第23回:中国の児童書ミステリ(執筆者・阿井幸作)

 
 中国の南京にはミステリ専門の書店がありました。2014年にオープンした『館・夜行』という書店は5000冊に及ぶミステリ関係の書籍を置いてあり、定期的に読者の交流会等イベントを行っていたようですが、2016年の5月に業績不振を理由に閉店してしまいました。
 
 これが南京ではなく上海や北京だったら出版社や作家と提携してサイン会とか上手くやれたのかと思いますが、年々高騰する家賃の問題があるのでそれも難しそうです。近年、実体書店(ネットで書籍を販売するネット書店に対して実際にお店を出して本を売っているいわゆる普通の書店の呼び名)の閉店の話が多く取り上げられるところにミステリ専門書店のオープンは本の虫たちを喜ばせるニュースでしたが、たった2年も経たずに閉店してしまうとは……書店も一芸だけでは生き残れないということなのでしょう。
 
 この書店の閉店理由は売上が悪かったからですが、もし単純にミステリ小説の読者が多ければ閉店を免れたのでしょうか。私は最近中国の中高生と知り合う機会がありましたが「中国にミステリ小説なんかありますか?」や「中国ミステリはどれもつまらないです」という厳しい反応ばかりもらって、改めて日本や欧米ミステリと比べて中国ミステリの知名度が如何に低いかという事実を思い知らされました。
 子どものうちからミステリ小説に慣れ親しむことは大事ですが、それよりもまずは中国産のミステリがあるということを知ってもらう必要があります。そして中国にも子ども向けのミステリ小説があるということを私は声を大にして言いたいです。
 そこで今回は腹いせの意味を込めて中国の児童書ミステリを紹介したいと思います。
 
 ちなみに今回は作品のネタバレがあります。また作品の日本語タイトルは全て筆者による仮訳です。
 


 
 克隆神偵孫吾空(クローン探偵孫吾空)シリーズは一冊100ページもない児童書です。2016年6月の時点で4冊の本が出版されていて私はそのうち2冊を読みましたが、1冊目の『幻影追踪』(訳:幻影の追跡)(2016年)はミステリ成分が薄く世界観の説明に多くを費やしていますが、2冊目の『神秘的遺物』(神秘的な遺物)(2016年)は一転して少年探偵の登場、殺人事件の発生までを描いています。
 
 物語は西暦2060年、動物が人間のような生活をしている科学の発達した星で犯罪を取り締まるために斉天大聖孫悟空の毛髪を使って作られたクローンこそ主人公の孫吾空で、高い知能と捜査能力を持つ警察官として活躍することになります。

 どうでもいいですが、この挿絵はもうちょっとなんとかならなかったのでしょうか。
 
『神秘的遺物』では漫画家のカラス貝さんが遺した財産を知らずに託された金魚先生の周りでカラス貝兄妹やウナギさんが暗躍し殺人事件まで発生するというお話で、登場人物を人間に置き換えたら普通のミステリ小説にありそうな展開です。
 しかしトリックは動物キャラクターでなければできないもので、犯人が被害者にプレゼントしたマフラーの正体が実は電気ウナギさんで被害者を感電死させたというトリック、死体の正体が電気ウナギさんかと思いきや容姿がそっくりなウナギさんだったという入れ替えトリックには微笑ましい気持ちにさせられました。
 
 また本作の舞台は中国ではないのですが作品の背景には現代中国の社会事情が描かれています。『幻影追踪』は両親が共働きで家事は全てロボット任せになっている家庭で育ったアライグマの子どもが自分は両親に愛されていないと思い込んで家出をするという話なのですが、そこで留守児童の肯定と言うか両親が家におらず外で働くことが子どもへの愛情表現であるということが書かれ、まるで読者である児童へ向けてメッセージを発しているように見えます。
:親が出稼ぎに行っているため祖父母や親戚に育てられている子どものこと。近年では保護者なしで兄弟4人で生活していた子どもたちが農薬を飲んで自殺する事件や、生まれてから両親と一回も会ったことがないという少女が15歳で妊娠しネットを騒がせた事件、親戚による虐待など多くの問題が可視化されている。)


その他の児童書ミステリについて

 
 本コラムで幾度も取り上げている100年間の中国ミステリをまとめた『百年中国偵探小説精選』のうち9巻と10巻は児童ミステリのみ収録されています。厳霞峰『大偵探鼻特霊』(1995年)(訳:大探偵ビタリン)も動物を擬人化させた小説で、名前にもある通り鼻がよく利く犬の名探偵・鼻特霊が強盗や殺人事件、果ては麻薬密売からハイジャックまで防ぐという八面六臂の活躍をします。少年探偵シリーズでお馴染みの楊老黒『少年大解救』(2009年)(訳:少年大救出)は現実の事件を小説化させた話で、誘拐されてずっと犯罪行為を強いられている子どもたちを楊小白ら少年探偵グループが救い出します。公安に在籍していた作者らしく中国が解決しなければならない社会問題をテーマにしています。
 
そして海外の児童書ミステリで最近中国語版が出たのはスペインの作家 Ana・Campoy『阿加沙少年偵探所』(2016年)(訳:アガサ少年探偵所。原著のタイトルは不明)です。おそらく日本でもまだ翻訳されていない児童書でしょうがアマゾンなどですでに高評価を得ています。

 
 大きな書店の児童書コーナーやアマゾンにはミステリ小説が意外と多く置かれていることに驚かされます。それは江戸川乱歩の少年探偵シリーズであったり、中国産の上述以外の児童書であったり様々ですが、中には子ども騙しでつまらない作品もあるでしょうし、そういう本しか読めなければ「中国ミステリはつまらない」と思い込んでしまうでしょう。ですが例え児童書しか読んでいなくてもその存在を知っていれば「中国にミステリ小説なんかあるのか?」と疑問に思うことはなくなるでしょう。そして子ども時代に目を肥やした中国人の方から中国ミステリをオススメする時代が訪れるかもしれません。




阿井 幸作(あい こうさく)


中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第二集

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現代華文推理系列 第一集
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)
現代華文推理系列 第一集

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現代中国・台湾ミステリビギナーズガイドブック (風狂推理新書)

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ぼくは漫画大王

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世界を売った男

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虚擬街頭漂流記

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第22回:現代に蘇る中国ミステリの祖 程小青と霍桑(執筆者・阿井幸作)

 

 
 今回は帯文に『迷幻』(幻覚的)と『懸疑』(サスペンス)と『推理』(ミステリ)と『民国』(中華民国時代を舞台にしたストーリーのこと)の文字が並び、読書好きもドラマ好きも惹きつける要素が詰まったSFミステリ『愛因斯坦与上海神秘人アインシュタインと上海のミステリアスな人物)(2016年。著者:床蝶庵)を紹介します。
 ただし実際のところミステリ成分は薄いのでジャンルとしてはミステリよりもSFに分類されますが、本書には中国ミステリを語る上では欠かせない人物が登場しますのでこれはここで取り上げなければと思いました。
 
 1922年の秋、アインシュタインの中国訪問を控えた上海で何の関係性もない十数人の人間が自宅の天井に首が同化してぶら下がっているという奇怪な事件が発生する。しかも彼らは首がないというのに死んではおらず体は依然温かいままなのである。だがそんな猟奇的な事件に取り組むことになった警察に更なる非現実的な事件が襲いかかる。彼らの前に事件を解決にしに来たと名乗るミステリアスな人物が現れるのだが、その人物とは上海で大人気のミステリ小説家・霍小青が創作した『遠東のホームズ』の異名を持つ名探偵・程桑その人だった。
 天井にめり込む生きた死体と小説のキャラクターが実体化した現実を目の当たりにした新聞記者の林子文はこれらの事件の真相を暴き大スクープを得ようとするがいつの間にか問題の渦中に巻き込まれる。程桑から自分はアインシュタインに会うために来たと伝えられた林子文は彼の生みの親である霍小青、警察庁庁長の徐国梁とともにアインシュタインの講演に行く。だが一その方でナチスによるアインシュタイン暗殺計画が進行していた。
 
 本書に登場するミステリ小説家・霍小青と名探偵・程桑の名前を見て、中国ミステリをかじったことのある人ならこの二人が『中国ミステリの父』と言われる程小青と彼が生み出した『東方のシャーロック・ホームズ』こと名探偵・霍桑をモチーフにしたキャラクターだということがわかるでしょう。(ワトソン役の包朗に当たるキャラクターは本書には出てきません)
 程小青と霍桑の紹介は本コラム第1回目の『ミステリ教育者 程小青』で既に行いましたのでそれに目を通してもらえたらと思います。
 
 本書に登場するミステリアスな名探偵・程桑は、誰が見てもこいつは本人だと思うほど霍小青の小説に登場する程桑そっくりの風貌と言動をしていて、住所も小説世界と同様の現実には存在しない『愛文路77号』に住んでいると語ります(この住所は元ネタの霍桑と一緒です)。一見すると熱狂的なファンやコスプレイヤーにしか見えない彼ですが存在感や探偵としての優秀な能力に説得力があるため、警察も一般人も彼が小説の中から出てきたという非現実的な事実を受け入れ、彼を小説と同様の名探偵だと信頼している点が面白いです。そして天井に首なし死体がぶら下がっているという一見猟奇的な光景も、死体にはまだ体温があり芳香を発しているという不可思議な現象を描いているので死体を死体だと認識しづらくなり、被害者の正体を深く掘り下げていないこともありますが死体に対する嫌悪感を全く感じさせません。作品世界に超常的な力を徐々に蔓延させて、最終的には林子文たちが不思議な力でドイツ語が話せるようになってアインシュタインと喋れても批判されない空気が形成されています。
 このように本書は史実を基にしているにも関わらず何が起きても不思議ではないと読者に思わせる下地がありますので、天井と一体化している首なし死体がXファイルに出てくるような超常現象が原因であってもSF小説だから問題ありません。
 
 

■民国時代

 最近の中国では民国時代の話が映像化される傾向にあるようです。その風潮を如実に表したのが女性ミステリ小説家・鬼馬星『淑女之家』(2009年)です。2014年にドラマ化されたこの作品は原作では現代中国が舞台だったのにドラマでは何と時代背景を1930年代の中華民国に置き換えられました。とは言え原作も現代である必要性はさほど大きくないように感じます。この改変は時代設定が現代ではドラマを制作できないからという理由ではなく、他のドラマと同様に民国にした方が多くの視聴者を得られると判断されたからでしょう。
(参考:トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く 淑女之家
 
 本書が既に映画化を決定されている理由は民国を舞台にしているので一定の客数が見込めるということとが挙げられます。更にアインシュタインが上海に来たという実際の事件を背景に当時の警察庁庁長の徐国梁や民国四公子の袁寒雲(袁克文)など実在の人物が出てきて民国ファンの心理をくすぐることでしょう。
 

■程小青の復権はなるか

 中国において程小青は『中国ミステリの父』や『東方のコナン・ドイル』などの異名を持っていますが実はあまり有名ではありません。本屋では江戸川乱歩コナン・ドイルの翻訳本は売られているというのに程小青は短編集すら並んでおらず、著書を探すとすれば小説コーナーではなく文献資料コーナーに行くことになります。それは同時代に活躍した『東方のアルセーヌ・ルパン』の生みの親・孫了紅らも同様で、過去に作品集が出たことはありますがそれが常に本屋に置かれていることは少ないです。本書のあるレビューで「程小青という作家が実際にいたんだ」というコメントが付くぐらい知名度が低く、彼の功績を称える『程小青推理小説賞』のような賞もありません。
 海外の古典ミステリにばかり目が向けられ自国の中国ミステリ黎明期を支えた作家たちが顧みられない今の中国ミステリの状況は一読者として悲しいので、本書の映画版がきっかけになり民国時代の中国ミステリの再評価に繋がればと思います。
  


阿井 幸作(あい こうさく)


中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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虚擬街頭漂流記

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第21回:サークルの枠組みを超えた学生団体を描く中国ミステリ『烏鴉社』(執筆者・阿井幸作)

 

 
 今回は新生活が始まる4月にちなんで、変わった大学に入学したために普通の大学生が自分の人生を一変させる事件に巻き込まれてしまう学園青春ものの中国ミステリ小説『烏鴉社』(2015年)を紹介します。ただし決して明るい内容ではありません。
 
 大学に入学したばかりの陳遅は初日に先輩の李志から「うちの大学はパソコンや携帯電話の紛失、暴力事件、果ては殺人事件まで奇妙な事件が起きる」という話を聞く。その言葉通り、新学期が始まって早々陳遅はルームメイト(注:中国の大学生は大体、校内の寮で共同生活をしている。)が寮から飛び降りて死ぬという事件に遭遇する。警察は事件性なしと判断したが、警察と協力して捜査をしている烏鴉社と呼ばれる大学サークルのリーダー・張奇焱はこれを他殺と見る。この事件をきっかけに陳遅は烏鴉社に参加し、犯罪者を背後で操る『猟銃』と呼ばれる黒幕と対峙することになるのだが……
 
 本書で特筆すべきは学生団体でありながら大学の枠を超えて活動する烏鴉社という組織です。ミステリ小説の中で大学のサークル、特にミステリ小説研究会が学内の事件の解決を依頼される、または事件に首を突っ込んでいくという展開はあるでしょうが、この烏鴉社は事件を解決するために設立された探偵事務所のようなサークルです。しかも少人数で奇妙奇天烈な人材ばかりいるような弱小サークルではなく、団員に上級・中級・下級という階級分けがされるぐらいの大所帯であり、更に警察からの信頼も厚いため捜査権も持っていないのに学内のみならず学外であっても臆せずに調査活動をします。
 
 烏鴉社にはリーダーの張奇焱以外に名探偵と呼べる人材もまた個性的な学生もいないので事件を解決するだけならば張奇焱一人いれば十分です。しかし探偵組織を配置することによって人海戦術での捜査が可能になり、また烏鴉社の成果によって張奇焱個人ではなく烏鴉社の構成員全体に対して権威付けができ、例えば学生寮の一斉捜査という超法規的なこともできます。大学での捜査をスムーズに、そして長期的に行う上で自治組織のようなサークルの烏鴉社が生み出されたわけですが、これは作者が完全無欠の名探偵でも助手が不可欠であり大学を舞台にする場合は情報収集のために警察のような大量の人員が不可欠だからというリアリティの上で考え出されたものであるかもしれません。しかし実質は張奇焱一人に頼りきりの団体なので彼が卒業したらどうなるのだろうという不安が作中では描かれます。

 だから主人公の陳遅がこの烏鴉社のリーダーである張奇焱に実力を認められてやがて彼の後継者として育っていく……という話になれば良かったのですがこの本には和気藹々な交流は描かれません。
 
 作者の騰騰馬は中国のミステリ専門誌『歳月推理』と『推理世界』が主催した華文推理グランプリの第1回目で『衆里尋她千百度(2011年)(訳:大勢の人の中から彼女を探し回る。もとは宋代の詩の一節で、中国の検索エンジン百度」の社名の由来でもある。)が三等賞を受賞しています。この話は男子大学生がクリスマスイブに金持ちのボンボンと行方をくらました恋人を探し回るという話で、25の章で構成されていてゲームブックのように各章の終わりに「○○なら2に進む。☓☓なら25に進む」という選択肢がついています。選択肢に従いページを前後にめくっていくうちに恋人が何らかの犯罪事件に巻き込まれていると気付く仕掛けになっているのですが、主人公はあらゆる場所で恥をかいても必死に恋人を探し、ついには恋人のために善か悪かの二者択一に迫られることになります。
 
 騰騰馬は恋愛に対して暗い情念を燃やす学生を書くのが好きなのか、本書の陳遅も愛の為に狂います。烏鴉社に入団した彼は一目惚れした女性が実は張奇焱の彼女であることにショックを受け、次第に張奇焱さえいなければという恨みを募らせて彼の殺害を企てるのです。そしてダークサイドに堕ちた彼はこれまでの事件の裏で暗躍し、犯罪者に完全犯罪の計画を授ける『猟銃』とコンタクトを取り、張奇焱を学園祭の観衆の前で射殺することを決意します。
 
 さて陳遅は張奇焱を継ぐ探偵になるのか、それとも『猟銃』に操られる犯罪者になるのかは本書を読んでもらうとして、ここでは作中で『猟銃』が考え出した完全犯罪のトリックについて触れたいと思います。
『猟銃』は自分の手を汚さず、自分が考えたトリックを無償で他人に提供する知能犯で、彼の言う通りに犯行を実行すれば絶対にばれないという自信を持っています。ですが一話目に登場するトリックは降雨と傘を利用した時間差トリックで読者を驚嘆させる内容ではあるものの、それが完全犯罪として成立するとは到底思えないのです。
 トリックが現実に再現できるのか否かというのはミステリを語る上であまり気にしてはいけないでしょうが、これから殺人を犯すという一世一代の行為を考えている犯人にとって他人から教えてもらったトリックがこのレベルだと果たして納得するのか、そして躊躇わずに実行できるのかと疑問に思いました。特に陳遅に授けられたトリックに至っては、真っ暗闇の中で至近距離から相手を射殺するという極道の鉄砲玉みたいな方法で(注:拳銃は既に用意している。)、これは陳遅をはめる罠ではないかと思ったぐらいです。
 ただ、知能犯が作った欠点だらけに見えるトリックのおかげで、この程度のトリックにすら気が付かず『猟銃』も捕らえられないから学生団体に捜査を協力してもらう不甲斐ない警察にリアリティが増しています。
 
 実は本書は続き物で、陳遅が大学にいられなくなって『第一部完』となり終わります。そろそろ『推理世界』で第二部の連載が始まるらしいのですが、状況が一変した烏鴉社の活動をどのように描くのでしょうか。作品から作者の騰騰馬が本格ミステリを書きたいという意気込みが伝わってくるので、きっと常識の枠に囚われないものを書いてくれるでしょう。
 


阿井 幸作(あい こうさく)


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風に吹かれた死体

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憎悪の鎚

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愚者たちの盛宴

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見えないX

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第20回:京劇を題材にした中国ミステリ『烏盆記』(執筆者・阿井幸作)

 
 先月末に勤めていた会社が当日解散したおかげで北京で無職生活を送っています。今回はそんな状況下で読んだ本の紹介をします。
 

 2015年6月に出版された本書は『烏盆記』という京劇の題目を踏襲したかのような事件が発生して、作者と同名の名探偵・呼延雲ら個性的な登場人物が活躍するという中国ミステリです。
 
『烏盆記』とは北宋時代の殺人事件を被害者の幽霊が訴えて中国の名裁判官・包公が犯人を裁くという京劇で、幽霊が無念を訴えるシーンがあまりにおどろおどろしいため1950年に上演することが禁止されてから、文革が終了した1980年になっても禁じられたままだったと言われています。本書でも冒頭にその京劇の内容を説明しているのでここにそれを簡単に引用します。
 

 北宋時代の安徽省で陶工をしている趙大の家に劉世昌という絹売りが一夜の宿を借りに来る。趙は劉が大量の銀貨を所持していると知ると酒に毒薬を盛り彼を殺し、死体を粉々にして土に混ぜ、あろうことかそれで陶器を作る。それから3年後、草鞋売りの張別古が借金の返済を迫りに趙の家に行くと家は以前とは比べ物にならないほどの豪邸になっていた。しかし趙は借金を返して欲しいなら借用書を見せろと言い、取りつく島もなく、真っ黒い器(烏盆)が借金の代わりだと言って強引に渡して張を追い返す。
 
 その夜、烏盆から劉の幽霊が現れて張に無念を説き自分の仇を晴らすように訴える。そして張は名裁判官の包公のもとに烏盆を持って行き、劉の幽霊に事件の概要を説明させる。劉の話を信じた包公は直ちに趙を捕まえて死刑に処し、張には褒美を与え、劉の幽霊が潜む烏盆を供養した。

 
 日本の六部殺しを思わせる内容ですが、幽霊の訴えを聞き入れてくれるあたり流石は包公といったところです。しかし現代では幽霊の証言などで警察は動いてくれません。現代の『烏盆記』では一体どのようにして犯人を追い詰めるのでしょうか。
 今度は本書のあらすじを書いていきます。
 

 北京の公安処長・林鳳衝の大捕り物に協力した元刑事で記者の馬海偉が現場となった無人の花屋にいるとラジオから京劇の『烏盆記』が突如流れてくる。心霊現象かと恐怖していると、そこで京劇の内容にそっくりの真っ黒い器(烏盆)を見つける。まさかと思い烏盆を割ってみるとなんと成人の臼歯が出てきた。これはきっと自分が警察官時代に捜査を妨害されて解決できなかった違法の窯場の崩落事件による犠牲者の物だと理解した馬海偉は単身現地入りし、今度こそその窯場の所有者である趙大こと趙金龍を捕まえようと決意する。しかし現地には烏盆には過去に趙大に大金を奪われて殺された自分の父親が入っていると訴え趙大への復讐を誓っている翟朗という青年がいた。そして事件の関係者が揃う中、疑惑の大元である趙大は密室で死体となって見つかる。事態は新たな展開を迎え、捜査に参加することになった林鳳衝は名探偵・呼延雲に協力を仰ぐ。

 
 まるで京劇を再現したかのような凶悪事件がきっかけになって新たに密室殺人事件が発生するという展開に惹かれますが、それ以上にこの作品は登場人物が個性豊かで探偵が出てくるフィクションでありながらもところどころにリアリティのある人間心理が描かれている点も評価できます。
 
 例えば地元の警察として現場で指揮を取る晋武は所轄の違う林鳳衝らの干渉を露骨に嫌がるばかりか、実は地元の権力者である趙大と癒着のような関係を結んでいて後ろめたいと思っているとか、事の発端である馬海偉は最後まで重要な事を隠したままで現場を混乱させたり、記者の郭小芬は「探偵は呼延雲一人だけじゃない」と言って彼を差し置いて皆の前で推理を披露したりだとか自分勝手な人間が目立ちます。これは本書がシリーズ物の5作目に当たり、レギュラー勢のキャラクターが過去の作品で確立しているから活き活きしているように感じられるのかもしれません。
 中国ミステリと言えば、事件関係者が皆物分り良くて協力的で、警察官が全員正義感に溢れ真面目というベタな設定に飽いていたのでこういう本を発見できたことは嬉しかったですね。
 
 肝心のトリックですが、趙大が殺されたのは敷地内にある小屋で窓とドアは当然ロックされている密室で、しかも屋外であり地面には砂が敷き詰められているにもかかわらず犯人の足跡はないというものでした。探偵の役割を買って出た郭小芬はこのトリックが糸を使ったカラクリで密室を造ったと解釈し、読者を失望させましたが名探偵・呼延雲はこれに対して「滑車や糸を使ったトリックは私が最も軽蔑するものだ」と言い放ち、読者の気持ちを代弁してくれます。
 
 このように本書は探偵が存在していること以外は現実に即していると思える内容ですが、実はその探偵という存在において、とんでもない設定が隠されています。
 中盤、本筋に関わる事件が起きて呼延雲とは異なる探偵が登場するのですが、その探偵というのが18歳で心理学の博士号を取り、言動に容赦がなく、清王朝の血筋を引く愛新覚羅・凝という天才女子大学生なのです。しかもこの世界にはミステリ研究会が群雄割拠していて、彼女は中国四大ミステリ研究会の一つで学生のみで構成されている『名茗館』の代表者です。更に本書には名前しか出てきませんが構成員から謎を解く手法まで全てが謎に包まれている『課一組』、「相談式推理」という手法でその名を轟かす『溪香舎』、大勢のマジシャンで構成されている『九十九』という研究会も存在します。
 
 微博(マイクロブログ。中国版Twitter )では「キャラクター設定が中二病ぽかった」というコメントを数人のユーザーが残していますが、おそらく愛新覚羅・凝およびミステリ研究会を指しているのだと思います。私も正統派のミステリを読んでいたと思ったらいきなりライトノベルのような設定が出てきて展開に面食らいましたが、中国を探偵が跋扈する国に変えた上で本格ミステリを書いたのは功績だと思います。残念だったのは愛新覚羅・凝が中盤で登場したあとすぐに退場してしまい呼延雲と対峙することがなかったことです。本作はシリーズ物で次回作もあると思われますので、今後はもっと個性的な探偵の登場が期待できます。
 
 本格要素もライトノベル要素もあって、さらに中国の伝統芸能の京劇も学べる(?)おすすめの中国ミステリです。
 


阿井 幸作(あい こうさく)


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現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第二集

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風に吹かれた死体

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憎悪の鎚

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愚者たちの盛宴

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見えないX

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第19回:中国ミステリ紹介 軒弦『四怪館的悲歌』と『斬首城之哀鳴』(執筆者・阿井幸作)

 
 旧暦の新年も明けて中国ミステリにおいては新年一発目となる今回はこれまで優に100編以上の作品を書き上げたミステリ小説家の軒弦の小説の中から2015年12月に同時発売された『四怪館的悲歌』『斬首城之哀鳴』を紹介します。
 

『四怪館的悲歌』


 
 
 過去の縁がきっかけとなり有名画家・季尊天の巨額の遺産を得ることになった弁護士・諸葛千諾ら5名は画家が所有する無人島の春泪島へと渡る。だがそこで彼らを待っていたのは主館の四方に建つ『破砕館』、『倒置館』、『錯位館』、『缺失館』という奇妙な館と所有者季尊天のバラバラ死体だった。外部とは連絡が隔絶され、脱出も不能の孤島で遺産相続をめぐる連続殺人事件が起こる。
 
 
 
 
 

『斬首城之哀鳴』


 
 
 高校生の宋田田のもとに大企業から全く身に覚えのない招待状が届く。そこには抽選で選ばれた5名の人間に莫大な不動産及び金銭を贈呈する旨が書かれていたが、その会場とは過去に首無し死体が出たと噂され、現在は斬首城の異名を持つ断腸城だった。そして当選者は5名のはずなのに会場に集ったのは宋田田を含めて関係性も不明なら自分が選ばれた理由もわからない6名の男女。断腸城の主人・柳其金の合図とともに惨劇の幕が開け、当選者は首を切断された死体と化す。
 
 
 
 

 2冊とも軒弦が生み出した名探偵・慕容思荽が登場する作品で、本の右上に『長編劇場版』と書いてありますが映画化するのかはわかりません。タイトルからわかるようにいわゆる『館ミステリ』ですが2冊に関連性はなく、どちらから先に読んでも問題ありません。
 
『四怪館的悲歌』では孤島を舞台に『破砕館』、『倒置館』、『錯位館』、『缺失館』という4つの館を象徴するような殺人事件が起きます。『破砕館』ならバラバラ死体、『倒置館』なら逆さまになった死体が出てきますが、これが見立て殺人なのかそれとも他に理由があるのか館に残った登場人物たちは考えさせられます。また、館ミステリの醍醐味である密室殺人は作者が得意とするところですので、慕容思荽が現場に不在でありながらも魅力は他シリーズと遜色ありません。
 
『斬首城之哀鳴』は宋田田の保護者として付いてきた慕容思荽の推理が楽しめます。当選者の役人、医者、教師、官二代(官僚の息子)そして女子高生の宋田田は主催者の柳其金とは全くの無関係なのに大金が貰えると聞いて曰くつきの城までやって来ましたが、甘い話には裏があるわけでお城は瞬く間に陸の孤島と化し、次々に殺されていきます。更に犯人にとって被害者はいずれも殺されるにふさわしい理由があったことが明かされていきますが、被害者同士に接点がないため犯人の動機も杳として掴めません。タイトルからもわかる通りが首無し死体が出てきますので犯人がそれをいつどうやって入れ替えるのかという点が本作の見所でしょう。真相が明らかになると不測の事態が生じて計画を変更した犯人が入れ替えトリックに腐心したことがわかります。
 
 2冊に関連性があるとすればどちらも実行犯の背後に知能犯がいて、彼らが事件の絵図を描いていたということでしょう。特に『斬首城之哀鳴』では慕容思荽の宿敵であり既に死んでいる沈莫邪というモリアーティ教授のような天才犯罪者が生前に仕掛けた計画が彼の思うまま進行し、慕容思荽が宋田田を守り抜くことまで予想されています。しかも彼の計画はこれ一つで終わらないことが作中で明言されていますので、読者は今後のシリーズにおいても死者が起こす完全犯罪を楽しめるというわけです。
 
『斬首城之哀鳴』で主人公格の宋田田は家計を助けるために怪しいイベントに参加し、慕容思荽の庇護下にあるので無辜のヒロインのように描写されますが、そこは自分の完全犯罪達成のためなら悪人(沈莫邪の視点)などいくら殺されても構わない殺人計画の舞台装置ぐらいにしか考えていない天才犯罪者が選んだ人間であるので、彼女に対する悪意もちゃんと仕掛けてられていて物語の最後まで気が抜けません。
 
 今回紹介した2冊は非常に読みやすかったです。それに、実際の再現性は置いておくとして作品には複雑な舞台装置は登場せず、ページには館の見取り図すら描かれておらず、館の内部を深く理解する必要もありません。前述した通り、作者の軒弦は密室ミステリの旗手でして、慕容思荽シリーズの『密室之不可告人』(2011年)と『密室謀殺案之天黒請閉眼』(2012年)というタイトルの短編集を出しているほどですので、このような館ミステリはお手の物なのでしょう。今回の2冊よりも少し前に出た『五次方謀殺』(2015年)はSFミステリのジャンルに入りますが、漆黒館を舞台に主人公が何度もタイムスリップを繰り返してその度に殺人事件に巻き込まれるという内容でここでも当然密室殺人が起こります。


  
 今回紹介した2冊の冒頭に主要人物一覧が書かれているのも嬉しいところです。

 
 日本の新本格ミステリを読んでいるような軽い読み心地と作者の経験に裏打ちされた密室トリックを持つ軒弦の本は是非とも多くの日本人にも読んでもらいたいです。
 

阿井 幸作(あい こうさく)


中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第二集

現代華文推理系列 第二集

 
現代華文推理系列 第一集
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)
現代華文推理系列 第一集

現代華文推理系列 第一集

 
風に吹かれた死体

風に吹かれた死体

憎悪の鎚

憎悪の鎚

愚者たちの盛宴

愚者たちの盛宴

見えないX

見えないX

  

第18回:中国ミステリ紹介『季警官的無厘頭推理事件簿2巻』(執筆者・阿井幸作)

 
 2015年末から中国国内で上映され、2016年1月11日の時点で売上が6.5億元を突破したサスペンスコメディ映画『唐人街探案』は俳優の陳思誠が『北京愛情故事』(北京ラブストーリー)の次に制作した2作目となる監督作品ということもあり公開前から話題性抜群でしたが、公開後にも主にスキャンダルの面で話題に事欠いておりません。
 


 
 まずは年明け早々に、同時期に上映されている映画『悪棍天使』を『唐人街探案』と比較してけなす“非公式”なポスターが出回ったり、以前から陳思誠とは犬猿の仲である脚本家・李亜玲が陳思誠の創作方法を暴露して陳思誠が彼女を名誉毀損で訴えたりと炎上マーケティングかなと疑ってしまうようなニュースが次々に出ました。
 そんな中、陳思誠は映画のインタビューで自身が東野圭吾の特に容疑者Xの献身が大好きだと答えました。このように、中国でミステリを語る時に東野圭吾の名前が挙げられることは珍しくありません。タレントの黄磊は「若いころにアガサやホームズ、東野圭吾などのミステリ小説を読んでいた」と語りましたし、2015年11月に起きた女子生徒飛び降り事件では生徒が東野圭吾の小説が好きだったことと自殺を結びつけるような新聞記事がありました。
 また、陳思誠は同じインタビューで今後はミステリ映画を撮りたいと語っているので、もしかしたら賈樟柯ジャ・ジャンクー)や蘇有朋(アレックス・スー)に続いて彼も東野圭吾作品映画化レースに参加するのかもしれません。
 

 
 2016年になっても中国では『ミステリと言ったら東野圭吾』という認識に変化は起きないでしょうが、在中日本人の私は変わらず中国のオリジナルミステリを応援します。
 
 さて今回は、本コラムの第9回で取り上げた亮亮『季警官的無厘頭推理事件簿』の2巻が出たのでそれの紹介をしようと思います。
 

 本シリーズのあらすじを説明しますと、季警官という正義感と情熱があるけど自信家でもある警察官が事件に遭遇して自信満々に推理を披露しますがその推理が的外れで真相に辿り着いていないのにも気付かずに事件を終わらせてしまうというものです。しかし、犯人側もそんな季警官の迷推理に振り回されて右往左往し、最後に真犯人に美味しいところを掻っ攫われるという憂き目に遭い、読者はそんな空回りする季警官と慌てふためく犯人たちのドタバタっぷりを楽しみます。
 
 本書でも勘違いが更なる誤解を生むドタバタ劇は健在で、事件の進展の混乱が季警官らにまで波及するという内容が楽しめますが、本書の見どころは自分の推理が完璧だと思っている季警官の天敵ともいうべき本当の探偵の素養を持ったキャラクターが登場するところです。
 表紙右側にいる女の子が事件を本当に解決してしまう探偵の王小貌です。本シリーズではこれまで季警官以上の探偵役がいなかったため、彼の推理が表面的には非常に道理に合ったロジックであることから、たとえ間違っていても誰もそれに異を唱えませんでしたが、彼女は第2話の『離職前請勿殺人』(退職前に殺人をしないでください)で季警官の推理に真っ向から反論します。
 
 今まで季警官が迷探偵でもない単なる狂言回しであることは読者にだけ伝えられていましたが、ここで作品内でも実は季警官の推理が間違いであることが明かされてしまいました。
 ここで注目すべきは季警官の反応で、彼は王小貌の指摘に怒りを隠しきれず彼女の推理に反駁します。結局、彼女の方が正しくて事件が無事に解決するわけですがこれはまさにミステリ小説によくある名探偵と迷探偵の間で生じるやり取りと一緒です。
 私は、このシリーズの1巻を読んだ時から作者・亮亮は既存のミステリ小説の探偵が嫌いなんじゃないかと推測していましたが、その推測は本作及び季警官とは別シリーズの新作『把自己推理成凶手的名偵探』(自分が犯人だと推理してしまった名探偵)を読んでますます確信へと強まりました。
 

『把自己推理成凶手的名偵探』は探偵の才能がないのに事件に遭遇しては迷推理を披露する探偵の狄元芳と、その探偵を犯人だと誤解して事件の度に彼を逮捕する警察官の薛と、そんな探偵を名探偵だと信じていて作中では名探偵の役割を担っている女子生徒の羅小梅が毎回同じパターンを踏むユーモアミステリです。
 ここでは探偵と警察官双方を無能に描いていますが、2つの作品で共通するのは推理する人間がとにかく空回りして周囲に迷惑をかけるというもので、季警官の方は王小貌による指摘で、狄元芳は薛警官による逮捕という形で天誅を受けます。
 作者・亮亮に直接聞いたわけではありませんが、満足な推理も出来ないのに名探偵ぶって無実の人間を犯人だと指摘して、結果間違っていることがわかっても謝罪をしない探偵に対して何か思うところがあるように感じられます。
 
 さて、2話目でミステリ小説としての常套的な展開を見せた本書はこのまま通常のミステリとして落ち着くのかと思いきや、第3話から王小貌を中心に据えて時間軸を前後させた潜入捜査(スパイ)ものが始まります。ただ、ここでも亮亮の巧緻な筆が光り、潜入捜査官として自分を雇った担当の警察官が死んでしまったことで他の警察官に自分が仲間だとわかってもらえないどころか逆に殺人犯として手配されてしまったスパイや、担当者が死んで一体誰が仲間のスパイなのかわからず窮地に陥る警察官などの挽回劇がテンポよく描かれています。
 
 そして本コラム第10回のインタビューで本シリーズのタイトルが日本の有名ミステリ小説のタイトルのパロディになっていることを書きましたが、本書でもその遊び心は健在です。
 
 第1話の『凶手還没出手又死了』(犯行に及ぶ前にまた犯人が死んだ)は蒼井上鷹『偵探一上来就死了』(最初に探偵が死んだ)だけではなく、同シリーズ1巻の『凶手還没出手就死了』(犯行に及ぶ前に犯人が死んだ)のパロディでもあります。第2話の『離職前請勿殺人』(退職前に殺人をしないでください)は恐らく東川篤哉『請勿在此丢棄尸体』(ここに死体を捨てないでください)でしょうし、第6話の『今天不宜発伝単』(ビラ配りには向かない日)は『今夜不宜犯罪』(交換殺人には向かない夜)、そして上述した一連のスパイシリーズの副題『完美破案需要幾個線人』(事件を完全に解決するにはスパイは何人必要か?)も東川篤哉『完全犯罪需要幾只猫?』(完全犯罪に猫は何匹必要か?)から取られています。
 
 本シリーズは本書が2巻目ですが、なんと本書に掲載されている作品の一覧表によると既に4巻までの出版の構想があるそうです。しかもネットドラマ制作まで進んでいるようで、本書は中国のユーモアミステリの代表として着実にその知名度を高めています。もしかしたら小説ではなく映像という形で日本人の目に触れることになるかもしれません。
 
 最後に宣伝になりますが、本書には私が中国語で書いた推薦文及び本コラム第10回のインタビューの中国語版が掲載されています(どちらも編集者・華斯比と作者・亮亮による中国語校正あり)。
 機会があったら『把自己推理成凶手的名偵探』と一緒に手にとって見てください。
   


阿井 幸作(あい こうさく)


中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第二集

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現代華文推理系列 第一集
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現代華文推理系列 第一集

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風に吹かれた死体

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憎悪の鎚

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愚者たちの盛宴

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見えないX

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容疑者Xの献身 (文春文庫)

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ここに死体を捨てないでください! (光文社文庫)

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交換殺人には向かない夜 (光文社文庫)

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完全犯罪に猫は何匹必要か? (光文社文庫)

完全犯罪に猫は何匹必要か? (光文社文庫)

  

第17回:看板に偽りありのまとも?なミステリ(執筆者・阿井幸作)

 

■『這么推理不科学』(こんなミステリは非科学的だ)■

 


【写真も筆者】

 

本格ミステリの非主流派、無厘頭探偵業界の非常識枠
謎解きはディナーのあとで』よりも滅茶苦茶で、『SHERLOCK』よりもぶっ飛んでいる
名探偵コナン、ホームズ、金田一がこぞってオススメしない一冊!(帯文)

 
 本コラムの第9回で紹介した『季警官的無厘頭推理事件簿』に続き、中国ミステリにまた新たなコメディ系小説が生まれました。ただし本作の主人公は謎解きに熱意を傾けるのではなく、事件の犯人がカンフーの使い手だったら良いなぁと本気で考えるカンフーバカで迷探偵と名探偵の一人二役をこなす困った輩です。
 まずは6つの短編からなる本書の紹介をします。
 
 被害者が人間業とは思えない殺され方をされた殺人事件を担当していた女性刑事の宋然は偶然出会った武侠小説家の韓格に事件の相談をする。すると韓格は事も無げにしかし真剣に、こんなことができるのは30年以上修行した武術家しかいないと断言する。宋然はそんな意見を相手にしなかったが、韓格は事件現場にまで着いて来てしまい、容疑者の一人をカンフーの達人だと思い込んでぶん殴って倒してしまう。呆気にとられる宋然を尻目に韓格は言う。確かに彼女はカンフーが出来ない、だがだからと言って容疑が晴れたわけではない、と。そして彼は現在までにわかっている事実を基に誰もが考えつかなかった推理を披露するのであった。
 
 事件の一報を聞いたときの韓格は単なる武侠小説オタクの発想から出た参考にもならない推理しかしません。彼は事件を不可能犯罪にさせている要素に対して、水の上を走って近道をしてアリバイを作った(水上漂)、毒に耐性があるから被害者と一緒に毒を飲んでも死ななかった(百毒不侵)、気功で遠くにいる人間を殺した(隔空打物)などの武侠小説で培った知識を披露してアンフェア極まりない推理を大真面目に説くので不可能犯罪を更に難解にさせます。これで実際にカンフーの達人が犯人だったら、「這么推理不科学(こんなミステリは非科学的だ)と叫びたくなりますが、そこは中国のミステリ専門誌『歳月推理』に載った作品ですので再現性はともかくちゃんとしたトリックが、先程までカンフー云々言っていた韓格自身によって明かされます。面白いのは犯人がカンフーの達人だと思い込んでいるのが韓格だけで、犯人側にはそうやって事件現場を混乱させてやろうと言う意図が全くないことです。

『歳月推理』に掲載されたと書きましたが、中国のミステリ小説の単行本には収録作品の初出が書かれていないことが多く、この本も同様でしたので百度百科(中国のウィキペディアみたいなもの)を調べてみたところ収録されている6作品のうち4作品が2011年9月号と12月号及びそれから4年後の2015年6月号と9月号に掲載されていたことがわかりました。道理で『隔空打物』という気功で遠くにいる人間を殺すというとんでもない内容にデジャヴを感じたはずです。私は4年前に雑誌上ですでに読んでいたのですね。
 
 作者の張斂秋は2011年にミステリ小説家としてデビューするより前に、武侠小説家としてこのジャンルですでに何度か賞を受賞しています。
 さて、武侠小説家という肩書きでやはり思い出すのは本コラムの9回10回で取り上げた『季警官的無厘頭推理事件簿』の作者の亮亮です。彼もインタビューでもともとは武侠小説を書いていたと語っています(第10回参照)。
 そして本書の帯文に「『謎解きはディナーのあとで』よりも滅茶苦茶で…」というキャッチコピーがあるのも見逃せません。もしかして『季警官的無厘頭推理事件簿』の売れ行きを見た本書の出版社が(2作は別の出版社から出ている)王道からちょっと外れたミステリが受けると確信して張斂秋に白羽の矢を立てたのではないでしょうか。
 
 短編のストーリーは事件に色恋沙汰を絡ませた単純な構成で面白みに欠けると言うか、多分この作家は自身が考えたトリックと武侠小説のネタを如何に上手に絡めて書くか、ということだけに興味があり、ストーリーは二の次なのでしょう。
 もしもこの作品のトリックが一般のミステリに使用されていたらただの駄作に成り下がっていたでしょうが、犯人の意図とは関係なく探偵役の韓格に犯罪を無理やりカンフーと結び付けさせることでどんなとんでもなく現実では不可能に思えるトリックも魅力的に輝きます。最初に探偵によるとんでもない推理を挟み、最終的にはその探偵自身が論理的に謎を解くわけですから、どんなトリックでも武侠小説に出てくるカンフーよりはマシだと読者に推理を受け入れさせるわけです。
 本書には武侠小説に登場するような現実離れした技は実際には出てきません。そして中国ミステリには本当に武侠小説の舞台をミステリの場に選んだ『冥海花』(2011年)という本もあるので、本書を武侠ミステリのジャンルに入れることは出来ませんが、武侠小説とミステリの食べ合わせの妙に気付かせてくれた一作でした。
  


阿井 幸作(あい こうさく)


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現代華文推理系列 第二集

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風に吹かれた死体

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憎悪の鎚

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愚者たちの盛宴

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見えないX

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