第十四回:『クレアが死んでいる』

 87分署攻略作戦第14回は『クレアが死んでいる』です。第二作『通り魔』で登場して以来、クリングの恋人として87分署ワールドの一部を構成してきたクレアの突然の死が、作品にどのような影響を及ぼすのか。マクベインの新たな試みに注目の作品です。さて、それではあらすじをば。

 特に事件も起こらない、秋の平和なアイソラ。87分署にキャレラやマイヤーとともに詰めていたクリングに一本の電話がかかってきた。それは、婚約者クレアからだった。同僚たちに冷やかされながら、通話を終えたクリングだったが、まさかこの電話が生前のクレアと交わす最後の会話になるとは思いもよらなかった。彼女は書店で起こった無差別発砲事件の犠牲者になってしまったのだ。


 タイトルがタイトルだけに、まあ、楽しい作品にはならないだろうと思っていましたが、無差別発砲事件とはなかなかにインパクトのある殺し方です。しかも通報を受けて最初に現場に到着した刑事の中にクリングを混ぜることで、その衝撃と悲嘆が読者により強く伝わるような形になっています。もちろん、この事件からもっとも大きな影響を受けたのは、彼女の婚約者であったクリングです。仕事熱心な彼が、事件以降数日間に渡って仕事を放り出し、部屋に引きこもって悲しみに暮れるほど。クレアとの出会いやこれまでのデートの様子を描き出すことで、読者もまた、クリングの悲しみや怒りに共感することが出来ます。この辺りの描写が淡々と日常を繰り返す物であることで、逆に気持ちを引きたてており、マクベインの巧さを感じさせる部分です。


 87分署のメンバーたちにとって、クレアは「クリングの婚約者」でしかなく、必ずしも親しかった訳ではありません。しかし、クリングの受けた衝撃は、様々な形で捜査に波及していきます。捜査陣のみならず、パトロール警官など87分署に所属するメンバーのすべてがこの事件を「クリング事件」と呼んでいること、また、特に打ち合わせなどせずとも、他の仕事をしている間、各自可能な限り街に目を配ろうと団結できるといった点などは、彼らの言葉には出さずとも伝わる結束が浮かび上がると思います。


 「犯人は狂人ではなく、被害者の誰かを狙っていたが、結果として書店の中にいた7人全員を撃ち殺そうとしたのではないか」という仮説に則って、被害者それぞれの関係者に話を聞いて回るという捜査を始めたキャレラ。しかし、いずれの被害者にも誰かに殺されるような動機があるようには考えられませんでした。唯一分からないのは、クレア。彼女にはある犯罪にまつわる、クリングすら知らされない秘密があったのです。捜査チームはクレアが関わってしまった、社会の闇部に踏み込んでいきます。その捜査が導き出したのは下劣な原因と、そして悲しい結末でした。
 しかし、捜査は終わりません。果たして殺人者はどこに? 最後に明かされる悲しい真実は、この殺人の動機があまりにも希薄であること。大切な人の死に対して「動機」というカタルシスすら与えない。あまりにも現実的なこの結末を、マクベインは乱れぬ筆致で記して行きます。クリングはこの事件を受けてどこに向かうのか。今後の作品が気になる所です。


 このように『クレアが死んでいる』は、非常にマクベインらしい良い作品です。しかし個人的には、一点瑕疵があるように感じられます。
 それは、この「クリング事件」の捜査にクリング自身も参加しているということです。先に、クリングは自宅に引きこもっていると書きました。しかし彼はそのあと87分署に突如現れ、まだ休んでいろという部長の言葉を無視する形で、強引に事件の捜査に加わってしまいます。キャレラもこれを止めることはなく、むしろ正当と見ているシーンすらありました。
 しかし、これは現実的に見てどうなのか。私も、警察官のルールに詳しい訳ではありません。しかし、自分の身内を殺されて、冷静に捜査を行なうことのできる人間などいません。思い込みや激情に囚われ、事件の本質を見失いかねない、そんな人間を果たして捜査に参加させてよいものか。これは大きな疑問ですし、実際クリングはこの捜査の中で証人に食ってかかってもいます。そこの感情の動きまで含めて、マクベインの意図通りと読むこともできるでしょう。そこは分からないところです。


 警察官の身内が殺される事件を描いて成功した作品として、ピーター・ラヴゼイの『最期の声』があります。この作品はダイアモンド警視シリーズの第七作で、警視のまさに糟糠の妻であるステファニーが突如殺害されてしまう事件を描いています。
 シリーズをお読みでない方のために説明しておくと、ダイアモンド警視は、第一作でバース警察を一旦首になり、アパートの夜間警備員まで落ちぶれてしまいます。その後の作品で元の職に復帰しますが、誇りを傷つけられ、貧しく惨めな生活を送る間も、また、警察官としての厳しい職務にあっても、彼のことを優しく支えているステファニーの様子が幾度も描かれていました。それだけに、彼女の死は読者にとっても大きな衝撃であったと言えるでしょう。
 彼女の死体を見て衝撃を受けた警視は、「被害者の関係者」ということで捜査から外され、あまつさえ有力容疑者として尋問を受ける始末。真実は彼女の過去にあると考えた警視は、警察組織の力を借りずに独力で事件を追います。その中でどのような事実が明らかになるか、そして警視がどのような真実に辿りつくか、という点についてはぜひ読んで確認していただきたいところです。
 

 私はこの作品の中に、『クレアが死んでいる』でマクベインが選び得たもう一つの展開があると思います。マクベインはクリングに勝手な捜査をさせてもよかったのでは、と思います。クリングはクレアと出会った『通り魔』の事件でも、捜査権などないにもかかわらず、勝手にうろつき回り結果的に犯人につながる重要な証拠を掘り出しました。今回も同様に、クリングにキャレラたちから離れた全く別な視点から捜査を行なわせることが可能だった……いやむしろ、そうすることで物語に深みを与えることが出来たかもしれない、と私は考えます。


 まあ、すでに完成した作品に何を言っても意味はないのですが。しかし、クレアを失ったクリングが警察組織の中で無茶をすることに、「私怨による仇討」の正当化を感じずにはいられないところ、そこはこの作品の大きな欠点であるように感じました。


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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。