彼女の闘争の書〜フェラーズ『灯火が消える前に』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

灯火が消える前に (論創海外ミステリ)

灯火が消える前に (論創海外ミステリ)

 この3月の「玉手箱」でも、エリザベス・フェラーズ『カクテルパーティー』を「新たなる代表作」と持ち上げたところだが、またしても彼女の代表作といっていいような作品が紹介された。二次大戦終了直後に出版された『灯火が消える前に』(1946) だ。
 物語の骨格は、『カクテルパーティー(1955)と同様ノン・シリーズ物で、小集団内で起きた殺人事件の真相を素人が探っていくストーリーになっている。Murder Among Friends という原題が端的に内容を言い表している。
 刺繍作家セシリーが自宅で主宰したパーティに現れるはずだった劇作家リッターがパーティに現れず、自室内で撲殺されていた。劇作家の自室は同じ建物の最上階であり、第三者の目撃情報などから、犯人はパーティの出席者で劇作家の著作権代理人であるジャネットとみなされ逮捕される。パーティの客だった主婦アリスは初対面であったにもかかわらず、ジャネットが犯人であることに納得できず、周辺の調査をはじめる。
 読み進めるうちに、読者には、本書が『舞踏会の手帖』的な巡礼形式の物語であることが判ってくる。ジャネットは平凡な主婦であり、捜査当局とのコネもない。できることといえば、パーティの出席者と次々と会って、被害者や容疑者ジャネットを取り巻く人間模様に耳を傾けるだけ。しかし、関係者の話を積み重ねていくうちに、これまで表面には現れなかった関係者の肖像や「フレンズ」たちの間の意外な人間関係が浮かび上がってくる。被害者、容疑者の違いはあるものの、関係者のインタビューを重ねるうちに、意外な悪女の素顔が浮上する、ガーヴ『ヒルダよ眠れ』(1950)を思い出した。かつて女学生として友人同士だった女性三人の対照的な性格と三者三様の人生模様も奥行きがある。
 そういう意味では、現代的なリアリティのある人間像を描くことにじっくり取り組んだ作なのだが、とはいえ、名手フェラーズ。最後まで読むと、意外性を備えた本格ミステリにしてしまう。用いられる手品のタネは小粒だが、伏線が巧妙に張られているし、白刃一閃、それまでの構図をひっくり返してしまうシンプルさは、人間の性格を丹念に掘り下げた本作にはふさわしいものだ。真相の直前に披露されるアクロバティックな推理も捨てがたいし、「灯火管制」という戦時下の特殊状況を素材にしている点で、同じく戦時下でしかなしえないトリックを用いた、ディクスン(カー)『爬虫類館の殺人』と並ぶものだろう。灯火は暗く、主要人物の一人は従軍している。ほの暗いトーンで戦時下の生活と人間の心理を描いた戦時下ミステリとしても出色。
 ところで、『海外ミステリ名作100選』(早川書房)で本書を選定したH・R・F・キーティングによれば、それまでフェラーズの作品を手がけてきた出版社が「探偵小説はこのような汚いものであってはならない」と本書の出版を拒否したという。登場人物の性的奔放さがその理由らしいが、現在の眼からみればどうということないレベルである。そうしたことは見えなくなっている。キーティングは、フェラーズは、1946年という時点で、「ディテクティヴストーリー」から「ディテクティヴノヴェル」というまったく新しいタイプのミステリを提供しはじめたという。
 トビー・ダイク&ジョージの名探偵システムを放擲し、探偵小説のお上品さをかなぐり捨てて、リアリティある人間像を描きつつ、なおかつ謎解き小説であることを志向した本書は、自分なりのミステリを追い求めたフェラーズの闘いの書のようにも読めるのである。
 
厚かましいアリバイ (論創海外ミステリ)

厚かましいアリバイ (論創海外ミステリ)

『厚かましいアリバイ』(1938) は、コアな本格ミステリファンには、待望の一冊。〈オべリスト〉3部作、不可能犯罪てんこもりの短編集『タラント氏の事件簿』などの著者として、C・デイリー・キングの名には、やはりときめいてしまう。
 本書は、〈オべリスト3部作〉に続く、〈ABC三部作〉のうち、さきに紹介された『いい加減な遺骸』(原題 Careless Corpse )に続く第二弾(原題 Arrogant Alibi )。
 前作『いい加減な遺骸』では、「仕掛けのある屋敷」や「音楽殺人」論議など、まるで日本の一部の新本格作品を思わせるような突き抜けた人工性を感じさせたが、本書ではやや控えめなものの、洪水で孤立した集落、奇妙な館で起きる連続殺人(密室殺人含む)、エジプト文明に関するペダントリー、神秘めかした章立てや邸内見取り図などのギミックなどをふんだんに盛り込みケレン味あふれる謎解きが展開する。
 前作の事件で疲弊したマイケル・ロード警視とポンズ博士は静養のため、コネティカット州の友人宅へ向かう。春からの洪水が最高潮に達し一帯は周囲から孤立、ロード警視らは、かろうじて水につかっていない邸宅〈パーケット邸〉での音楽会に臨む。屋敷には、女主人の亡き夫が蒐集した古代エジプトの遺品の数々、ミイラさえも収めるエジプト博物館が併設され、謎めいた雰囲気を醸し出している。この音楽会のさなか、女主人が古代エジプトの短剣で首元を刺され殺されてしまう。併設したエジプト博物館の短刀が宙を飛んで女主人を刺したとしか思えない状況で。しかも、発見者である若い魅力的な女性チャーミオン以外には、皆、完璧なアリバイがあった。
 ケレン味ある道具立てと並んで、本書に特徴的なのは、地元の警察とロードの軋轢が物語の縦糸になっているところ。地元警察は、ニューヨーク市警のロードに敬意を払わず、捜査も独走し、チャーミオンを逮捕する。背景には、地元警察をも牛耳る街の政治ボスの存在がある。この辺の現実性は、キングにしては珍しい。チャーミオンに心惹かれたロードがいかに地元警察を出し抜くかという興味の導入は、作者がある程度大衆性を意識した現れかもしれないが、物語の進行への期待を高める。
 本書のメインになるのは、タイトルのとおり「アリバイ」。謎の核になる部分に、書かれた当時ですら専門的知識に乏しい読者には、そうですか、というしかない技術的なトリックが用いられているのは、かなり残念。
 とはいえ、冒頭で「特異で驚くべき特徴を一つどころか、少なくとも四つか五つは備えた事件」と宣言されるように、「全員に完璧なアリバイがある状況」を核に、エジプト学のペダントリーと神秘、不可能犯罪、幾つもの仮説、意外な犯人、ダイイング・メッセージなどなど本格ミステリ特有の要素を分厚く貪欲に組み合わせ、それを試練にさらされたロード警視という柱で支えた本書は堂々たるバロック建築物であり、黄金期晩年からのうれしい贈り物だろう。
 
ダークライト (論創海外ミステリ)

ダークライト (論創海外ミステリ)

 バート・スパイサーは、多くの読者には耳慣れない作家だが、それもそのはず、ダークライト』(1949)は著者の長編の本邦初訳。1950年度のエドガー賞最優秀処女長編賞候補であり、名作表であるW・B・スティーヴンスン編ナショナル・ブック・リーグ読書案内の探偵小説部門にも選定されている。
 最近ではめっきり紹介されることもなくなった、ハメット‐チャンドラー・スクールといわれるオーソドックスなハードボイルド。
 主人公は、私立探偵カーニー・ワイルド。ニュージャージー州の港町で事務所を構えており、探偵稼業でまあまあしのいでいる。軍の捜査部で5年間働いたのち、開業。事件の捜査中に29歳の誕生日を独り迎える。
 事件は、黒人の男が事務所のドアにもたれて座っているところから始まる。貧しそうな黒人の依頼は、自らが帰属する新興宗教団体の伝道師が失踪してしまったというもの。古く擦り切れた43ドルを差し出され、「金はしまってくれ」と言いつつ、ワイルドは仕事を引き受ける。
 失踪人探しの依頼から始まる――といえば、これぞハードボイルドの王道。ワイルドの台詞や態度は固ゆでだが、貧しい黒人を気遣い、相応の敬意を表するこの探偵に、冒頭の章から好感がもてる。 
 ワイルドは、新興宗教のスポンサーになっていた未亡人の邸に向かい、そこで夫人の娘アリシアと知り合う。アリシアは大学卒業したてで美貌のじゃじゃ馬だが、捜査の同行をワイルドにねだり、二人はニューヨーク行きをともにする。彼女がワイルドを「シャーロック」と呼び、ワイルドがそれを嫌がる、という繰り返しの中で二人の仲は深まっていき、それが物語に彩りを添えている。
 ふとした手がかりから、伝道師は失踪したのではない可能性が浮上する辺りから、物語は急展開し、再び殺人が発生。警察と反目しつつも、ワイルドは、登場人物たちの暗部を明るみに出し、別に進行する事件との関連も明らかにして、関係者が一堂に会する絵解きとなる。謎解きは派手なものではないが、納得のいくものであり、登場人物の光と闇の部分を照らし出す。
 終幕を除き殴り殴られといった暴力はないし、ムダな感傷もない。簡潔な比喩と会話に精彩があり、文章は引き締まっている。キリリと冷えたマティーニの味わいのような佳品。
 
 意欲的に古典ミステリを紹介している電子書籍ヒラヤマ探偵文庫。今回はそのうちの2冊を。先月には、「訳者自身による新刊紹介」に、平山雄一氏か登場し、抱負や今後の予定を語られている。
決定的証拠 (ヒラヤマ探偵文庫)

決定的証拠 (ヒラヤマ探偵文庫)

 アメリカの作家ロドリゲス・オットレンギ 『決定的証拠』(1898)は、「クイーンの定員」の一冊に選定されている歴史的価値ある短編集。12編収録。
 本書で眼を惹くのは、ダブル探偵の趣向だ。主として活躍するのは私立探偵のバーンズだが、もう一人大資産家で素人探偵のミッチェルが登場する。二人は親友でもあるが、ライヴァル関係にもあって、ミッチェルはバーンズの鼻を明かすのが生きがい。ホームズ/ワトソンの関係ではなく、トムとジェリー的な競い合いが作品の華となっている。(ミッチェルがバーンズをからかうために仕組んだ事件まである)
 冒頭の中編「不死鳥殺人」は、衆人環視の下で火葬されたはずの死体が、イースト川から水死体で発見されるという飛び切り魅力的な謎が提示される。水死体には非常に稀な皮膚病の痕跡があり、それは火葬された死体の特徴とも一致している。捜査が進むに連れ、死体の正体も事件の構図も二転三転していく。作者自身が歯科医であり、医学的知見によって解決がつくのだが、この時代としてはあまり例をみないような充実した謎解きが展開されており、これも探偵の競い合いというフォーマットから生まれた成果だろう。
 この競い合いの構図から生まれた何とも奇妙な作品が二編目のミッシング・リンク。頭部、両手足が切断された女性の死体をめぐる謎解き編。ホームズ譚によくある事件の解決プラス事件に至る因果話といった趣の作だが、意外な犯人と真相には絶句してしまう。まるでパースの狂った謎解き小説とでもいおうか。少し内容に踏み込みたいのだが、それでは面白さが減じてしまうので、変なミステリ好きはぜひご一読を、とだけ。
 最初の二編でやられてしまったが、続く短編も二人のライヴァル関係を軸にして展開し、宝石の盗難事件が多く扱われているのが特徴的。最初の二編ほどのインパクトのある短編は見当たらない。解決の部分で初めて手がかりを示すようなアラも目立ってくるが、19世紀末に書かれたことを考えればやむを得ないだろう。
 本書は、ホームズ譚の影響下で書かれたことは明らかだが、オリジナルな変奏がされた例として記憶にとどめたい作品集。当時の精妙な挿絵が収録されているのも楽しい。

 アーサー・B・リーヴ『エレインの災難』は、『無音の弾丸』に続く、クレイグ・ケネディ教授物の紹介第二弾。前作は短編集だったが、今回は、連作短編というか全体として長編として読める仕立てになっている。
 訳者解説によれば、本作は、アーサー・B・リーヴ脚本の1914年の映画としてまず世に出、それを小説化して、翌年の1915年に単行本になったものだという。(映画の邦題名は『拳骨(エレーヌの勲功)』) その翌年1916年(大正5年)には、『探偵小説 拳骨』などとして3種類もの邦訳が出ているというのだから、いかに映画がわが国でも大当たりしたのかを物語る。
 数回にわたって同じ登場人物が登場し危機また危機のストーリーが展開していくものをシリアル(連続活劇)というが、当時シリアルの女王といわれたパール・ホワイト主演の本編などのシリアルは今でも語り草となっている。映画『拳骨』は、各編の結末に、大きく「?」が浮かび出て、謎の解決は次週となったという(児玉数夫『それはホームズから始まった』(フィルムアート社))
 本作は、ニューヨークの謎の犯罪王「拳骨」と科学探偵クレイグ・ケネディとその恋人エレインの闘争を描く。各編、エレインとケネディに押し寄せる危機また危機。ケネディは新型の科学装置を駆使して危機を乗り越える。(ケネディは死に至ったエレインを「電気蘇生術」で蘇らせたりもする) 『無音の弾丸』では、ホームズのライヴァルらしかったケネディも、本作ではすっかりアクティヴなヒーローだ。「拳骨が繰り出す一癖も二癖もある手下たちにエレインは必ず捕らえられ、ケネディはそれを救出していくという筋が続くとさすがに単調だが、後の特撮ヒーロー物の原型といえないこともない。映画の小説化ということから、カットバックの手法や矢継ぎ早のアクションが盛り込まれ、後のエンターテインメントに与えた影響も大きかったのではないかと思われる。
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

カクテルパーティ (論創海外ミステリ)

カクテルパーティ (論創海外ミステリ)

嘘は刻む (海外ミステリGem Collection)

嘘は刻む (海外ミステリGem Collection)

ヒルダよ眠れ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ヒルダよ眠れ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

爬虫類館の殺人 (創元推理文庫 119-2)

爬虫類館の殺人 (創元推理文庫 119-2)

海外ミステリ名作100選―ポオからP・Dジェイムズまで

海外ミステリ名作100選―ポオからP・Dジェイムズまで

いい加減な遺骸 (論創海外ミステリ)

いい加減な遺骸 (論創海外ミステリ)

海のオベリスト (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

海のオベリスト (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

空のオベリスト 世界探偵小説全集(21)

空のオベリスト 世界探偵小説全集(21)

タラント氏の事件簿 (エラリー・クイーンのライヴァルたち)

タラント氏の事件簿 (エラリー・クイーンのライヴァルたち)

無音の弾丸 (ヒラヤマ探偵文庫)

無音の弾丸 (ヒラヤマ探偵文庫)

それはホームズから始まった―掌編ミステリー映画史

それはホームズから始まった―掌編ミステリー映画史

舞踏会の手帖 [DVD]

舞踏会の手帖 [DVD]

 

鳴く鳥がいない世界~H・マクロイ『二人のウィリング』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

二人のウィリング (ちくま文庫)

二人のウィリング (ちくま文庫)

 昨年の『あなたは誰?』に続いて、ちくま文庫から順調にマクロイの新刊が出た。
 ヘレン・マクロイ『二人のウィリング』は、傑作『暗い鏡の中に』(1950)の翌年に刊行された長編。とにかく、冒頭のつかみが抜群。
 ウィリング博士が自宅近くでみかけた男は、「私はベイジル・ウィリング博士だ」と名乗るとタクシーで走り去った。驚いたウィリングは男の姿を追ってパーティが開かれている屋敷に乗り込むが、殺人事件が発生してしまう。被害者は「鳴く鳥がいなかった」という謎の言葉を残していた…。
 冒頭の魅力的な謎から、さらなる事件が発生。世代も社会的地位も異なる個性的な登場人物たちの間を縫うようにウィリングは行動し、物語はスムーズに流れ、結末に至るが、読後感はずっしり。ウィリング博士が絵解きしたものは、悪意が幾重にも絡み合ったような、まず普通の謎解き小説ではお目にかかれないような光景だ。
 
 以前、『小鬼の市』のレヴューで、「「批評性」と「幻視力」という一見相反するようなマクロイの資質」と書いたが、本書でもやはり作者のヴィジョン構築力には脱帽せざるを得ない。おそらく、作者の頭には一幅のパーティの絵があったに違いない。なにげない社交の場面を凝視することで、秘められたヴィジョンが立ち上がり、「鳴く鳥がいない」世界と太い線で結ばれる。そうしたヴィジョンが世界を取り巻く不安や現実への批評性によって獲得されているところも、『逃げる幻』などにも共通するところだ。真相が知れると、ウィリングが軽快なフットワークで登場人物たちの背景を探り、交わした会話が別な意味合いをもって浮上してくるのも秀逸だ。
 一方で、謎解きミステリとしては、構図が強烈なだけに、厳密な推理の積み上げが向かない面があり、犯行方法などの謎解きのカタルシスはやや弱い。冒頭のウィリングを名乗る男の謎もいささか肩すかし気味ではある。
 本書では、『暗い鏡の中に』で婚約中だったギゼラとの新婚生活が描かれ、ウィリング博士が「私はどの(精神分析の)学派にも属していないと言明するなど、ウィリング・サーガの一編としても読み逃せない一冊。
 
緯度殺人事件 (論創海外ミステリ)

緯度殺人事件 (論創海外ミステリ)

 ルーファス・キング『緯度殺人事件』(1930) は、戦前に抄訳があるものの、全訳の紹介としては初めてとなる。いわゆる「船上ミステリ」になっているところが大きな特徴だが、C.D.キング『海のオべリスト』ディクスン・カー『盲目の理髪師』クリスティ『ナイルに死す』クエンティン『死を招く航海』など、黄金期のミステリにも多くある趣向でありながら、「船上ミステリ」ならではの趣向を十全に生かしている点で出色。
 バーミューダ諸島からカナダへと向かう貨客船〈イースタン・ベイ号〉の中に、ある殺人事件の容疑者が紛れ込んでいた。ニューヨーク市警のヴァルクール警部は犯人逮捕のために同船に乗り込んだが、容疑者の人相は不明で無線連絡だけが頼りだった。ところが、船の無線通信士が殺害されて、陸上との連絡手段は絶たれ、警部は独力で犯人を追い詰めることになる。
 船上ミステリは、旅情を添えるなどのほかに、洋上を移動するクローズド・サークルである点で、容疑者を限定的にすることが可能、詳細な検死など科学捜査が不能、脱出不可能な点でサスペンスの醸成が容易など書き手にとってのメリットが考えられるが、本書ではさらに一工夫が施されている。普通の客船と異なり、貨客船という設定によって、登場人物がごく限られた範囲に自然に限定されているし、陸との交信が絶たれる中、必死に連絡をとろうとする陸側の動向が織り込まれることで緊迫感が生じている。各章の冒頭には船の位置の緯度経度が記されており、アクセント的なものかと思っていたら実はこの工夫が後半部から迫力を生み出してくるのは、さすがである。
 連続殺人に加え、奇妙な盗難が相次ぐという飽きさせない展開に加えて、一種のペーソスの漂う調子も好ましい。無線士の死体を帆布で包んで水葬するシーンで、中年女性が賛美歌を歌えなくなるシーンはこの時代のパズラーとは思えない。ヴァルクールも真摯な人間的魅力をもつ人物として描かれている。 
 謎解きの面で、常套を脱していると思われるのは、乗客たちの過去が明らかになる中、ヴァルクールが「犯人は女に扮した男である」という確信に取り憑かれてしまう点で、乗客たちを見回しても女に変装していそうな男も見当たらない。これが犯人探しの絶妙なアクセントになり、どう決着をつけるのかと思っていたら、結末では鮮やかな収束が待っていた。
 後年「クイーンの定員」にも選ばれた短編集『不思議の国の悪意』でその実力をいかんなく発揮した人物描写やレトリックの冴えの片鱗も垣間見ることができる。読後には、天然の悪意を身に着けた女の肖像がくっきりとした残像を残す。
 
 2013年1月ころから、林清俊氏Kindle版で、クラシックミステリファンも注目すべき翻訳物を次々と紹介している。ミステリを中心に、ジャンル小説の中から、本邦未訳の名作、隠れた傑作を紹介するというのがコンセプトらしい。ミステリの母メアリ・エリザベス・ブラッドンの『オードリー夫人の秘密』、ヒューゴ賞にノミネートされたコメディタッチのミステリ、マーク・フィリップス『女王陛下のFBI(SF作家の合同ペンネームであり、片割れはランドル・ギャレット)、幻のパルプ作家ノーバート・デイヴィスの傑作選…。選択の幅が広くて深い。こんなシリーズを見過ごしていたとは不覚。
 

■AMAZON kindleストア該当ページ■

 

グランド・バビロン・ホテル

グランド・バビロン・ホテル

 今のところ最新刊と思われるアーノルド・ベネット『グランド・バビロン・ホテル』(1902)を読んでみた。アーノルド・ベネットは『老妻物語』(『二人の女の物語』)などで知られる英国の大御所で、文学的作品のほかに、作者自身が「ファンタジア」と称した娯楽的小説も書いており、本書もその一編という。『都市の略奪品』という短編集が「クイーンの定員」にも選ばれている。
 
 時は19世紀末、バビロンとも称される世界の中心ロンドン。そのロンドンには世界中の有名人、政治家、貴族らが集う超一流のホテル「グランド・バビロン・ホテル」があった。しかし、そのホテルでは見かけの煌びやかさとは裏腹に、国際的な陰謀が進行中だった…
 アメリカの大富豪がステーキとビールの夕食を注文し、格式を重んじるホテル側に断られたばかりに、ホテルそのものを買い取ってしまうというのが物語の発端というのだから、スケールが大きい。
 作者は、ヨーロッパ的伝統と格式を重んじ、アメリカ的成金趣味に抗う立場なのかと思いきや、いきなりホテルのオーナーになってしまった米富豪ラックソウルと、その美しくて奔放な娘ネラの冒険を軸に物語は進んでいく。
 ホテルの買収を契機とした給仕長と事務長の失踪、ドイツのポーゼン国の皇子の失踪とその従者の死。事件の背後には、皇位継承にまつわる謀略が潜んでいることが次第に明らかになっていく。事件の構図はクラシカルなものだが、ネラが怪しげな男爵夫人をベルギーの港町まで追いかけてしまうなど、テンポが良く勿体ぶったところがない。富豪が実は正義を重んじる独立不羈の人であり、初めは単なるわがまま娘に見えたネラが実は意志の強い、勇気ある娘であることが明らかになっていく展開もいい。壮麗な舞踏会や貴賓室の秘密、名シェフ、ロッコの支配する厨房の威容など、世界の中心たるホテルの優雅さも物語に彩りを添え、ひととき大英帝国の残照輝くロマンの世界に遊ぶことができる。
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
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暗い鏡の中に (創元推理文庫)

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

あなたは誰? (ちくま文庫)

あなたは誰? (ちくま文庫)

小鬼の市 (創元推理文庫)

小鬼の市 (創元推理文庫)

逃げる幻 (創元推理文庫)

逃げる幻 (創元推理文庫)

海のオベリスト (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

海のオベリスト (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

盲目の理髪師【新版】 (創元推理文庫)

盲目の理髪師【新版】 (創元推理文庫)

ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

死を招く航海 (エラリー・クイーンのライヴァルたち)

死を招く航海 (エラリー・クイーンのライヴァルたち)

不思議の国の悪意 (創元推理文庫)

不思議の国の悪意 (創元推理文庫)

オードリー夫人の秘密

オードリー夫人の秘密

女王陛下のFBI

女王陛下のFBI

ノーバート・デイヴィス傑作選

ノーバート・デイヴィス傑作選

試練: コービット一家に何が起きたのか

試練: コービット一家に何が起きたのか

 

フェラーズの新たな代表作、降臨〜『カクテルパーティー』他(執筆者:ストラングル・成田)

 
 今回は、偶然、英国の小説4冊と評論が並んだ。時代も手法も異なるミステリながら、何らかの意味でサークル内とそれ以外との葛藤が扱われているのが興味深かった。
 

カクテルパーティ (論創海外ミステリ)

カクテルパーティ (論創海外ミステリ)

 第四作『猿来たりなば』を皮切りにトビー・ダイク&ジョージものが創元推理文庫で立て続けに刊行され、トリッキーな謎解きと意外な探偵役の設定などで好評を博したものの、その後、翻訳が途切れてしまった感のあるエリザベス・フェラーズ。2007年には、今は亡き長崎出版から、『嘘は刻む』(1954)の翻訳が出たが、犯人の設定に創意を凝らしてはいても、さほど話題にならなかった記憶がある。
『カクテルパーティー(1955)は、邦訳された作品の中で、フェラーズの新たなる代表作といっていいできばえ。
 舞台は、ロンドン郊外の小さな村。婚約祝いのために催されたパーティーの席で、女主人の用意したロブスター・パイに誰もが顔をしかめ、食べるのを止める。苦い味がするのだ。一人食べ続けた紳士が帰宅して、ヒ素中毒死したことが判明する。
 冒頭からフェラーズの特徴がよく出ている。女主人公ファニーは、元女優だが、今は動きの緩慢な50代の女性で骨董屋を開いている。その夫で大学講師のバジル、ファニーの年の離れた義弟で婚約したばかりのキット、そして村の友人ら。小さな村で安らかに自足した暮らしをしている人々の間に、キットの婚約がさざなみを立てる。平易な言葉で、巧みに人物像を描き出し、スモールサークルのパーティーの場が見えない葛藤が渦巻く場になっていることをよく伝えている。
 加えて、際立つのが謎づくりのうまさ。パーティーの場に、特異体質の人間が二人いたという「偶然」が判明することで、誰が狙われたかを絞り込むことが難しくなり、単純な事件にもかかわらず、事件の構図は容易に読み解けない。
 物語は、事件の謎解きを主軸に展開するが、誰が謎を解くのかは最後まで伏せられる。物語を駆動するエンジンは、登場人物たちが立てる仮説、推理そのものだ。主要登場人物は、サークル内の人間に一度は犯人として名指されるのだが、典型的な多重解決物ではなく、各人の推理が新たな葛藤を生み、行動を起こさせ、事件に新たな展開を生んでいく。
 名探偵を置かず、登場人物の心理の襞も書き込み、なおかつ、推理が主題であり、意外性も追求したフーダニットである点で、本書は、オーソドックスな本格ミステリの殻を破った発展形ともいえる。
 終盤、二つ目の殺人が起きてからの展開は、適度な緊張をはらみつつゆったりと流れる河が急流に変じたように、異なる真相が次々と視界に浮上しては、覆されていく。最後の最後まで真犯人も真の探偵役も隠され、冒頭からは、予想だにできなかった意外で暗然たる結末が待ち受ける。
 読み終わった方は、ぜひ、読後にもう一度、当たり直してほしい。巧妙な手がかりという域を超えて、表層の物語の下に真犯人の計略や、生々しい息づかいがしっかり書かれているのを見い出すことができるから。特に、ある人物のふるまいには慄然とさせられる。このことは、一見自足しているような人々の中にある不安や孤独、家族や友人でも心の中は判らないという、ある意味当然の真実を再認識させるし、謎解きをメインとしながら、単純な秩序回復のドラマに終わらない本書の真骨頂でもある。
 
愚者たちの棺 (創元推理文庫)

愚者たちの棺 (創元推理文庫)

 長編は本邦初公開となる英国のコリン・ワトスン。筆者としては、「待ってました」の掛け声をかけたくなる一冊。作家で評論家のH・R・F・キーティングが『ミステリの書き方』(早川書房)という本で様々なミステリのサブジャンルについて論じているが、「ファルス・ミステリ」の代表作家として、このワトスンを挙げているからだ。キーティングによれば、ファルス・ミステリはユーモア・ミステリより「もっと巧妙な形式」だという。少し長くなるが、該当部分を引用してみる。
 

「コリン・ワトスンはユーモア作家としてのすぐれた才能を持っている。彼の作品の登場人物は、弱点や欠点があるにしても、当初はきわめて普通の人物たちに見える。そしてワトスンはしだいに彼らを現実離れした世界、途方もないことばかりが起きる冒険と出会いの世界へと投げこんでしまう。彼は、クライム・ストーリーやパズル・ミステリの形をとりながら、人間の愚かしさに対する意見を述べているのだ」(長野きよみ訳)

 
 『愚者たちの棺』(1958)は、英国の架空の港町、フラックスボローを舞台にしたパーブライト警部ものの第一作目。キーティングの指摘するファルスに関する力量は既に十分に発揮されている。
 新聞社主グウィルの死体が送電用鉄塔の下で発見される。マシュマロを口に入れたまま、真冬だというのにスリッパ履きという不可解な恰好での感電死。現場では幽霊の目撃証言も飛び出す。その七か月前には、隣人の会社経営者も死亡しており、相次ぐ名士の死亡には、なにか関連があるのか-。
 ストレートに笑いを狙うという作風ではない。が、筆致はいかにも英国流で、ビターでぬけぬけとしたユーモアを効かせてある。
 被害者の屋敷は、「赤レンガの壁は、郊外の高級住宅地に臆面もなく居を構えた初代の所有者、成金の靴紐製造業者をいまだ恥じて赤面しているかのようだ」という具合。
 捜査に当たるパーブライト警部は、切れ者だが、無能な署長に憤るほかは取り立てて特徴のない人物。本書での相棒は、童顔でなぜか女性の母性をかきたてるらしいシドニー・ラブ巡査部長。個性派揃いの名探偵の中では印象が薄いほうだが、キーティングのいうように、「きわめて普通の人物」たちであるゆえに突拍子のない事件が冴えるというもの。
 実際、被害者らが関与していた秘密の内容が次第に明らかになると、あっけにとられてしまう。その秘密もさることながら、読み手はとっくにお見通しなのに、現場にいるラブ巡査が一向に気づかない辺りのズレが笑いを呼ぶ。
 では、本書は、笑いだけかというと、謎解きの方もご心配なく。伏線も回収しつつ、大胆で意外性のある謎解き、クライマックスが用意されている。でも、私見では、本書の性格をよく表しているのは、じわじわと笑いが押し寄せる、幕切れの二行。早くも癖になりそうだ。
 森英俊氏の解説によれば、ミステリ的にもファルス的にもシリーズの魅力は巻を追うごとに加速していくようだから、続刊を大いに期待したい。
 

極悪人の肖像 (論創海外ミステリ)

極悪人の肖像 (論創海外ミステリ)

 『極悪人の肖像』(1938)は、イーデン・フィルポッツの名のみ高かった作品の初邦訳。その理由は(またしても)乱歩だが、倒叙探偵小説の代表作例としてフランシス・アイルズ『殺意』などと並べて挙げたこととに由来している。しかし、本書は、倒叙物とは言い難く、特異な犯人を主人公にしたクライム・ストーリーというのが妥当なところだろう。赤毛のレドメイン家』『闇からの声』『テンプラー家の惨劇』『医者よ自分を癒せ』、そして昨年完訳されて記憶に新しい『だれがコマドリを殺したのか?』など強烈な悪人像を描いて定評がある作者だが、本書は、そのフィルポッツの悪の探求を極度に推し進めている。先の『カクテルパーティー』『愚者たちの棺』が上流階級なき後の田舎を描いたものだとすれば、本書は、その上流階級がまだ、存在を保っていたころの物語。
 准男爵家の三男で、ケンブリッジ大を首席卒業、医者として名声も高いアーウィンが、先祖伝来の荘園と資産を我が物にすべく、長男、次男その家族の抹殺を企てる。その経緯が誰にも見せない手記として回想される。殺人の大罪に爪の先ほども良心が痛むことがない犯人像は、独自の悪の哲学で理論武装している。
 超人思想の流れを汲むような主人公の人間嫌悪、人類憎悪の思想は徹底している。「あらゆる資本主義国家は人食い人種であ(る)」、「大衆は嫌悪以外の何物でもない。個人として捉えようと、あるいは群れとして捉えようと、人間は地球上における最も不快な生物である」
 悪人像を描いて、ミステリ史的にも重要な地位を占める作品だと思うが、今の眼からみて荘重すぎ、回りくどくもある悪のモノローグは、太陽がいっぱいリプリーほどのインパクトはないともいえる。
 長兄の死を目論んで実行される二件の殺人は冷酷極まりないものだが、冒頭に宣言されるほどの完全犯罪とも言い難い。物語の転回点は、次兄ニコルの死を企てて(心霊術やオカルトの要素を取り入れている点が目を引く)目論見が外れ、予期しない方に話が進んでいく展開だが、ほとんど主人公には動揺は生じない。それだけに、唐突に猿が出てくる終幕には、一抹の感慨を覚える。
「国家による強奪の中に、民主主義なるものがどこにありましょう?社会主義は我が国の相続税を足がかりとして、今やあらゆる方向から我々に牙を向けているんです。荒廃した荘園が空となり、あるいは精神病院になっている」と次兄ニコルは語るが、主人公アーウィンにも共通する思いだろう。
 類い稀なるエゴイストの犯罪は、大戦をはさんで没落していく貴族階級の最後の抵抗のようにもみえるのである。 
 
ウィルキー・コリンズ短編選集

ウィルキー・コリンズ短編選集

 北村みちよ編訳ウィルキー・コリンズ短編選集』は、『月長石』『白衣の女』で知られる19世紀の文豪、コリンズの短編集。五話収録。コリンズの短編集として手に入りやすいものに、岩波文庫『夢の女・恐怖のベッド』(「恐怖のベッド」はごく初期の密室物)があるが、本書によっても、この作家は大長編のみならず、短編でも名手だったことが窺える。翻訳も平易で読みやすい。
「アン・ロッドウェイの日記」は、同じ下宿に住む女性の不審な死をねばり強く調査する若いお針子の物語。女性探偵が登場する初の英国小説という評もあるそうだ。特段ひねりがあるわけではないが、都市の恵まれない生活の哀歓と凜とした女性像は、時代を変えれば、例えばアイリッシュが「お針子探偵」として書いたとしても不思議ではないようなみすみずしさ。「巡査と料理番」は、若い巡査が殺人事件に遭遇し、迷宮入りとなっても、独力で捜査を続けるうちに、意外な犯人にいきつく話。懺悔の形式をとることで、物語の効果がより高められている。
「運命の揺りかご」は、上等船室と下等船室の客がともに出産して二人の赤ん坊がどちらのものか分からなくなる事件を描いたユーモラスな一編だし、「ミス・モリスと旅の人」は都会小説風のオチもさわやかな恋愛譚。
「ミスター・レペルと家政婦長」は、イタリアの劇場で観た結末を知ることのない悲劇の筋が形を変えて主人公の人生に降りかかってくる運命劇・犯罪劇で、舞台の虚構が現実に模倣される華麗な趣向には幻惑される。
 すべて一人称の小説だが、一話ごとに大きく異なる語り手の性格や魅力を浮き彫りにするナラティブの見事さは、時代を超えている。
 
ウィルキー・コリンズ (時代のなかの作家たち)

ウィルキー・コリンズ (時代のなかの作家たち)

『短編選集』と時を同じくして出た、リン・パイケット『ウィルキー・コリンズは、19世紀の英国作家を扱った「時代のなかの作家たち」の第7巻。この叢書の特徴は、作品を時代の中にすえ、作家の誕生から今日に至るまでの社会的、文化的、政治的、宗教的側面から考察している点だという。実際この本は、階級、ジェンダーセクシュアリティ、教育、帝国主義など社会の様々なコンテクストの面からコリンズの数多くの作品を分析している。
 コリンズの伝記的事実が興味深い。彼は上流階級の出身者であるにもかかわらず、パブリックスクールも大学も行っていない。生涯正式な結婚はせず、大工の娘である未亡人と同棲し、その一方で宿屋の使用人の女を妾に迎え、生涯別々の二世帯を養った。知り合って最も楽しかった仲間が浮浪者仲間だったとも書いている。上流社会の「インサイダーでもあり、アウトサイダーでもあった」という特異な立ち位置は、彼の作品に独自の視点をもたらしたようだ。コリンズの大きな関心事の一つが、階級の不平等と社会移動だったそうだが、なるほど、先の『短編選集』では、「運命の揺りかご」に象徴的なように、いずれも階級間の葛藤と階級移動の要素が含まれていた。
 コリンズといえば、『月長石』『白衣の女』が決まり文句のように出てくるが、コリンズ作品のメディア等への影響を論じた章では、本国イギリスにおいても1980年代半ばまでは同様だったようで、『ノー・ネーム』『アーマデイル』その他の小説が広く読まれるようになり、コリンズの批評的地位が増してきたのは今世紀に入ってからだという。現代小説への影響も大きく、自意識的にコリンズ作品に回帰した作家として、サラ・ウォーターズの名が挙げられている。作品が解体され、その諸要素が各コンテクストごとに分析されているため、気楽に楽しめるとはいかないが、新たに発見されるべき作家コリンズを読み解くための鍵はふんだんに盛り込まれている。 
  

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

猿来たりなば (創元推理文庫)

猿来たりなば (創元推理文庫)

嘘は刻む (海外ミステリGem Collection)

嘘は刻む (海外ミステリGem Collection)

私が見たと蝿は言う (クラシック・セレクション) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

私が見たと蝿は言う (クラシック・セレクション) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミステリの書き方

ミステリの書き方

殺意 (創元推理文庫 (124‐1))

殺意 (創元推理文庫 (124‐1))

赤毛のレドメイン家 (創元推理文庫 111-1)

赤毛のレドメイン家 (創元推理文庫 111-1)

闇からの声 (創元推理文庫)

闇からの声 (創元推理文庫)

テンプラー家の惨劇   世界探偵小説全集 (42)

テンプラー家の惨劇 世界探偵小説全集 (42)

医者よ自分を癒せ (ハヤカワ・ミステリ 294)

医者よ自分を癒せ (ハヤカワ・ミステリ 294)

太陽がいっぱい (河出文庫)

太陽がいっぱい (河出文庫)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

白衣の女 (上) (岩波文庫)

白衣の女 (上) (岩波文庫)

白衣の女 (中) (岩波文庫)

白衣の女 (中) (岩波文庫)

白衣の女 (下) (岩波文庫)

白衣の女 (下) (岩波文庫)

夢の女・恐怖のベッド―他六篇 (岩波文庫)

夢の女・恐怖のベッド―他六篇 (岩波文庫)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.3〉ノー・ネーム(上)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.3〉ノー・ネーム(上)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.4〉ノー・ネーム(中)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.4〉ノー・ネーム(中)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈5〉ノー・ネーム(下)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈5〉ノー・ネーム(下)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.6〉アーマデイル(上)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.6〉アーマデイル(上)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈7〉アーマデイル(中)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈7〉アーマデイル(中)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.8〉アーマデイル(下)

ウィルキー・コリンズ傑作選〈Vol.8〉アーマデイル(下)

 

真冬のマジカル・ミステリー・ツアー〜P・ワイルド 『ミステリ・ウィークエンド』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

ミステリ・ウィークエンド (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

ミステリ・ウィークエンド (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

 Roll up。ようこそ、マジカル・ミステリー・ツアーへ。
 現代でこそ、ミステリー・トレイン、ミステリー・ツアーのような行先不明のツアーがあるが、1930年代にミステリの中でやってしまったのが、『ミステリ・ウィークエンド』(1938)。
 コネティカット州の小さな村、経営が傾いたホテルを立て直そうとオーナーが起死回生のアイデアとして打ち出した企画ミステリ・ウィークエンド。行先不明でツアーのチケットを売って旅行客を呼び込み、週末、ウィンター・スポーツを楽しんでもらおうというものだ。
 本作が、『検死審問―インクエスト』『検死審問ふたたび』『悪党どものお楽しみ』『探偵術教えます』と傑作・佳作が揃っているパーシヴァル・ワイルドのミステリ長編第1作とあれば、この趣向への期待は高まるというもの。本書には、このミステリ・ツアーや典型的な「雪の山荘」物の設定に加えて、語りの趣向も凝らされている。コリンズ『月長石』イネス『ある詩人への挽歌』がそうだったように、全四章の各章ごとに語り手が交代していくのだ。
 最初の語り手、アクの強い守銭奴の手記により、雪に閉ざされたホテルのミステリ・ウィークエンドのさなかに、客の男が手斧(トマホーク)で殺されている顛末が綴られる。続く医師の手記では、最初の語り手が失踪し、死体が消え、そして……。
 ツアーの行先が客たちに不明だったように、物語の行きつく先も最初のうちは見当もつかない。死体が表れては消え、また表れるといった状況に加え、作家を名乗る男や終始泣き続けているその夫人、ネイティブ・アメリカンの武器の収集家夫人、頭のねじのゆるんだ紳士など登場人物も謎だらけ。だれが探偵役かさえも不明なのだ。(終章では、真犯人より意外かもしれない探偵役が判明する)
 こうした混沌と謎解きが、個性豊かすぎる面々の笑劇じみた会話を縫うように繰り広げられるのだから、愉快なことは請け合い。
 四人四様の個性を浮き彫りしながら、続いていく語りのメドレーも効果的。廻り舞台のごとく、一方の視点では見えなかったものが立体化され、筋の進行とともに、事件の構図が変転していく面白さ。さすがに本職は劇作家だけあって、この時点で何を見せて何を見せないのかという情報管理を行き届かせている。読み返してみると、手がかりの大胆な提示に驚かされるし、クローズド・サークルの設定同様、この語りの趣向は、パズラーとしての本書の成立に不可欠なものだったことがわかるはずだ。
 さりげなく不可能状況が四回も登場することも特筆に値する。それぞれのトリックは小粒なものでも、ストーリーに密接に絡ませながら、それぞれ別の解法をこなしているのが小気味いい。
 短めの長編なのがもったいないくらい。ロジカルかつシアトリカルな構成でマジカルな効果を呼び寄せた秀作。
 短めの長編のせいで、ボーナストラックとして作者の短編が三つ収録されている。「自由へ至る道」の人情譚もいいが、『探偵術教えます』に唯一未収録だった、通信教育迷探偵モーラン物が収録されているのも嬉しい。 
 
熱く冷たいアリバイ (エラリー・クイーン外典コレクション)

熱く冷たいアリバイ (エラリー・クイーン外典コレクション)

 次に向かう先は、60年代、アメリカの郊外。
『熱く冷たいアリバイ』(1964)は、エラリー・クイーン外典コレクションの第3弾。代作者は、フレッチャー・フローラ
 夏の盛り、郊外に住む四組の夫婦のホームパーティ。一見仲良しのグループには、実は男女関係のもつれが潜んでいた。パーティが気まずく散会した翌日、主婦ナンシーが隣家のコナー家を訪ねると、夫人は殺害されており、コナー自身も会社で死亡していることが判明して……。
「密室」(『チェスプレイヤーの密室』)、「クローズドサークル」(『摩天楼のクローズドサークル』)と続いた外典の今度のテーマは「アリバイ」。
 単純な夫の妻殺しとみられた事件だが、ある事実が判明したことをきっかけに、事件は複雑な様相を呈していく。愛憎のもつれが背景にあるものの、冒頭から予想されるエロティックな要素はほとんどなく、事件の構図を解き明かすことに精力を注ぐつくりには好感がもてる。物語に渋滞がないのは、八人の男女を描き分けているフローラの作家としての実力も寄与していそうだ。
 捜査の過程でこみ入ったアリバイ工作が浮上してくるが、アリバイ崩しだけではなく、フーダニットの醍醐味もある。手がかりの提示や結末のサプライズへ畳みかけは、この度の外典三作の中で最もクイーン的と感じた。人妻ナンシーの魅力にどきまぎしてしまうマスターズ警部補のキャラクターもいい。厚みや奥行きには欠けるものの、ペーパーバックの謎解き物はかくあってほしいという佳作。
 
ウィルソン警視の休日 (論創海外ミステリ)

ウィルソン警視の休日 (論創海外ミステリ)

 次の行先は、ロンドン。
『ウィルソン警視の休日』(1928)は、『クイーンの定員』にも選ばれた短編集の初邦訳。
 G.D.H.コールは著名な経済学者・社会主義運動家で、マーガレット夫人との合作により長短併せて30冊以上のミステリを遺した。『百万長者の死』がよく知られている。
 そのシリーズ探偵、ヘンリー・ウィルスン警視は、『百万長者の死』事件を契機にロンドン警視庁を引退、私立探偵の事務所を開き、「ロンドンで最も有名な私立探偵」の称号を得るが、いつの間に警察に復職した人物。本書には、警察官、私立探偵双方の時期の事件が混在している。8編を収録。
 集中、既に邦訳のある「電話室にて」「ウィルソン警視の休日」がやはり光っている。「電話室にて」は初読時、密室トリックの印象が強かったが、証拠の断片を積み上げ冒頭の不思議な「ふくろう」に結びつけていく組立ての妙があるし、後者は無人のテントに残されたなにげない痕跡から犯罪を浮かび上がらせていく推理のユニークさがある。また、最後の「消えた准男爵は、幾つかのアイデアを組み合わせて巧妙につくられた秀作。
 パズラーとしては物足りないものの、「ボーデンの強盗」「オックスフォードのミステリー」などには、警視が事件を解決しなければならない物語の強度があり、弱者へのいたわりの視線も感じられる。
 ウィルソン警視の捜査手法は、派手さはまったくなく、証拠を丹念に積み上げるコツコツ派ながら、地に足のついた捜査と実直な人柄は、クイーンが「血肉を持った存在」と評したのも肯ける。
 
亡者の金 (論創海外ミステリ)

亡者の金 (論創海外ミステリ)

 イングランドスコットランドの「国境」地帯へ。
 J・S・フレッチャは、20世紀初頭に活躍した英国の小説家で、長短併せて100以上のミステリを書いている人。戦前に多く邦訳されているが、新訳長編が刊行されるのは、実に86年ぶりという。『ミドル・テンプル殺人事件』が代表作とされているが、筆者は未読。
 当時の人気作家の筆によるものといっても、書かれた年代から、古色蒼然としたスリラーが予感されるが、『亡者の金』(1920)は、大変、読み口がいい謎解き冒険物語だった。それは、ひとえに主人公のヒュー・マネローズの存在にある。21歳のヒューは、弁護士事務所の事務員で母親と二人暮らし。将来を誓ったメイシーという恋人がいるが、結婚資金がたまるまでは結婚はお預け中。どこにでもいる気立てのいい若者なのだ。
 そんなヒューの家に下宿した元船長の不可解な依頼に応じたばかりに、ヒューは相次ぐ殺人事件に巻き込まれる。事件の謎を探るヒューは背後に複数の思惑と陰謀が渦巻いていることを知る。
 悪人の魔手は、ヒューにも及ぶが、ヒューは度重なる危難をかいくぐっていく。ストーリーには曲折があり、ヒューと彼を取り巻く人々の運命も定まらない。謎が少しずつ解かれ、さらに謎を呼ぶ、こなれたストーリーテリングと相まって、青年の成長物語としても楽しめる。周囲の人たちが善悪はっきりしているのも、読み心地がいい理由だろうか。ミステリ史的にはスティーヴンソンとガーヴの間辺りに位置しそうな英国的冒険の物語。事件の舞台は北海に面したイングランドスコットランドとの「国境」の河口付近の村が中心になるが、その地方色も物語の魅力を添えている。
 
ミス・キューザックの推理 (ヒラヤマ探偵文庫)

ミス・キューザックの推理 (ヒラヤマ探偵文庫)

 ヴィクトリア朝ロンドンへ。
『ミス・キューザックの推理』が、精力的にクラシックの紹介を続けるヒラヤマ探偵文庫(電子書籍)から。
 女性探偵の歴史は古く、先月紹介したルーシー・ワースリー『イギリス風殺人の愉しみ方』によると、「モルグ街の殺人」と同年(1841年)、英国で登場したスーザン・ホプリーというメイドの探偵まで遡るらしい。
 ホームズにも女性ライヴァルがいても不思議でなく、ミス・キューザックは、1899年に登場した女性探偵。L・T・ミード、 ロバート・ユースタスは、英国の合作コンビ。ミード作では、マダム・コルチーという凶悪すぎる女賊キャラクターの小説が紹介されている(シャーロック・ホームズのライヴァルたち1』所収)が、お嬢さま探偵でも先鞭をつけているわけだ。本書は、雑誌に掲載されたまま埋もれ、1998年にカナダの出版社から初めて書籍化されたものという。6編収録。
 ミス・キューザックはロンドンの大きな屋敷に住む、若く美しい女性。社交界の華でもあり、スコットランド・ヤードの刑事全員から高い尊敬を受ける探偵手腕の持ち主、というから、いまどきのライトなミステリにもありそうなキャラクター。ワトスン役は、ロンスデール医師が務める。
 冒頭の「ボヴァリー氏の思いがけない遺言状」には、とんでもない遺言状が登場する。相続する資格のある三人のうち、故人が遺したソブリン金貨の重さに体重が一番近い人間が相続できる、というのだ。相続騒動の後に金貨消失事件が発生するが、「盗まれた手紙」的な意外な隠し場所が決まっている。続く短編は、競馬賭博で常に当てる男の謎、宝石運搬中に意識を失った男の謎、株取引で常に先回りする謎など、トリッキーなハウダニットでミステリ心をくすぐる。長さの問題もあって、物語的なふくらみは乏しく、ミス・キューザックのキャラクターも設定以上に深まらないのが残念。作者も意欲が失せたのか、最後の一編はロンスデール医師の単独捜査だ。もう少しシリーズ短編の数があれば、このヴィクトリア朝末期のお嬢さま探偵は、ホームズのライヴァルとして名を遺せたかもしれない。
 
モーリス・ルヴェル短篇集 3 古井戸

モーリス・ルヴェル短篇集 3 古井戸

 20世紀初頭のフランスへ
モーリス・ルヴェル短篇集3 古井戸』は、先般、シンジケートサイトでも訳者ご自身により紹介された電子書籍
 うかつにも気づいておりませんでした。オリジナルの第一短編集『地獄の扉』から本邦初訳タイトルを中心に集めたシリーズの第三巻。これで、第一短編集については、全編日本語で読めるようになったという。5編収録。どれも短い枚数ながら、愛憎入り混じる人生の皮肉を意外性に富んだ劇的構成で描いている。盲人の最後の選択の苦さが強烈な「奇蹟」が特に印象深い。
  最後は、清朝末期の不思議な地帯へ。
 ホームズのパロディは、ボヘミアの醜聞ストランド・マガジンに連載され始めた早くも翌年の1892年、ロバート・バーによるものが嚆矢とされているようだが、中国清朝でも翻訳はおろか、パロディ、パスティッシュが書かれていたというのだから、驚かざるを得ない。文化の伝播と吸収のスピードに改めて恐れ入るとともに、名探偵という黒船がもたらしたカルチャーショックの大きさを物語っていると思う。
『上海のシャーロック・ホームズには、清朝末期に中国人によって書かれたホームズ・パロディ、パスティッシュを7編収録。「訳」とあっても原典がない、つまり創作が収められている。
 冷血という作者による表題作は、短いものだが、ホームズをパロディ化したようでいて、当時の上海人に手厳しい皮肉を放つ。
 ある程度の長さのあるものとして、桐上白侶鴻訳「福爾摩斯(フウアルモス)最後の事件」は、強烈なインパクトをもっている。
 主要舞台は亜勒比斯(アルプス)のふもと鏡岩(チングイエン)村。主要人物は雅魯(ヤアルウ)に、その娘・錦霞(チンシア)……という具合。わが国の黒岩涙香による翻案物のように、ヨーロッパが舞台ではあるが、登場人物には中国名が当てられている。そればかりではなく、作中の人物の心情やふるまいは、ヨーロッパ人のそれとは到底思えない。
 また、物語は、数ページの節の連なりから成り立っており、節の終りには、詠嘆調・教訓調の詩句めいた短文が置かれ、節の末尾は「あとのことを知りたくば、次をご覧じろ」で結ばれる。中国の伝統的小説形式に探偵物語が流し込まれたものなのだ。
 物語は、資産家・雅魯の不審な死と錦霞の従妹の殺人事件をめぐって進むが、第十節「神探偵の登場」になって、やっと福爾摩斯(=ホームズ)と国海(クオハイ=ワトスン)が紹介される。ホームズは「探偵の聖人」と絶賛されているが、ワトスンの方は「医術に関してまったく精通していない状態だったから、彼に診てもらう人はいなかった」「生まれつき品行が軽はずみで滑稽な性格」とさんざん。
 ホームズがなぜかパリに事務所を構えていたり、理由も説明されずホームズは事件のあと引退してしまったりと、ノンシャランなところもあり、探偵小説的な創意にも乏しいが、読んでいる間の何処ともしれぬ場所の物語を読んでいるような独特の浮遊感は珍なる体験だった。
 一方、ワトスン著(実際の「訳者」は不明)「主婦殺害事件」は、弁護士夫人の焼死の謎を扱ったもので、トリックとしては古くからあるものだが、ワトスンの単独捜査やホームズの奇矯なふるまいをうまくストーリーに織り込み、ミスディレクションも効かせている。別な英国探偵小説のプロットを流用したのではないかと思えるほど、この時代としてはできがいい。後に、正典の長編で用いられるモチーフが使われているのも何かの因縁か。
 次回刊行予定として、「インド篇」が掲げられているが、この旅はどこまで続くのだろうか。
 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
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検死審問―インクエスト (創元推理文庫)

検死審問―インクエスト (創元推理文庫)

検死審問ふたたび (創元推理文庫)

検死審問ふたたび (創元推理文庫)

悪党どものお楽しみ (ミステリーの本棚)

悪党どものお楽しみ (ミステリーの本棚)

探偵術教えます (晶文社ミステリ)

探偵術教えます (晶文社ミステリ)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

ある詩人への挽歌 (現代教養文庫―ミステリ・ボックス)

ある詩人への挽歌 (現代教養文庫―ミステリ・ボックス)

百万長者の死 創元推理文庫 (1959年)

百万長者の死 創元推理文庫 (1959年)

イギリス風殺人事件の愉しみ方

イギリス風殺人事件の愉しみ方

モーリス・ルヴェル短篇集 1 鴉(からす)

モーリス・ルヴェル短篇集 1 鴉(からす)

モーリス・ルヴェル短篇集 2 大時計

モーリス・ルヴェル短篇集 2 大時計

 

世界の終りの神聖喜劇〜S・ジャクスン『日時計』他(執筆者:ストラングル・成田)

 
 年も明け、今年も、びっくりするようなミステリと出逢えますように。
 文章の最後の方に、「2015年のクラシック・ミステリ」と題する回顧を書いていますので、御笑覧いただければ幸いです。
 

噂のレコード原盤の秘密 (論創海外ミステリ)

噂のレコード原盤の秘密 (論創海外ミステリ)

 さて、最初は、懐かしのフランク・グルーバー
『噂のレコード原盤の秘密』(1949)は、5冊の長編が翻訳されているジョニー・フレッチャー&サム・クラッグというコンビ物の久しぶりの邦訳。旧『宝石』誌で『レコードは囁いた…』として抄訳版があるものの、完全な形での紹介は初めて。
 ジョニーとサム、二人の生業は、いわゆる香具師テキ屋の類。全米各地を放浪しながら、街頭で実演の上で、インチキなボディビル本を売りつけ、糊口をしのいでいる。頭脳担当はもっぱらジョニーで、体力担当はサムの方、アンバランスな二人だが、その絆は固い。
 毎度、犯罪に巻き込まれるが、今回は、大物歌手が事故死直前に録音した、この世に一枚しかないレコード原盤が絡んだ事件。
 歌手志望の若い女性がニューヨークの安ホテルの一室で殺害される。犯人が欲していた金属製のレコード原盤は、死の直前に、彼女が窓から放り投げ、こともあろうに、サムとジョニーの宿泊する部屋へ。二人は、原盤の争奪戦に巻き込まれ、犯人探しにも手を出すことになる。
 もしかすると、犯人探しよりも面白いかもしれないのが、ジョニー&サムのサバイバル術。職業柄、二人はいつも素寒貧だ。本書のオープニングでは、安ホテル代も尽きて、ジョニーは断りもなくサムの服を質入れしており、サムはベッドから出られない始末。生活費を稼ぐべく、銀行、ショップ、質屋を往復するジョニーの涙ぐましい錬金術は必見で、本書のお楽しみの一つ (といっても負債は増える一方)。
 事件の方は、ジョニーの頭脳と弁舌の冴えで、レコードの秘密と殺人犯の正体に肉薄していくが、その途上では、『フランス鍵の秘密』でのライバルだった私立探偵トッドの登場や、レコード業界の内幕話、サムの誘拐あり、とにぎにぎしい。終幕、会社の株をもった関係者が集まる謎解き場面では、株主総会の様相を呈するなど、創意も凝らされている。ユーモラスで気の利いた会話、笑いをふんだんに盛り込んだストーリーテリングは、このコンビ物の気取らない楽しさを改めて教えてくれる。
 
ルーン・レイクの惨劇 (論創海外ミステリ)

ルーン・レイクの惨劇 (論創海外ミステリ)

 ケネス・デュアン・ウイップル『ルーン・レイクの惨劇』(1933) は、著者の処女長編。といっても、この作者の名を聞いてピンとくる読者がいたら、相当の豪の者だ。アメリカ本国でも忘れ去られている作家が、日本の読者に少しでもなじみがあるとしたら、戦前に、横溝正史の手によって、著者の『鍾乳洞殺人事件』が抄訳されていることによるものだろう。(『横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝』に収録) これは、鍾乳洞が舞台のミステリで、戦後に書かれ、同じく鍾乳洞が重要な舞台となる正史の『八つ墓村』にも影響をもたらしているものと思われる。ウイップルなかりせば、現在の形の『八つ墓村』はなかったわけだ。
 
 大学時代の旧友で「四匹のキツネたち」と自称する四人は、毎年、ルーン・レイク湖畔で、家族連れで避暑を楽しんでいたが、今年の避暑は血塗られたものになった。湖畔に集う男女十人に殺人鬼の影が襲いかかる。
 探偵役は、「四匹のキツネ」の一人であるブレントウッド弁護士。語り手はその甥で、避暑に参加した「私」。
 本書は、パルプ雑誌に掲載されたそうで、『鍾乳洞殺人事件』同様、通俗味が強い作風。今、書き直せば、スラッシャー・ホラーミステリということにでもなるだろうか。とにかく矢継ぎばやに事件が起こる。冒頭のモーターボートが岸壁にぶつかって大破するシーンから始まり、キャンプ周辺のうろつく影、深夜の銃撃戦、湖底に蠢く怪物らしきもの、殺害されかかる探偵、そして密室二重殺人……。邦訳230頁ほどの短い長編に、これだけのイベントラッシュだから、コクや味わいといったものとは無縁だが、限定された空間での殺人鬼の跳梁に、一気に引っ張られる快感は確かにある。しかし、深海の怪物や二重密室の謎といった展開が派手なだけに、謎解きはいささかあっけなく、フェアプレイや手がかりの妙味といったものには欠ける。
 30年代英米本格というと、スクエアな本格ばかりというイメージだが、昨年のキーラーにしろ、このウイップルにしろ、作風は異なるとはいえ、パルプ風味の本格ミステリが同時に存在していたことには、興味をかきたてられる。
 
ジャック・リッチーのびっくりパレード (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ジャック・リッチーのびっくりパレード (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 ジャック・リッチー『ジャック・リッチーのびっくりパレード』は、一昨年の『ジャック・リッチーのあの手この手』に続く、早川ポケミス小鷹信光編リッチーのオリジナル短編集。
 昨年11月の本欄で、同氏訳のダシール・ハメット『チューリップ』を紹介したばかりだが、小鷹氏は、昨年12月に逝去された。闘病の傍ら、本当に最後まで仕事を続けられたわけで、最大限の敬意を表したい。翻訳ミステリになじんできた人なら、同氏の訳業や評論、アンソロジー等に恩恵を受けなかった人は、まずいないだろう。深く哀悼の意を表する次第です。
  
 日本オリジナル短編集『クライム・マシン』(2005)以来、6冊目の短編集となるわけだが、編訳者あとがきによると、『あの手この手』と同様、すべてが本邦初訳とあるから、その未訳作の中から珠を渉猟する作業も並大抵ではなかったはず。編者の苦労が偲ばれる。『あの手この手』では、作品配列に趣向が凝らされていたが、本書は、デビュー作、遺作を含め、シンプルに発表順の配列になっている。 
 作品は、これまでの短編集に比べても、遜色のないセレクト。SF風味の作品が幾つかみられること、ワンアイデアを巧みに生かした短編から叙述に余裕のある短編への時代的な作風の変化も読み取れるのが本書の特徴だろうか。
 迷推理で事件をこじらせていくターンバックル部長刑事物が3編、カーデュラ探偵社物が1編収められているのも嬉しい。「村の独身献身隊」「ようこそ我が家へ」「四人で一つ」「帰ってきたブリジット」「夜の監視」とお気に入りを並べても、アイデアや軽妙なタッチ、というにとどまらない作風の幅を改めて知らされる。
 リッチーの最後の短編「洞窟のインディアン」が収録されているが、その遺作にふさわしい内容と、それに対する小鷹氏のコメントをみるにつけ、二人の姿が重なってみえてしまうのをいかんせん。
 
日時計

日時計

 昨年末、短編集『なんでもない一日』が久しぶりの邦訳となったシャーリイ・ジャクスンだが、今度は、『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』より前に書かれた長編日時計(1958)の登場である。
 なんとも形容しにくい小説である。ジャンル小説とはいい難い。好感がもてる登場人物は、まずいない。ただ、読み出したら、小説中の屋敷の住人のように、囚われてしまう、そんな小説だ。
 舞台は、広壮なハロラン家のお屋敷。幕開けは、当主の息子ライオネルの突然の死だ。当主のリチャードは、車椅子の身で老人ぼけが出ており、屋敷の実権は、その妻オリアナが握ることになる。オリアナは、リチャードの妹ファニーやライオネルの嫁らを屋敷から追い出そうと画策するが、そんなとき、ファ二ーは、既に亡くなっている先代の当主(ファニーの父)から奇妙なお告げを聴く。空から、大地から、海から危険は迫っている。屋敷にいれば安全だ。
 不思議なことに、このお告げの内容は屋敷の住人たちに次第に伝染し、彼らは屋敷にこもることで、世界の崩壊から生き延びようとする。
 主要登場人物の数は多いが、開巻数ページで、不和と秘密が渦巻く屋敷の自己中心的な住人たちが見事に描き分けられる。
 屋敷は、もう一人の主人公ともいえる存在。先代が莫大な資産をつぎ込んで建てたもので、際限なく飾られ、様々なことばが屋敷と敷地のあちこちに刻まれている。屋敷の象徴ともいえる庭の日時計には、『カンタベリー物語』からの引用で「この世はなんなのだろう?」と刻まれている。屋敷の存在感、「内」と「外」のモチーフは、この小説の後の『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』にもつながっていくものだ。
 住人たちは、屋敷を新世代の箱舟のごとく見立て、迫りくる日から逃れるため、必要な物資(若い男まで!)を調達し、村人たちとのお別れのパーティまで企画する。そこには、奇妙な祝祭感すら漂っている。
 本書には、屋敷に刻まれた言葉、ロビンソン・クルーソーからの引用、殺人事件で有名になった村など様々な読みを誘発しそうな要素が散りばめられているのだが、作者は決してひとつの読みに誘導しようとはしていない。物語の背景には、核危機など現実の危機の影響もあるのかもしれないが、取り立てて言及されることもない。
 頭の中が生み出したこの世の終りに右往左往する人たちを、辛辣に、いくばくかの人間的共感をもって描いた神聖喜劇と捉えてみたが、どうだろうか。
 話が話だけに、結末が大きく気になる小説だが、実際に最後の一行を読み終えてみると、なるほど、これしかないかもしれない。
 
ウィスキー&ジョーキンズ: ダンセイニの幻想法螺話

ウィスキー&ジョーキンズ: ダンセイニの幻想法螺話

 ロード・ダンセイニ『ウィスキー&ジョーキンズ』
 ロード・ダンセイニといえば、『ペガーナの神々』などで知られる幻想文学の巨匠。ミステリファンには、奇妙な味の代表ともいえる「二壜の調味料」(二壜のソース)で忘れ難い作家だろう。同短編にも登場する探偵リンリー物の短編を収録し、クイーンの定員にも選ばれた短編集『二壜の調味料』が早川ポケミスで紹介されたのも、まだ記憶に新しいところ。
 本書は、ジョーキンズという語り手がビリヤード・クラブというクラブで、自らの体験談を披露するという体裁の短編シリーズ。なぜ、ウィスキーなのかというと、ウィスキー&ソーダが好物だからで、金運には恵まれないジョーキンズは、ウィスキーにありつくために、皆に話を披露しているらしい(本人は何度も否定しているが)。 
 本書には、ダンセイニが四半世紀にわたって書き続けたシリーズ短編120編以上から、23編を収録。精選集だけあって、粒がそろっている。
 ジョーキンズの話は、例えば、最初の一編「アブ・ラヒーブの話」は、アフリカに生息する突拍子もない能力をもつ動物狩りの話、「失なわれた恋」は、地中海の島での顔を見せない美女との恋愛奇譚、といった具合に、主に異国での体験をベースにした愉快でホラ話であり、本人は、ミュンヒハウゼン男爵呼ばわりが、つらいともいっている。その限りで、大いに愉しめる読み物なのだが、「渇きに苦しまない護符」の宿命性、「奇妙な島」や「サイン」の恐怖、「夢の響き」の幻想性など、一編ごとに様々な色合いがあって、単なるホラ話といってすまないものも多い。
 通して読むと、ダンセイニの想像力あるいは幻視力の非凡さには感嘆させられる。
 例えば、「ライアンは如何にしてロシアから脱出したか」の中で、話し手(珍しくジョーキンズではない)は、パリのチェスクラブを訪れる。自分のゲームから顔を上げて他の対戦者の勝負をみると、二人の対戦者はナイトの動かし方をまったく知らないのだと気づく。「これはチェスクラブなんかじゃない」
 この、見知らぬものがぬっと顔を突き出し、世界が歪むような感覚。物語のはじまりにすぎないのだが、常人には予期できない方角から日常の関節を外す力の凄味が伝わるようなシーンだ。同じことは、謹厳な田園生活の裏でサテュロスを雇い人としているという「リルズウッドの森の開発」の題材や、「薄暗い部屋で」ストーリーテリングなど至るところに表れている。
 ジョーキンズのホラ話が、クラブで披露されていることは、重要だ。暇を持て余した安逸の民の足下は、実は、薄い皮一枚で、驚異や幻想、秘跡の世界と地続きになって広がっていることを端的に示しているのだから。
 
けだものと超けだもの (白水Uブックス)

けだものと超けだもの (白水Uブックス)

 サキ『けだものと超けだもの』
 サキの短編には、動物が出てくるものが多く、筆者はサキ短編十二支を試みたこともあったのだが、まさにこの短編集が動物尽くしであることに気づいていなかった。これも、短編集完訳の役得というものだろう。『けだものと超けだもの』(1914)は、昨年の『クローヴィス物語』に続くオリジナル完訳短編集。エドワード・ゴーリーの挿絵を収録。
「開けっぱなしの部屋」「話上手」といった名作も本書に収録。語りの技巧的にも、『クローヴィス物語』よりもさらに完成度を増している感がある。お気に入りは、「ローラ」「沈没船の秘宝」「鉄壁の煙幕」あたり。前記ダンセイニの作と思わぬオーバーラップがあるのも面白い。語彙がカラフルで現代的な訳も、従来の訳文と読み比べてみたい。
 
四角い卵 (サキ・コレクション)

四角い卵 (サキ・コレクション)

 もう一つ。サキ『四角い卵』は、風濤社サキ・コレクション第一弾『レジナルド』に続く、第二弾。第5短編集、第6短編集からの作品を中心に、12編を収録。
「警告されて」などの辛辣さは相変わらずだが、本書には、地獄に議会があったという奇想譚「地獄の議会」があったり、「幸福の王子」風の童話めいた「地獄に堕ちた魂の像」があったり、一次大戦に従軍して戦死する直前に書かれた達観したようなエッセイ西部戦線の鳥たち」があったりと幅広い表情をみせている。塹壕戦の泥濘の話から始まり、断ち切るかのように落とす表題作は名編。 
 
イギリス風殺人事件の愉しみ方

イギリス風殺人事件の愉しみ方

 ノンフィクションながら、ルーシー・ワースリー『イギリス風殺人事件の愉しみ方』(2013)は、クラシック・ミステリ読書のサブ・リーダーとして有益だ。19世紀の現実の殺人から、黄金時代の紙上の殺人まで英国国民は、殺人をどう愉しみ、消費してきたかを気鋭の女性文化史家が辿った本。いかに、英国国民が現実の殺人に熱狂してきたかは、R.D.オールティックの著書などでも明らかにされているが、同名のTV番組制作と同時に書き進められたようで、豊富なエピソードと取材で楽しく読める概説書となっている。ただ、ミステリ関係の固有名詞などは、従来の訳と異なるものが見られ、違和感をもったことも書き添えておく。
 
 

◆2015年のクラシック・ミステリ

 
 充実の一年だった。
 けれども、筆者のキャパシティの問題で、新訳・再刊などは一部を除き、ほとんど取り上げることができなかったのは、大変残念。
 
 新訳では、ランドル・ギャレット『魔術師を探せ!』セバスチャン・ジャプリゾ『新車のなかの女』、マーカレット・ミラー『まるで天使のような』ディクスン・カー(カーター・ディクスン)やエラリー・クイーンの諸作、再刊ではジェイムズ・ヤッフェ『ママは何でも知っている』やトマス・フラナガン『アデスタを吹く冷たい風』などの傑作・秀作群は、未読の方には、ぜひ手に取っていただきたいものだ。
魔術師を探せ! 〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 新車のなかの女【新訳版】 (創元推理文庫) まるで天使のような (創元推理文庫) 髑髏城【新訳版】 (創元推理文庫) 九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫) ママは何でも知っている (ハヤカワ・ミステリ文庫) アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
 
 2015年刊で本欄に取り上げた本は、50冊ほど。
 論創海外ミステリがコンスタントに毎月複数冊刊行しているのに加えて、原書房のヴィンテージ・ミステリや老舗の創元推理文庫も頑張ってくれた。意外なところでは、ちくま文庫から、ヘレン・マクロイが出たことで、今年も期待できそうだ。電子書籍では、平山雄一氏「ヒラヤマ探偵文庫」も眼が離せない。
 
 ジャンル分けに異論もあるかもしれないが、便宜上、懐かしの創元マークの分類にならって2015年のクラシック・ミステリを振り返ってみる。
 
 おじさんマーク(本格)系の作品では、ここまで出してくれるのかと驚きを伴うのが、随分刊行された。クラシック本格の発掘のツルハシが、埋もれた古層まで届いてコツンと音がしたとでもような。ハリー・スティーヴン・キーラー『ワシントン・スクエアの謎』、ヴァージル・マーカム『悪夢はめぐる』、C・デイリー・キング『いい加減な遺骸』、クレイグ・ライス『ジョージ・サンダース殺人事件』。それに、エラリー・クイーンのペーパーバック・オリジナルから本格味が強いものとして『チェスプレイヤーの密室』『摩天楼のクローズドサークルまで出版された。「狂える天才」キーラーや、マーカムの混沌、キングの人工性は、その突拍子もなさも含めて、「事件」だった。
 ビッグネームでは、パトリック・クエンティン『犬はまだ吠えている』、クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』、ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』などが実力を見せつけてくれた。
 その他、英国クラシックでは、ヴァル・ギールドッド&ホルト・マーヴェル『放送中の死』、E・C・R・ロラック『曲がり角の死体』、ジョージエット・ヘイヤー『グレイストーンズ屋敷殺人事件』、クリストファー・ブッシュ『中国銅鑼の謎』ジョン・ロード『ラリーレースの惨劇』など。イーデン・フィルポッツ『だれがコマドリを殺したのか?』とハリントン・へクスト『だれがダイアナ殺したの?』、同一作がほぼ同時期の刊行になったのはやむを得ないとはいえ、もったいなかった。
 米国では、ロジャー・スカーレット『白魔』の完訳をはじめ、ティモシー・フラー『ハーバード同窓会殺人事件』、ラング・ルイス『友だち殺し』、ベイナード・ケンドリック『暗闇の鬼ごっこ、ミニヨン・G・エバーハート『スーザン・デアの事件簿』など。いずれも、個性豊かで特筆すべき点がある。アメリカのシャーロック・ホームズのライバル、クレイグ・ケネディ登場のアーサー・B・リーヴ『無音の弾丸』は時代性も含めて楽しめたし、レックス・スタウト『ようこそ、死のパーティーへ』も堪能できた。
 6、70年代の本格では、D・M・ディヴァイン『そして医師も死す』、ハリー・カーマイケル『リモート・コントロール。カーマイケルは初紹介だが、最小の補助線で最大限の驚きを生んでいるのには唸らされた。
 その他では、エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事』シリーズの刊行が続いている。
ワシントン・スクエアの謎 (論創海外ミステリ) 悪夢はめぐる (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ) いい加減な遺骸 (論創海外ミステリ) ジョージ・サンダース殺人事件 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ) チェスプレイヤーの密室 (エラリー・クイーン外典コレクション) 摩天楼のクローズドサークル (エラリー・クイーン外典コレクション) 犬はまだ吠えている (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ) 薔薇の輪 (創元推理文庫) あなたは誰? (ちくま文庫) 放送中の死 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ) 曲がり角の死体 (創元推理文庫) グレイストーンズ屋敷殺人事件 (論創海外ミステリ) 中国銅鑼(チャイニーズ・ゴング)の謎 (論創海外ミステリ) ラリーレースの惨劇 (論創海外ミステリ) だれがコマドリを殺したのか? (創元推理文庫) だれがダイアナ殺したの? (論創海外ミステリ) 白魔 (論創海外ミステリ 156) ハーバード同窓会殺人事件 (論創海外ミステリ) 友だち殺し (論創海外ミステリ) 暗闇の鬼ごっこ (論創海外ミステリ) スーザン・デアの事件簿 (ヒラヤマ探偵文庫) 無音の弾丸 (ヒラヤマ探偵文庫) ネロ・ウルフの事件簿 ようこそ、死のパーティーへ (論創海外ミステリ) そして医師も死す (創元推理文庫) リモート・コントロール (論創海外ミステリ) 怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)
 
 猫マーク(サスペンス・スリラー)系の作品では、エドガー・ウォーレス『淑女怪盗ジェーンの冒険』『真紅の輪』、サックス・ローマー『悪魔博士フー・マンチュー、E・フィリップス・オッペンハイム『日東のプリンス』、ジョストン・マッカレー『仮面の佳人』、ハーマン・ランドン『灰色の魔法』、ジョン・P・マーカンド『サンキュー、ミスター・モト』と、随分クラシカルなところが紹介された。特に、『真紅の輪』には、現代にも通じるスリラーの原型をみる思い。
 戦前訳のみだったジョルジュ・シムノン『紺碧海岸のメグレ』や、フレドリック・ブラウンエド&ハンター物『アンブローズ蒐集家』、パトリック・クエンティンのピーター&アイリス物『死への疾走』とシリーズのラストピースが埋まったのも慶事だった。映画化の影響で、キリル・ボンフィリオリのチャーリー・モルデカイ・シリーズがすべて出たし、マーガレット・ミラーの秀作『雪の墓標』が論創海外ミステリから初刊行されたのもありがたかった。
淑女怪盗ジェーンの冒険―アルセーヌ・ルパンの後継者たち (論創海外ミステリ) 真紅の輪 (論創海外ミステリ) 悪魔博士フー・マンチュー (ヒラヤマ探偵文庫) 日東のプリンス (ヒラヤマ探偵文庫) 仮面の佳人 (論創海外ミステリ) 灰色の魔法 (論創海外ミステリ) サンキュー、ミスター・モト (論創海外ミステリ) 紺碧海岸のメグレ (論創海外ミステリ) アンブローズ蒐集家 (論創海外ミステリ) 死への疾走 (論創海外ミステリ) チャーリー・モルデカイ (1) 英国紳士の名画大作戦 (角川文庫) チャーリー・モルデカイ (2) 閣下のスパイ教育 (角川文庫) チャーリー・モルデカイ (3) ジャージー島の悪魔 (角川文庫) チャーリー・モルデカイ (4) 髭殺人事件 (角川文庫) 雪の墓標 (論創海外ミステリ 155)
 
 拳銃マーク(警察・ハードボイルド)系の作品では、リチャード・S・ブラザー『墓地の謎を追え』ダシール・ハメット『チューリップ』、ジョルジョ・シェルバネンコ『虐殺の少年たち』と、やや寂しい。
 時計マーク(法廷、倒叙その他)系の作品では、フランシス・ディドロ『七人目の陪審員アイロニーに満ちた法廷ミステリとして屈指の作。
 帆船マーク(怪奇と冒険)系の作品で唯一取り上げたのは、アリス&クロード・アスキュー『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』
墓地の謎を追え (論創海外ミステリ) チューリップ ダシール・ハメット中短篇集 虐殺の少年たち (論創海外ミステリ) 七人目の陪審員 (論創海外ミステリ) エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿 (ナイトランド叢書)
  
 その他、サキ『レジナルド』『クローヴィス物語』『サキ―森の少年』、非ミステリだが、パトリシア・ハイスミスの未訳作『キャロル』、シャーリイ・ジャクスンの短編集『なんでもない一日』もファンを喜ばせた。
レジナルド (サキ・コレクション) クローヴィス物語 (白水Uブックス) サキ―森の少年 (世界名作ショートストーリー) キャロル (河出文庫) なんでもない一日 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)
 
 ある映画史家のことばに、「古い映画というのはない」というのがあるそうだが、同様に「古いミステリというのはない」ともいえそうだ。書かれた時代が古くても、創意に富んだミステリは、我々の前に常に新しい姿で立ち現れてくる。今年も、クラシックなミステリがどのような姿を見せてくれるのか括目したい。
 
では、最後に2015年私的ベスト10+1を。
 

作者 作品 Amazon
1 ハリー・カーマイケル『リモート・コントロール リモート・コントロール (論創海外ミステリ)
2 ヴァージル・マーカム『悪夢はめぐる』 悪夢はめぐる (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)
3 フランシス・ディドロ『七人目の陪審員 七人目の陪審員 (論創海外ミステリ)
4 イーデン・フィルポッツ『だれがコマドリを殺したのか?』 だれがコマドリを殺したのか? (創元推理文庫)
5 クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』 薔薇の輪 (創元推理文庫)
6 マーガレット・ミラー『雪の墓標』 雪の墓標 (論創海外ミステリ 155)
7 ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』 あなたは誰? (ちくま文庫)
8 E・C・R・ロラック『曲がり角の死体』 曲がり角の死体 (創元推理文庫)
9 ジョルジョ・シェルバネンコ『虐殺の少年たち』 虐殺の少年たち (論創海外ミステリ)
10 パトリック・クエンティン『犬はまだ吠えている』 犬はまだ吠えている (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)
+1 中村融『街角の書店』 街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)

        


ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

八つ墓村 (角川文庫)

八つ墓村 (角川文庫)

クライム・マシン (河出文庫)

クライム・マシン (河出文庫)

チューリップ ダシール・ハメット中短篇集

チューリップ ダシール・ハメット中短篇集

丘の屋敷 (創元推理文庫 F シ 5-1)

丘の屋敷 (創元推理文庫 F シ 5-1)

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)

ペガーナの神々 (ハヤカワ文庫FT)

ペガーナの神々 (ハヤカワ文庫FT)

二壜の調味料 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

二壜の調味料 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

最後の夢の物語 (河出文庫)

最後の夢の物語 (河出文庫)

世界の涯の物語 (河出文庫)

世界の涯の物語 (河出文庫)

クローヴィス物語 (白水Uブックス)

クローヴィス物語 (白水Uブックス)

レジナルド (サキ・コレクション)

レジナルド (サキ・コレクション)

 

女が女を愛するとき〜P・ハイスミス『キャロル』他(執筆者:ストラングル・成田)

 
 今年は独りでクリスマス? では、『キャロル』をどうぞ。
  

キャロル (河出文庫)

キャロル (河出文庫)

 クリスマス商戦のさなか、デパートのおもちゃ売り場でアルバイトをする19歳の女性テレーズは、美しい人妻と出会う。彼女の名はキャロル。
 パトリシア・ハイスミス『キャロル』(1951)については、訳者の柿沼瑛子さんが既に詳しく紹介してくださっている。(「訳者自身による新刊紹介」)
 とにかく出会いのシーンが鮮烈だ。売り場に現れた、すらりとした背の高いブロンドの女性。「瞳はほとんど透明といってもいいほどの薄いグレーだが、それでいて光や炎のように強烈な印象を与える」
 デイヴィッド・グーディスジム・トンプスンの小説の主人公たちが一瞬にして恋に落ちてしまうように、テレーズはキャロルの瞳にとらわれる。そこには、恋する主体がやさぐれた男と、まだ何者でもない小娘という違いがあるだけだ。実際、女が女を愛するという部分を抜きにしてみると、本書は、「おくめんもないほど素直な恋愛小説」(訳者あとがき)なのだ。
 ただ、特徴的なのは、主人公テレーズが、内気で孤独な娘ゆえ、彼女の行動には、未成熟の娘らしい純度、不安定、身勝手さ、偏狭さがあり、感情の振幅も大きい。キャロルはテレーズのことを「わたしのかわいいみなし子さん」と呼び、「あなたはどんなものに対しても自分のとらえ方をあてはめようする」という。テレーズの性向は、大人の女であるキャロルと対照的だ。
 クリスマス風俗を交えて綴られるテレーズの日常、キャロルの家庭の事情が明らかになっていく第一部、キャロルに誘われアメリカ横断の自動車旅行に出るロードムービー的な第二部を通じて、テレーズは恋愛の歓喜と不安、嫉妬の感情を行き来する。第二部では、二人を追う存在が現れ、己と愛する者をいかに守るかというサスペンスの要素も盛り込まれている。愛が満たされる歓喜とともに、テレーズが世界中を敵にまわしたような感覚に身を浸されるところは、ハイスミス的。
 旅先の図書館でのいささか不可解なテレーズの心変わり(それは成長とも呼べるものだ)を経て、再会をするシーン。二人の立場は微妙に逆転している。キャロルの瞳には「切なげなもの」が浮かんでいる。しかし、気まぐれで誇り高いキャロル像が崩れないのがいい。ここに至って、本書は文字どおりキャロルの小説でもあることが明らかになる。
 幕切れは多くの読者の共感を読んだという。出会いの鮮烈さと同様、映像が浮かぶようなラストシーンだが、結末に共感しつつも、人妻とみなし子が、二人の女になったという変化もまた読者は受け入れるべきなのだろう。
 
虐殺の少年たち (論創海外ミステリ)

虐殺の少年たち (論創海外ミステリ)

 ジョルジュ・シェルバネンコ『虐殺の少年たち』 (1968)は、イタリアのミステリ界の重鎮によるドゥーカ・ランべルティ物第三作。元医師ドゥーカを主人公にした第一作『傷ついた女神』で冷え冷えとした情感を漂わせながら社会悪を追及した作者の境地はさらに深まっている。
 夜間定時制校の教室で若い女教師が強姦暴行され死に至る。警察は、13歳から20歳の生徒11人による犯行と断定し逮捕する、という衝撃的なオープニング。
 今は警察官になっているドゥーカは、教室を検分しながらも、怒りと絶望でタバコを吸う手がとまらない。生徒たちの尋問を進めるが、いずれも自分は関わっていないと繰り返すのみ。生徒の大部分は鑑別所送りの経験があるか、父親はアル中、母親は売春といった境遇にある。
 作者は、この捜査官が葛藤せざるを得ない状況を描きだすのが巧みだ。既に冒頭で、ドゥーカは、妹の娘が高熱に苦しんでいるという個人的事情を抱え、さらに、明朝には全員予審判事に引き渡すという条件を付けられている。全編にわたり、こうした様々な制約の中で、ドゥーカは苦しみながら、真実をたぐりよせようと苦悩する。
 細い糸をたどるような捜査を続けるうちに、少年たちの行動の背後にある強烈な悪意が浮かんでくるストーリーに加え、少年たちの置かれた劣悪な環境、同性愛者への蔑視、精神医療制度の問題、麻薬など現代世界にも通じる当時のイタリアの病巣も露になってくる。
 一方で、鑑別所に収監されている少年がドゥーカのもとで暮らすくだりには、一条の光がみえる。
 リアルな人物群像、巧みなストーリーテリング、社会悪の凝視と途切れることのない緊張感で事件の顛末を描き切った一級品。
 
中国銅鑼(チャイニーズ・ゴング)の謎 (論創海外ミステリ)

中国銅鑼(チャイニーズ・ゴング)の謎 (論創海外ミステリ)

『中国銅鑼の謎』(1935)は、『完全殺人事件』などで知られる英国のクリストファー・ブッシュによる本格ミステリ論創社では、『失われた時間』(毎夜叫び声が上がる家という特異な設定と鮮やかな謎解きが結びついた秀作ですぞ)に続く二冊目の邦訳となる。
 食事を知らせる中国銅鑼の音が鳴り響いた瞬間、屋敷の主人が射殺される。近くにいたのは遺産相続人である四人の甥と、執事、弁護士。
 というゴリゴリの本格物でありながら、冒頭は、不況にあえぐ複数の甥たちの殺意が暗示されるというように半倒叙風の趣もある。アリバイ物を得意とするブッシュだが、本書では別な趣向で勝負しているわけだ。
 探偵役は、他のブッシュ作品と同様に、ルドヴィク・トラヴァーズ。変人が多い探偵たちの中では、穏やかで人好きがする屈指の好人物だが、今回は、手がかりが多すぎる事件に、きりきり舞いさせられることになる。
 実際、失われた凶器を探して近くの池の水を抜くと三丁もの銃が発見される始末。捜査が進めば進むほど、混乱に拍車がかかっていくという具合なのだ。手がかりが出現するたびに、読者がおぼろに推理することが直ちに検討の俎上に載せられるなど、真摯でフェアな謎のつくり手としてのブッシュの良さは本書でも健在。
 ただ、状況が錯綜しすぎる割には謎解きはシンプルで、用いられたトリックも面白いものではあるけれど、前半の仕掛けや多すぎる手がかりが、迷彩のための迷彩の感があって、その点は高い評価にはつながらない。
  エラリー・クイーン『摩天楼のクローズドサークル(1968)は、『チェスプレイヤーの密室』に続く、エラリー・クイーン外典コレクション」の第二弾。代作者は、我が国では『クランシー・ロス無頼控』などの短編で知られる職人作家リチャード・デミング。ニューヨーク市警のティム・コリガンと私立探偵チャック・ベアを主人公にしたシリーズの第六作(最終作)に当たる。二人は、朝鮮戦争に従軍した戦友同士。コリガン警部は戦争で左目を失っており、眼帯をしている。互いに軽口をたたきながら、捜査で協力するバディ物の雰囲気が、全体に気楽な調子を与えている。
 本書で抜群なのは、1965年現実に起きた「ニューヨーク大停電」を設定に用いていることで、ニューヨークの高層ビルの会計事務所で発生した殺人事件の捜査が大停電後の暗闇で行われる。コリガンとベアは、階段を歩いて事件現場の21階まで登らなければならず、ランタンや蝋燭を頼りに、オフィスに残された容疑者たちを尋問しなければならない。いわば、大都会の中の「嵐の山荘」ものなのだ。
 コリガンの尋問で、複数のオフィスの男女関係はもつれにもつれていることが判明するが、犯人に結びつく決定打は出ない。特異な状況の中で、コリガン警部もチャックも、美女ぞろいの被疑者と、いい感じになってしまうのは、ペイパーバック・オリジナルらしくてご愛敬だが、オフィス泊の真っただ中で、第二の事件が発生する。
 ベアがパンチを繰り出す捜査もあるが、全般的には設定を生かしたつくり込まれた本格物で、手がかりはきちんと提示され、解決はちょっとした盲点をつくもの。ただし、犯人側の工夫がいささか古めかしいのは惜しい。
 
エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿 (ナイトランド叢書)

エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿 (ナイトランド叢書)

 アリス&クロード・アスキュー『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』は、意欲的に古典ホラーの紹介に取り組んでいる「ナイトランド叢書」から出た知られざるオカルト探偵物。雑誌掲載は、1914年というから、短編シリーズで活躍したA・ブラックウッドのジョン・サイレンス博士やW・H・ホジスンのカーナッキとほぼ同時期であり、オカルト探偵のはしりといえるだろう。作者は、夫婦合作で、多彩な題材の91編の長編を残した英国の流行作家という。
 八つの短編が収められているが、探偵役エイルマー・ヴァンスは四十代前半の好事家、元「幽霊研究会」の主事で、心霊現象には、該博な知識をもっている。ワトソン役は、弁護士デクスターで、ヴァンスとの友情を深めるうちに、ゴースト・ハントの世界に飛び込んでいく。デクスターは、ヴァンスによって、千里眼の能力を開発されるというのが面白い。
 最初の三編は、ヴァンスが遭遇した事件をデクスターが聴くという設定だが、四編目「消せない炎」からは、二人で怪事件の謎に臨むというスタイルになっている。ヴァンスは、ある事件で「この世もあの世も、まだまだいまの人間にはとうてい理解できないことばかりなんだ」と述懐するが、二人は探偵というより、「立会者」の役割が近く、進行する事態を見守るしかないこともある。
 扱う事件は、悪霊、ヴァンパイヤ、ポルターガイスト現象と多彩で、「消せない炎」では、孤高のうちに死んだ詩人と謎の炎、「固き絆」では、パイプオルガンによる音楽と怪奇現象を結びつけるなど工夫がされている。合理的に解かれる謎もあるが、全般的にはオカルト寄り。優美でクラシカルな怪奇小説の趣が楽しめるが、怖さの演出には巧みなものがあり、特に、古屋敷の住人を襲う「恐怖そのもの」が探索の対象となる最後の一編「恐怖」は、読む者をじっとりと汗ばませ、特筆に値する。
 
日東のプリンス (ヒラヤマ探偵文庫)

日東のプリンス (ヒラヤマ探偵文庫)

 よく古くさいスパイ小説の型を「外套と短剣」などと呼び、それらの書き手として、オッペンハイム、ル・キューらの名前が挙げられるが現物に触れる機会はまずなかった。「ヒラヤマ探偵文庫」の『日東のプリンス』(1910)は、そのE・フィリップス・オッペンハイムの作(戦前訳あり)。日本の皇族が中心人物になっており、その点だけとっても大変珍しい作品だ。
 リヴァプールから特別列車を仕立て一人ロンドンに向かう米国人が列車の中で殺され、続けてアメリカ大使館の青年がロンドン市内を走る自動車の中で怪死を遂げる。二つの米国人殺害事件には、英国政府もアメリカ大使館も重大な関心を寄せる機密事項が関わっていて……。
 事件に関わりがあると目されるのは、英国滞在中の日本の皇族・舞陽宮。それにしても、この舞陽宮がなんとも優美な人物として描かれていること。ロンドンの上流人士たちは、この人品骨柄を一様に褒めそやし、社交界若い女たちも虜にしている。舞王宮の父親が日本人、母親が英国人という設定で、姿形も西欧人と変わらないということが大きいのだろうが、作者の筆にも、この日東の皇族に一種畏敬の念をこめているようだ。
 オッペンハイムの筆は、今日の眼でみると、いささか悠長、もったりしているものの、さすがに、「ストーリーテラーのプリンス」と称されていただけあって、捜査側ジャックス警部補、事件に関わる溌剌とした米国娘ミス・ペネロープ、英国政府、米大使館など多視点を用い、次への興味をそそる場面転換を図りながら、謎の核心に舞うように迫っていく。
 この小説では、スリルやサスペンスがメインというよりも、特異な存在・舞陽宮の口を借りて、世界の覇者・大英帝国の驕りを批判する目論見があったように見受けられる。
 今の日本人からみると、小説の背景をなす当時の日英同盟の改定問題が、これほど英国や米国の関心事であることや数年後にはアメリカとの戦争を避けられない、とする舞陽宮の認識も驚きであり、日露戦争に勝利した後の、日本のプレゼンスの高まりを感じさせずにはおかない。当時のヨーロッパからみた日本を知る歴史的資料としても価値があると思う。
       

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

水の墓碑銘 (河出文庫)

水の墓碑銘 (河出文庫)

イーディスの日記〈上〉 (河出文庫)

イーディスの日記〈上〉 (河出文庫)

イーディスの日記〈下〉 (河出文庫)

イーディスの日記〈下〉 (河出文庫)

リプリーをまねた少年 (河出文庫)

リプリーをまねた少年 (河出文庫)

傷ついた女神 (論創海外ミステリ 131)

傷ついた女神 (論創海外ミステリ 131)

完全殺人事件 (創元推理文庫)

完全殺人事件 (創元推理文庫)

失われた時間 (論創海外ミステリ)

失われた時間 (論創海外ミステリ)

クランシー・ロス無頼控 (Hayakawa pocket mystery books)

クランシー・ロス無頼控 (Hayakawa pocket mystery books)

心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿 (創元推理文庫)

心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿 (創元推理文庫)

幽霊狩人カーナッキの事件簿 (創元推理文庫)

幽霊狩人カーナッキの事件簿 (創元推理文庫)

無音の弾丸 (ヒラヤマ探偵文庫)

無音の弾丸 (ヒラヤマ探偵文庫)

ジュディス・リーの冒険 (ヒラヤマ探偵文庫)

ジュディス・リーの冒険 (ヒラヤマ探偵文庫)

 

悪夢の中の聖杯探求〜ヴァージル・マーカム『悪夢はめぐる』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

悪夢はめぐる (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

悪夢はめぐる (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

 帯に「黄金時代最大の怪作!」とあるのも、あながち版元の煽りともいいきれない。
 怪作(にして傑作)本格ミステリというと、セオドア・ロスコー『死の相続』ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』のようなパルプ風本格が、すぐさま思い浮かぶが、ヴァージル・マーカム『悪夢はめぐる』(1932)は、これらとも違った、実に変てこなミステリだ。こうした風変りで、独創的なミステリに出会えるのは、クラシック・ミステリ渉猟の楽しみでもある。
 マーカムは、30年代半ばまでに10作の長編を残して筆を折ったアメリカの「幻の」ミステリ作家。本書が本邦初紹介となる。
 刑務所長のわたしのところに、全囚人をみせてほしいと女性が不可解な依頼をしてくる。それから間もなく、死刑囚がわたしに謎のメッセージを残し、死刑執行の直前に脱獄騒ぎが発生する。脱獄は防いだものの、わたしのところにある少女が書いた手紙の束が送られてくる。
 
 ここまでで30ページ。粗筋を書いても、そのめまぐるしさ、脈絡のなさに驚くが、早熟なローティーンの女の子が、まったく年の離れた男にあてたラブレターの内容が実に魅力的で、主人公同様、物語に引きずり込まれていく。
 主人公の「わたし」は、まだ若者といっていい年齢。芸術家を志したが挫折し、コネで刑務所長の地位に就いている。ウィトゲンシュタイン分析哲学に親しんでいるようだから、只者ではない。刑務所のルーティンワークに鬱屈を抱えており、奇妙な依頼に自らの職も地位も投げ打ち、冒険に飛び込んでいく。それは悪夢のような冒険の始まりだったのだが…。
 「わたし」は、秘密の鍵を探すために、ニューヨークの暗黒社会の一員となる。裏社会の秘密めいた雰囲気、組織を牛耳る若者をはじめ正体不明の男女たち、次々と発生する不審な死。筋の面白さや悪夢的な描写に惹かれながら、この小説は何を目指しているのか、という思いに読者は囚われことになるだろう。
 後半部では、一転、それまでの筋が置き去りにされたように、舞台は、オンタリオ湖岸の田舎に飛び、密室状況の小屋での溺死体という極めて魅力的な謎が提示される。やがて、密室問答めいた会話を経て、密室の謎をはじめ、様々な運命が交錯するもつれにもつれた謎が解かれるが、さらに、予想もできなかった結末が待ち受ける。
 「密室での溺死」という謎も、トリック自体はさほど驚くに値しないが、その密室を取り巻く意匠が見事で、その解明には詩的要素すら漂っている。
 
 ヴァン・ダイン本格ミステリにしては物語性が豊かすぎ、ハメット的ハードボイルドにしてはロマンティックにすぎ、エドガー・ウォーレス的スリラーにしては巧緻にすぎる。本格ミステリとハードボイルドとスリラーが渾然となった鵺(ぬえ)的というか、キメラ的な作品だが、不思議に全体としての統一は保たれている。作者は、大学で「ミステリの歴史と技巧」をテーマに講座を開設した先駆けでもあるそうで、そうしたバックボーンに基づく意図的な混沌ともいえよう。
 本作を全体としてみれば、古くはティーヴンソン『宝島』『難破船』、近くではやや突飛な連想だが、村上春樹羊をめぐる冒険セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』のような、旅路の果てまでの、一種の聖杯探求譚として受け取るべきか。そのオリジンは、作中でも言及されるアーサー王伝説に求められるのではないだろうか。書かれた年代を考えても、ミステリ史に孤絶したようなとびきり異彩を放つ作品といえよう。
 解説によれば、作者の作品では本作が抜きんでているようだが、この作家の全作品に触れてみたいような磁力を帯びた一編だ。
 
チューリップ ダシール・ハメット中短篇集

チューリップ ダシール・ハメット中短篇集

 『チューリップ』は、ハードボイルド小説の始祖ともいわれるダシール・ハメットの遺作「チューリップ」を中心に、初期の文芸作品風をも集めた中短編集。編訳者は小鷹信光
 赤狩りの渦中、法廷侮辱罪で5か月服役したハメットが釈放後の1952年から書き進め、死の直前まで書き続けようと努力し、未完に終わった100ページ足らずの「チューリップ」は、不思議な小説だ。ハメットの次女ジョーが、いみじくも語っているように、それは「小説を書かないことについての小説」なのだ。
 「私」のところに、軍隊時代の友人チューリップがやってくる。「私」は、赤狩りの標的にされ連邦刑務所から出てきたばかり。州と国が突然巨額の所得税留置権を通告してきている。チューリップはとっくに小説を書けなくなった「私」に、書く材料を提供しようとやってきたようなのだ。
「私」の経歴は、『影なき男』(1934)以降、書けない作家になっていたハメットそのまま。筋はないに等しく、私とチューリップの間で、軍隊時代やその後の思い出など、とりとめのない会話が続く。書けない作家の心境小説のようなのだが、「私」は容易に感情を見せず、チューリップが「私」の分身(サイド)である可能性を匂わせるところで、この小説は終わっている。とりとめのない思い出話がハメットの作中の登場人物の語りのようで、それはそれで面白いのだが、書くこと/書かないことをめぐる断片的な会話が、「私」の内面を垣間見せる。(数理の本を読むのを好んでいたり、20年代の書評が引用されて衒学趣味の一時期があったことなど、作者にまつわる興味深い事情も明かされる)。それまで寡黙だった「私」が、新たな聴き手となる少女二人を意識して、語り続けようと努力するくだりなど、小説家の本能の発露のようで面白い。
「私」は、チューリップを評していう。

「理性からさえぎられているかぎり、どんな感情も強靭にはなれない。傷ついた小鳥を見て泣くくせに、いつも女房を殴ってる酔いどれだ」

 理性によって強靭に研ぎ澄まされた感情。ハメットが志向し続けたのは、冷徹や非情といったものではなく、むしろこの種の感情だったのかもしれず、その深すぎる探求が書けないことの一因になったとしても不思議ではない。
 本書には、表題作のほか、コンチネンタル・オプ物を含む10編(解説中の小品も含めれば11編)が収録されている。表題作と照応する部分もあり、作家史をたどる上でいずれも興味深いが、トリッキーさも兼ね備えた「裏切りの迷路」、失踪を扱ってとてつもない悪事が露見する「焦げた顔」の二編のオプ物は、オプの造形も良く、脂の乗った充実した出来栄えだ。
 解説で、編訳者・小鷹信光は、「ハメット関連の最後の仕事」になりそうと書いている。本書は、わが国へのハードボイルド紹介の第一人者であり、80年代以降、原点回帰のように、五作の長編の翻訳をはじめ、ハメット関連の仕事をこなしてきた氏の集大成でもある。作家への敬愛のこもった渾身の訳業を改めて味読してみたい。
 

ラリーレースの惨劇 (論創海外ミステリ)

ラリーレースの惨劇 (論創海外ミステリ)

 クロフツらと並んで、一時は、退屈一派などと悪名を奉られた英国のミステリ作家ジョン・ロードだが、マイルズ・バートン名義と併せて、生涯に140作もの長編を発表し、息の長い作家活動を続けたのだから、根強いファンの支持があったものと推測される。派手な展開や凝った文章、犀利な心理描写などとは無縁だが、ひたすら推理と検証を続けるいぶし銀のようなミステリを好む向きには、退屈な作家とはとてもいえない。
 本書『ラリーレースの惨劇』(1933)は、ジョン・ロードの17作目。ロードの紙上探偵、プリーストリー博士が活躍する。
 イギリスの各都市を結ぶ大規模な自動車ラリーに参加した三人組は、最終ゴールの街に向かうさなかに、道路脇で大破しているラリー出走車を発見。乗車していた二人は前方に投げ出され、死亡していた。無謀なハンドル操作による単純な自動車事故だと検死法廷でも判断されるが、事故車がラリーに参加した時点とは同一車種だが別な車であることが発見され、事件は五里霧中に包まれていく。
 事故を発見した三人組の一人が、プリーストーリー博士の秘書メリフィールドで、スコットランドヤードのハンスリット警視に協力して、博士は捜査に乗り出していく。
 自動車ラリーの殺人という、レース展開の面白さや白熱の勝負などいくらでも派手な展開が考えられる設定だが、開巻そうそうラリーは終わってしまい、純然たる推理と検証の物語に終始するところは、いかにもこの作家らしい。
 自動車のすり替えに関し地道な捜査が続くが、同一車種の盗難、事故車の工作、十分な動機をもつ人物の出現など、局面を展開させる事実が次々と明るみに出て、飽きさせない。  
 博士は自ら仮説の提示には慎重だが、警視の見込み捜査を次々とくつがえしていく。博士が奇手を放って明らかになる犯人設定はかなりの意外性をもたらすもので、実作者にとっても難度が高いものだろう。それが読者にも同様に到達できるものかというと、先に同じ版元から紹介されている『ハーレー街の死』同様、必ずしもフェアともいえないところがあるのは、惜しいところ。
 また、博士の謎解きで、犯人の計画が大変念の入ったものであることが判明するが、ここまで複雑な仕掛けをしなくても、もっとシンプルに所期の目的を達成できたのではないかという、疑問も残る。
 トライアル&エラーで、パズルのピースが嵌っていく快感をゆったりと味わい向きに。なお、「ラリーレース」という耳慣れない言葉には違和感があり、原題どおり、「モーターラリー」で良かったのでは。
 
ネロ・ウルフの事件簿 ようこそ、死のパーティーへ (論創海外ミステリ)

ネロ・ウルフの事件簿 ようこそ、死のパーティーへ (論創海外ミステリ)

『黒い蘭』に続く、論創社ミステリー、ネロ・ウルフ物の中編集、レックス・スタウト『ようこそ、死のパーティへ』は、3編収録。今回は、ウルフの蘭と並ぶ道楽、美食がテーマで、1、2巻に登場する「コンビーフ・ハッシュ」、絶品ソーセージ「ソーシス・ミニョイ」などのレシピつき。
 表題作は、トリックも意外性も持ち合わせた毒殺物だが、物語の要所で、前作のテーマになっていた「黒い蘭」が出てきて、ウルフの思わぬナイーヴさに、しみじみしてしまう。「翼の生えた銃」は、限定状況の中、推理によって銃が飛び回ってしまという論理ゲーム的な面白さを持ち合わせた秀作だし、「『ダズル・ダン』殺害事件」は、人気コミックの作者チーム内の殺人事件を扱った時代風俗的にも興味深い作で、殺人容疑をかけられたアーチーをいかに救出するかも見所、と読み応えは十分。
 事件もさることながら、ウルフとアーチーの掛け合い、ウルフ、アーチーとクレイマー警視のののしりあい、ウルフの不機嫌と優雅な生活ぶり、アーチーの可愛い子好きといったお約束が、生き生きとしたアーチーのナレーションに散りばめられているし、連続ドラマ的にウルフ・ファミリーとでもいうべき名脇役たちを従えているのも、シリーズならでは楽しさ。
 黄金時代の本格派の名探偵を眺めてみると、意外なほど私立探偵が少ないことに気づかされるが(ポアロはビジネスには熱心ではないようだ)、ネロ・ウルフは、ホームズの伝統を継承し、依頼−代行の図式で動き、蘭と美食の生活を維持するためのビジネスとしての探偵業にも余念がない。探偵業における依頼人との様々な駆け引きのヴァリエーションを楽しめるのも、一編一編に工夫が施されていることの証左だろう。
 
なんでもない一日 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)

なんでもない一日 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)

 版元の予告の時点で、おおっと唸ったのが、シャーリイ・ジャクスン『なんでもない一日』。ジャクスンは、ミステリ・プロパーの作家とは言い難いが、早川書房の異色作家短編集に『くじ』が収録されているように、その系列に連なる真正の「魔女」の一人。『丘の屋敷』(旧題『たたり』)『ずっとお城で暮らしてる』という二作の長編恐怖小説が現役だが、古手の読者には、ミステリマガジンに掲載された、抱腹の育児エッセイ『野蛮人との生活』『悪魔は育ち盛り』も懐かしい。この作家の本当に久しぶりの短編集の刊行は、不意打ちとでもいうべき事態だった。
『くじ』『こちらへいらっしゃい』という二つの短編集が邦訳されているが、本短編集は、作者が48歳の若さで亡くなって四半世紀後に発見された未発表原稿や、単行本未収録短編で編まれた作品集(54編収録)から、独自に30編を厳選したものという。
 代表作「くじ」が村人たちの底知れぬ悪意を描いたように、本書も、人間心理の得体の知れなさを描き出す作者の天凛を感じさせる「怖い」短編が多いが、都会小説風の洒落た短編あり、ゴシック小説あり、心温まるスケッチありと、収められた作品は、バラエティに富んでいるし、ただの拾遺集とは思えないような質の高さを示している。
 ジャクスンの短編世界の多くは、夫婦や家族の会話、スーパーマーケットでの買い物、住民たちの噂話といった5、60年アメリカ郊外生活に材をとり、その中で生まれる違和感から人間の悪意を露わにしていく。恐怖は、日常生活と地続きなのだ。日常の中での違和感――時には狂気に至る――は、「逢瀬」「ネズミ」「家」のように、深く掘り下げられることもあし、ブラックな寓話やビターな日常スケッチにまとめられることもある。平易な言葉を積み重ねて、日常の中の違和を自在に操り、肝が冷える恐ろしい話にも、ユーモラスな一編にも仕立てられるところに、ジャクスンの本領があると思うし、現代にも通用する普遍性がある。特に面白かったのを三つ挙げると、「よき妻」「なんでもない日にピーナツを持って」「行方不明の少女」になるだろうか。
 ジャクスンの育児・家事にまつわる、エッセイ5編が収録されているのも嬉しい。繰り返すが、すべてのパパとママに読んでほしい楽しくもほろ苦い、育児エッセイ『野蛮人との生活』の復刊、その続編『悪魔は育ち盛り』の刊行も是非お願いしたい。
      

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

死の相続 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

死の相続 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

赤い右手 (創元推理文庫)

赤い右手 (創元推理文庫)

宝島 (光文社古典新訳文庫)

宝島 (光文社古典新訳文庫)

難破船 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

難破船 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

影なき男 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

影なき男 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

マルタの鷹〔改訳決定版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

マルタの鷹〔改訳決定版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

デイン家の呪い(新訳版)

デイン家の呪い(新訳版)

ガラスの鍵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ガラスの鍵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ダシール・ハメット伝

ダシール・ハメット伝

ダシール・ハメットの生涯

ダシール・ハメットの生涯

ハーレー街の死 (論創海外ミステリ)

ハーレー街の死 (論創海外ミステリ)

見えない凶器 世界探偵小説全集(7)

見えない凶器 世界探偵小説全集(7)

シーザーの埋葬 新装版 (光文社文庫)

シーザーの埋葬 新装版 (光文社文庫)

丘の屋敷 (創元推理文庫 F シ 5-1)

丘の屋敷 (創元推理文庫 F シ 5-1)

くじ (異色作家短篇集)

くじ (異色作家短篇集)

こちらへいらっしゃい (1973年) (世界の短篇)

こちらへいらっしゃい (1973年) (世界の短篇)

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)