていないです。ときどき迷いますよ。あれ、結論はなんだったんだっけと。


三津田 ホラーのほうですが、デビュー作『忌館 ホラー作家の棲む家』に多大な影響を与えたのが、エリック・マコーマック『パラダイス・モーテル』とピーター・ストラウブ『ゴースト・ストーリー』です。


――お、これは意外なタイトルです。


三津田 内容に類似点は、おそらくないと思います。共通しているのはメタ嗜好だけで。ただ上手く説明できませんが、この二作を読んだとき、『忌館』のような作品を書いてもいいのだ、と安心したと言いますか、背中を押してもらったような気分になりました。


――ミステリーに比べて、ホラーはより実験が許されるジャンルではないかと思うのです。それこそ投げっぱなしの結末であっても構わないし、ストーリーらしきストーリーがなくても小説としては成立する。そういう意味でマコーマックとストラウブに勇気づけられたというのは、よく判る気がします。


三津田 今回のご質問は「自作に影響を与えている作品・シリーズ」ですが、今までに読んだ本と観た映画のすべてが、作家・三津田信三の血となり肉となっているという実感を、数年前の執筆中に感じた覚えがあるんです。そこには、もちろんクズ・ホラーもふくまれますよ(笑)。


(つづく)

忌館 ホラー作家の棲む家 (講談社文庫)

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パラダイス・モーテル (海外文学セレクション)

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ゴースト・ストーリー (上) (ハヤカワ文庫 NV (737))

ゴースト・ストーリー (上) (ハヤカワ文庫 NV (737))

ゴースト・ストーリー (下) (ハヤカワ文庫 NV (738))

ゴースト・ストーリー (下) (ハヤカワ文庫 NV (738))