第3回『麻薬密売人』

 87分署シリーズ第三作『麻薬密売人』です。私のようにハヤカワ・ミステリ文庫で読んでいる場合、通し番号が2から5に飛ぶので要注意。3の『われらがボス』は、長編第26作と大分先、4の『ハートの刺青』は原著刊行年からすると、次回の紹介になります。
 前置きはこのくらいにして、本作『麻薬密売人』のあらすじを早速紹介したいと思います。

 パトロール警官が、その明りに目をとめたのは偶然だった。とある地下室から漏れ出した、僅かな光……。無意識に拳銃を握り締めつつドアを開け放つと、そこには少年の死体があった。首に紐を巻き付けた死体のそばには、無造作に空の注射器が転がる。麻薬がらみの首吊り自殺か? 87分署の面々は早速捜査を開始する。


 文庫あらすじにもある通り、「麻薬と人種問題に大胆かつ鋭いメスを入れた」作品です。特にフィーチャーされているのが麻薬で、麻薬の売買やその摂取、禁断症状に至るまでがかなり細かく描写されています。しかし、その中でも、きっちりとキャラクターを描いていこうとするマクベインの姿勢は、全く揺らいでいません。
 今回の中心人物は、87分署の捜査主任、ピーター・バーンズ警部です。本連載の第一回でも彼の発言を取り上げていますが、この作品の中で描かれているのは、これまでの刑事としてのバーンズではなく、家庭人としてのバーンズです。部下のケツをどやすのが仕事である彼にも、実は奥さんや子供がいたんですね。少し驚きました。普段はしっかり者のはずの奥方が、注文したはずのお肉が届かないの、と分署に電話をかけてくるシーンでは、「まったく、女ってのは始末が悪い。俺には女が分からん」とぼやいたりします。不覚にも少し可愛いと思ってしまいました。
 その彼にかかってきた一本の電話。それが物語を大きく動かして行きます。正体不明の相手は、バーンズの息子ラリーが麻薬中毒者であり、今回の事件にも大きな関わりを持っていることを告げます。バーンズにしてみれば、これは寝耳に水もいいところです。誰にも相談することが出来ず、秘かに事態を確認していくと、その状況は最悪でした。ひょっとして、自分の息子が麻薬の酔いの中で、殺人を犯したのかもしれない。下手をすれば、自分で息子を告発せざるを得ない……とバーンズは苦悩します。


 この作品の肝は、端的に言えば、上記につきます。87分署の刑事たちも捜査を進めててはいるのですが、警部が握っている重要情報が欠けていることもあって、ストーリーの展開がどうしても遅くなる……。読者にとっても、埒が明かないまま長い我慢を強いられることになるでしょう。それはさておくとしても、明らかになる真実が想定の範囲内だったのは残念で、読んでいて脱力してしまいました。バーンズの苦しみがリアルに描かれていてよかっただけに、「そんなオチかよー」という失望は隠せません。

 さて、今回読んでいてようやく気付いたのですが、ここまでマクベインは物語に季節感を積極的に盛り込もうとしているようです。『警官嫌い』では酷暑、『通り魔』では秋の寂しさ、そしてこの『麻薬密売人』ではクリスマスの様子が描かれています。これは、一作につき季節一つとかなんですかね。今後も気にしていきたいところです。
 クリスマスということで、本作のクライマックスでは、87分署に一抹の奇跡と大いなる救済とが訪れます。ベタなんですけど、そこはマクベインの巧さ、きっちり感動させてくれます。ミステリとしては大分残念な感じの結末でしたが、物語としては、その辺が救いなのかなあ、と思いました。

 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

書評七福神の11月度ベスト発表!

 
書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。


いつのころからか、11月にはミステリーがあまり刊行されないという不思議な慣習ができてしまいました。しかし貪欲な読書家は、一休み、中休みなどといわずに良書を探し求めているのです。またもや少々遅くなってしまいましたが、翻訳ミステリー読みたちが自信をもってお薦めする11月のお薦め本をぜひご覧ください。
(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。


千街晶之
『バウドリーノ』ウンベルト・エーコ/堤康徳訳
岩波書店
バウドリーノ(上)バウドリーノ(下)
 貧しい農民の息子から神聖ローマ皇帝の養子になった男の、波瀾万丈を極めた一代記。精細なリサーチに基づく歴史小説と、幻獣やフリークスが出没するファンタジーが結合し、冒険と知略がしのぎを削る戦記小説に、不可能犯罪テーマの本格ミステリが寄り添う。史実と空想の境界線で楽しく遊ぶ術を知り尽くした巨匠エーコだからこそ書けた傑作だ。


霜月蒼
バットマンアーカムアサイラム 完全版』グラント・モリソンデイブ・マッキーン高木亮秋友克也・押野素子訳
小学館集英社プロダクション
バットマン:アーカム・アサイラム 完全版 (ShoPro Books)
 11月は翻訳ミステリの出ない月。てことで狂気の美麗イラストで綴るバットマンの地獄めぐりを。ハードボイルドな『ダークナイト・リターンズ』『イヤーワン』を読んだら、サイコ・ノワールなこれも是非。現代ヒーローを考える上でバットマンは避けて通れません。


村上貴史
『心理検死官ジョー・ベケット』メグ・ガーディナー山田久美子
集英社文庫
心理検死官ジョー・ベケット (集英社文庫)
 サンフランシスコを舞台にしたスリルたっぷりのサスペンス長篇を満喫した。かけっこだったりカーチェイスだったり、動きの激しいシーンで特に作者の筆が冴えている。前半では事件の設定に安直さが感じられたが、後半に至って実はそこにも作者のある思惑があったことが判って感嘆。ディーヴァー絶賛というのも頷ける一冊だ。


吉野仁
『心理検死官ジョー・ベケット』メグ・ガーディナー山田久美子
集英社文庫
心理検死官ジョー・ベケット (集英社文庫)
 謎の有名人怪死事件を追う精神科女医ジョーの奮闘を描いたスリラー。良くいえば冒頭から外連味に満ちており、全体にどこか妙な歪み感が漂っているあたりが面白い。しかし悪くいうとつっこみどころも多い。とくに「勘違い日本文化」の部分がおかしかった。


川出正樹
『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』真野倫平編・訳
水声社
グラン=ギニョル傑作選―ベル・エポックの恐怖演劇
 溢れる狂気、壊される肉体。怪しい男女が織りなすドロドロの愛憎劇は、気まぐれで酷薄な神が振り下ろした大斧に断ち切られたかのごとく、唐突に終わりを迎え、無惨な断面をさらして読む者の眼の前にごろりと横たわる。ベル・エポックのパリに咲いた七つの徒花と六十篇の梗概、詳細な解説と書誌を加えた全猟奇人必読の一冊。


北上次郎
『ゾーイの物語』ジョン・スコルジー内田昌之
ハヤカワ文庫NV
ゾーイの物語 老人と宇宙4 (ハヤカワ文庫SF)
 宇宙活劇の傑作「老人と宇宙」3部作が完結したと思ったら第4部が刊行。これは第3部『最後の星戦』を少女の視点から描くもので、ラストに思わぬ感動が待っている。若い読者にはこちらをおすすめしたいが、還暦過ぎの男性読者には第1部を超おすすめ。特に128ページは必読。   


杉江松恋
『真夜中のギャングたち』バリー・ユアグロー柴田元幸
ヴィレッジブックス
真夜中のギャングたち
 超短篇の名手が、自らが偏愛するヤクザ・ギャング映画の風景を題材にして書いた四十七の短篇たち。いつも通り、ごく短い断章の中に人生がぎゅっと濃縮されているが、ほとんどの登場人物がギャングであるというのが本書のミソ。ギャングの身の上に襲いかかる唐突な死も、ユアグローが書くと奇怪なユーモアに溢れたものになるのです。


 少々、どころではない変則的なラインアップの月になりました。脚本集まで入っていますね。たまにはこういうのもいいのではないでしょうか。年末に向けてこれからまた本が出始める時期です。次回もこのコーナーをお楽しみに。(杉)
 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧

 

バウドリーノ(上)

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バウドリーノ(下)

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ゾーイの物語 老人と宇宙4 (ハヤカワ文庫SF)

ゾーイの物語 老人と宇宙4 (ハヤカワ文庫SF)

グラン=ギニョル傑作選―ベル・エポックの恐怖演劇

グラン=ギニョル傑作選―ベル・エポックの恐怖演劇

真夜中のギャングたち

真夜中のギャングたち