クリストファー・ブルックマイア『殺し屋の厄日』その2(執筆者・杉江松恋)
二つめは、アメリカ製のクライム・コメディの要素だ。特にカール・ハイアセン。突拍子もない奇人が物語の中をうろつきまわり(ヒーローさえも奇人だ)、真っ直ぐに進むべきプロットをねじ曲げていくというやり方は、明らかにハイアセンの影響を受けている。
殺人事件の黒幕であるスティーヴン・ライムは、国家健康保険制度(NHS)を利用して財を成そうとする俗物だ。ハイアセン作品ではフロリダ州の自然を破壊して荒稼ぎする開発業者がしばしば悪玉扱いされるのだが、ライムからはそれと同じような悪臭がする。そして前述の殺し屋ダレン・モートレイク。モートレイクは、ライムの指示によって医師を「自殺に見せかけて」殺害しようとする。その穏やかな手口がどうして鼻に二本指が刺さった死体を製造してしまうような馬鹿げた事態に陥るのか。それはモートレイクが、現代に甦ったネアンデータル人のような、総身に知恵が回りかねた大男だからだ(こんな人間に繊細な犯罪を依頼する方が間違っている)。ハイアセン作品にもこうしたグロテスクな犯罪者がたびたび登場する。印象的なのは『珍獣遊園地』(角川文庫)に出てきた、ステロイドのやりすぎで睾丸がどんぐり大に縮んでしまったマッチョ男、ペドロ・ルツだ。モートレイクしかりルツしかり、規格外の人間からは規格外の発想が出てくるものである。それが事件を複雑怪奇な色に染め上げているのだ。
余談ながら、本書の二百九十一ページでパーラベインが口ずさむ「命知らず」(原題Desperados Under The Eaves)は〈ロック界のサム・ペキンパー〉と称される孤高のミュージシャン、ウォーレン・ジヴォン(一九四七〜二〇〇三)のセカンドアルバム”Warren Zevon”に収録された曲である。乾いた言葉で死の匂いを感じさせる歌詞とストリングによるドラマティックな旋律のミスマッチぶりが美しい。この曲はジヴォンのファンの間で人気が高く、カリフォルニアを題材にとったという点の類似から「裏ホテル・カリフォルニア」と呼ばれることもあるという。ジヴォンは多くの小説家と交流があったことでも知られ、スティーヴン・キングやエイミー・タンらが結成したバンドに協力したり、『ラスベガスをやっつけろ!』(筑摩書房)の作者ハンター・S・トンプソンをアルバム作りに参加させたりといったことをしている。そうした共同作業でもっとも有名なのが、二〇〇二年のアルバム” My Ride's Here”に収録された”The Basket Case”である。この曲を共作したのはカール・ハイアセンで、なんと同年にハイアセンが発表した同題の長篇(未訳)に登場するバンドが演奏するテーマソングということになっているのだ(ハイアセンは一九九五年のアルバム” Mutineer ”にも参加している)。ハイアセンとこれだけ縁が深いことを思うと、ジヴォンの「命知らず」が文中に登場するのもむべなるかな。もちろん歌詞の方も場面にマッチしている。ブルックマイアはこういう遊びを好んでやる人なんですね。
さて、三つ目だ。最後に挙げるのは、スコットランドのお土地柄という要素である。スコットランド出身のミステリー作家といえば、最近ではまずイアン・ランキンの名前が挙がるだろう。ランキンのリーバス警部シリーズは、本書と同じエディンバラが舞台だ。しかしイギリス文学全体を見渡して現代を代表するスコットランド作家を一人挙げるとするなら、やはりアーヴィン・ウェルシュを措いて他にない。エディンバラ出身のウェルシュは、一九九三年の長篇デビュー作『トレインスポッティング』(角川文庫)の成功で一躍スターダムにのしあがった作家である。彼が描くエディンバラは、スコットランドの州都であり、美しいエディンバラ城を頂いた歴史ある都市ではない。その郊外(サバービア)に住み失業保険を貰いながら暮らす貧困層が見たエディンバラなのである。そうした未来のない人々の、諦念と怒りが織り交ざった心境から湧いてくる乾いた笑いを、ウェルシュは作品中で描いた。
『殺し屋の厄日』の舞台となるのもエディンバラだが、主人公パーラベインの出身地はエディンバラを抑えてスコットランド第一の都市となっているグラスゴーである。グラスゴーはエディンバラと同様に歴史のある町だが、現在は工業都市としての性格が強い。またサッカー人気が高いことでも有名で、例のフーリガンが頻繁に暴れ回る場所でもあるのだ。パーラベインはそうした荒くれた土地の出身であることを内心誇っており、彼のたたく軽口にもそれが現われている。本書の文中でも『トレインスポッティング』に言及した箇所があるが、都市の底辺生活者の視点から反抗的に「お上」を見るというありようは、ウェルシュにも共通したものだ。
スコットランドはかのアーサー・コナン・ドイルやジョン・バカンを輩出するなど、ミステリー界への貢献度が大である土地だが、スコットランド出身の作家にはウェルシュやイアン・バンクスなど、癖のある作家が多い。ストレートな警察小説と見せかけて、こっそりロック文化の符丁を作中に織り交ぜるイアン・ランキン(ローリング・ストーンズ・マニア)などもやはり曲者である。こうしたへそ曲がり気質は、英語とゲール語の二つを共用語にいただく二面性や、遡っては十八世紀にスコットランドがイングランドと合邦したことを併合ととって遺恨に思う歴史的背景に求められるだろう。ブルックマイアもスコットの系譜に連なる作家なのであり、作品の邦訳紹介が進めばそうした地域性についても理解が進むはずである。
長くなってしまった。短くまとめて言えば、曲者の主人公が事態を掻き回す、油断のならないストーリー(ちょっとゲロつき)。『殺し屋の厄日』を楽しんでもらえれば幸いです。本書に対しては「タイムズ」紙より「才能ある作家のデビューであることは確信できる」との賛辞が寄せられた。また同紙はブルックマイアの第三作"Not the End of the World"に対し「ユーモアのセンスは五つ星。真の才能がいっぱい詰まっている」と、やはり絶賛しているのである。
クリストファー・ブルックマイアは、本書のあとCountry of the Blind、Boiling a Frog、Be My Enemyと合計四冊のジャック・パーラベインものを書き、合間にノンシリーズ作品を発表している。二〇〇七年八月に刊行が予定されているAttack of the Unsinkable Rubber Ducksは、どうやらパーラベインものになるようだ。また、彼の書誌を見ると、前記のFirst Blood Awardのほか、一九九七年に短篇Bampot Centralが英国推理作家協会(CWA)のShort Story Daggerを(「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」一九九八年六月号に「中央郵便局襲撃」として訳載)、二〇〇〇年にBoiling a Frogが犯罪小説雑誌Sherlock Magazineから贈られるSherlock Award for Best Comic Detectiveを、二〇〇六年にAll Fun and Games Until Somebody Loses an Eyeがコミック・ノヴェルの賞であるBollinger Everyman Wodehouse Prizeを、それぞれ受賞している。近況は、公式サイトなども参考にしてください。ブルックマイアの肖像写真が載っている。スキンヘッドのブルックマイアは、いかにもへそ曲がりな印象である。ちょっとエリック・アイドルにも似ているな。
■クリストファー・ブルックマイア長篇リスト(※はジャック・パーラベインもの)
※Quite Ugly One Morning (1996)『殺し屋の厄日』本書
※Country of the Build (1997)
Not the End of the World (1998)
One Fine Day in the Middle of the Night (1999)『楽園占拠』ヴィレッジブックス
※Boiling a Frog (2000)
A Big Boy Did it and Ran Away (2001)
The Sacred Art of Stealing (2002)
※Be My Enemy (2004)
All Fun and Games Until Somebody Loses an Eye (2005)
A Tale Etched in Blood and Hard Black Pencil (2006)
※Attack of the Unsinkable Rubber Ducks(2007)予定
(付記)ウォーレン・ジヴォンの楽曲については、ジヴォンのファンサイトを管理しているSF作家の上田早夕里さんから貴重なご教示をいただきました。また、川村恭子さんからは資料のご提供をいただきました。改めてお二人のご協力に感謝いたします。
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血まみれスプラッタ、バラバラ死体、セックス殺人などなど。どんな場面を想像しましたか。気の弱い人は、うわぁー、グロいのって苦手なんだ、と本を閉じかけているかもしれない。いや、あなたの想像はすべて外れています。そうではない、現場を彩るのは――
ゲロ。
しかも大量の。
玄関にあったそれは死体の第一発見者である郵便配達夫が、やむにやまれぬ生理現象として撒き散らしたものなのだ(実は別の場所にもゲロがあるが)。彼を責めないでやってもらいたい。死体の方も凄惨なありさまだったのだから。詳しくはここでは触れないが、死体の最も印象的な箇所が「二本の切断された指」が「鼻の穴の残骸に突っこまれた」状態だといえば察していただけるでしょう。吐きたくもなるというものである。もっとも現場を彩る排泄物はそれだけではなかった。これも書くには忍びないのだが「さしずめココア・パウダーを混ぜすぎた巨大なラム入りトリュフ」というような代物が鎮座ましまして来訪者を待ち受けていたのである。こんな現場に乗りこまざるをえなかった捜査陣に、私は同情を禁じえない。
本書はスコットランドが生んだ犯罪小説作家、クリストファー・ブルックマイアが一九九六年に発表したデビュー作、Quite Ugly One Morningの邦訳である。この小説は、年度内に刊行された最も優秀な犯罪小説のデビュー作に対し評論家サークルが授与する、First Blood Awardを受賞している。
クリストファー・ブルックマイアの作品は一九九九年に本国で刊行された『楽園占拠』がすでに邦訳紹介されており、ご記憶の方も多いだろう(本書の登場人物であるヘクター・マグレガー警部も顔を出している)。スコットランド沖に浮かぶ石油掘削のための巨大な浮島がリゾートアイランドに改造され、事業の仕掛人が同窓会パーティを催す。ところがそこに謎の武装集団が襲来し、島を占拠してしまうのである。大雑把に言ってしまえば映画「ダイ・ハード」的状況だ。主人公アラエスタ・マクエードは、武装集団がパーティ会場を制圧したとき幸運にもテーブルクロスの下に隠れ、広間から脱出することに成功する。そして換気シャフトに潜りこみ、ジョン・マクレーン(いわずと知れた『ダイ・ハード』の主人公だ)よろしく現状打破の行動に移るのだが、なんと緊張のあまり「満ち潮のごとき勢い」でゲロを吐き、あっさりテロリストどもに見つかってしまうのだ。
はあ?
ちょっと変わったアクション小説、ぐらいに思って『楽園占拠』を読んでいた私は、この場面でのけぞった。なんだこれは。いや、この場面(三百十六頁)に至るまでも、アリーが映画オタクぶりを発揮して「弾丸致死率」なる理論を得々と開陳してみせたり、襲撃の演習中に誤って仲間をロケット弾で吹き飛ばしてしまったりといった間抜けな展開が延々と繰り広げられていたので、裏表紙にあった「イギリスの若手実力派がはなつアクション巨編」なんて綺麗事はまったく信用しなくなってはいたのだが。しかし、『楽園占拠』の飛び抜けぶりは、こちらの予想をはるかに超えていた。「ちょっと変」どころじゃない。こんな変てこな「アクション小説」は読んだことがない! 当時「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」の新刊レビューに、私はこう書いている。「とにかく一ページに一つ以上は笑えるくだりがあるので、読むのに時間がかかる。アクション小説ではあるのだが、よくよく読んでみると、まっとうな善悪対決の活劇はごく一部。ほとんど仲間割れやら勘違いによるアクションばかり」――さよう「アクション小説ではあるのだが」それ以上に『楽園占拠』は、スラップスティックな笑いが優先されるコメディ小説であったのだ。素敵だ。
そこで『殺人者の厄日』である。主人公は、事件記者ジャック・パーラベインだ。パーラベインは、冒頭で紹介した殺人現場のフラットの上階に「たまたま」住んでいた。その朝、ひどい二日酔いの真っ最中にいた彼は、ゲロの悪臭に気づいて起き出した。自分がどこに小間物屋を広げてしまったのかを探すためだ。うろうろと彷徨っている間に、彼は「パンツとよれよれのTシャツ」という情けない姿で、オートロックの部屋から自分を閉め出してしまう。なぜか死体が転がっていて至るところに排泄物がぶちまけられている階下の部屋の裏窓から自室に侵入しようとしているところを、刑事に発見されるのである。きみ、非常に怪しいぜ、パーラベイン。
パーラベインは腕利きのジャーナリストだ。スコットランドの地方都市グラスゴーでキャリアを積み、ロンドンの大手紙に引き抜かれた。しかしそこで新聞社ぐるみの不正に気づいたパーラベインは、自分を騙した人間たちに強烈なしっぺ返しをくらわせ、大西洋を渡り、はるかアメリカは西海岸のLAで記者活動を再開した。ところがここでも急いで職を離れなければならない事態が出来し、つてをたどって故郷スコットランドの首都であるエディンバラへとやって来たのだった。その矢先の事件遭遇だったわけである。
本書では事件に巻きこまれた形だが、パーラベインにとってはむしろ幸いだっただろう。何しろ彼は筋金入りのGONZO(無頼派)ジャーナリスト、事件取材にあたっては不法侵入やクラッキングなどの犯罪行為に手を染めてもまったく意に介さない、不逞の輩なのである。作者ブルックマイアはあるインタビューでパーラベインをこう評している。「彼は何事もあらかじめ決められた通りには進行させないジャーナリストだ。それが国の法であろうと、重力の法則であろうと」。してみると一階の他人の部屋から二階の自室に戻るなんてことは国法に逆らう(不法侵入)、重力の法則に逆らう(小柄な体格のパーラベインは、「スパイダーマンのように壁をよじ登れる」という)という両方の側面を見事に満たした行為になりますな。一階で殺害されていたのは、とある総合病院に勤務する医師だった。パーラベインはその背景に陰謀のにおいを嗅ぎつけ、医師の離婚した元妻のセーラと、刑事のディエルという二人の美女の手を借りながら、事件を解決していくのである。おっと。言い忘れたが、パーラベインの特長の一つに、美女にもてるというのもあるのだった。
ところで、『楽園占拠』でブルックマイアが示したユーモアのセンスは本書にも如実に現われていることをお約束しておこう。いや、アクションの要素が少ない分、こちらの方が『楽園占拠』よりも笑える仕上がりになっているかもしれない。私が見たところ、ブルックマイアの書く「笑い」は、小説を支える三つの要素と不可分のものである。では、その要素とはいったいどのようなものか。
まず挙げるべきは、イギリス人が好む悪趣味な笑いの要素である。「モンティ・パイソン空飛ぶ大サーカス」を例に出すのがもっとも手っ取り早いだろう。
たとえばパーラベインとコンビを組むセーラは旧姓をスローターという。彼女は医師なので、正式な名乗りがドクター・大量殺人(スローター)になるわけだ。そういう駄洒落や、殺し屋ダレン・モートレイクが大家の犬を殺して戸棚に隠す残酷なギャグは「モンティ・パイソン」のままである(ちなみに大家の老婦人は犬の復讐のため思い切った逆襲をする。ここはぜひ故・グラハム・チャップマンに「女装して」演じてもらいたいところだ)。もちろん本書の至るところに登場するゲロ・エピソードは、モンティ・パイソン映画の最高傑作「人生狂想曲」における「ムッシュ・クレオソート」のコントを想起させる。
しかし、パイソンよりもさらに直接的な影響を与えているのはダグラス・アダムズの『銀河ヒッチハイク・ガイド』(河出文庫)シリーズであるようだ。英国BBCが制作した同作ラジオドラマのサイトThe Hitchhiker’s Guide to the Galaxyを見ると、テリー・ジョーンズやサイモン・ブレットと並んでブルックマイアが登場し、パーラベインが『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場人物するフォード・プリーフェクトに着想を得たキャラクターであることを明かしている。フォード・プリーフェクトは、ベテルギウスから地球にやってきた事件記者なのである。『楽園占拠』を読んだ方は、文中で『銀河ヒッチハイク・ガイド』に言及した箇所があったことに気づかれたはずだ。
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