最終回

 いきなりの内輪話で恐縮ですが、私はかつて、「87分署攻略作戦:第一回『警官嫌い』」の没バージョン、その冒頭で「87分署シリーズはキャラクター小説である!」と、こう書きました……まだ二冊しかシリーズを読んでいなかったのに。
 さて、シリーズをようやく1/4ほど読んだ今、改めて考えてみると、自分の発言がひどく怪しげに見えてきました。つまり、私の頭の中に渦巻いているのは次の疑問です。


「87分署シリーズって、キャラクター小説なのか?」


 誰もが当たり前のように、「87分署シリーズはキャラクター小説だよ」と語ります。果たしてそれは本当か? 今回はちょっと立ち止まって、そのちょっとした疑問について考えてみたいと思います。


 87分署シリーズには多くの警察官、そしてアイソラの街に住む人々が登場しますが、これらの登場人物のほぼすべては、キャラクターとしての掘り下げが浅い、深みが足りないと、臆面もなく書きます。
 前景に出てこないキャラクターは別にしても、特に気になるのはスティーヴ・キャレラの人間的魅力の薄さです。シリーズの主人公と言われることも多いキャレラは、大柄のイケメンで、捜査能力が高く頭も切れ、射撃も格闘もお手の物。美人の奥さんと子ども(双子)がいて、上司や同僚からの信頼も篤い。十五作品で三回くらい死にかけていますが、それも主人公たる所以か? ともかく無敵超人です。しかし、彼にはあまりにも弱みがなさすぎる。いい奴だし、ジョークも分かるんだけど、なーんか面白くない、と私なんかは思うのです。
 あと人気キャラというとコットン=ホースとかでしょうか? 個人的には、彼はキャレラ以上につまらないキャラクターだと思います。大柄イケメンのプレイボーイ。真面目なキャレラとチームを組んだ時には、軽口を飛ばして場面を盛り上げる、気のいい奴。でも、特に一人で動いている時(cf.「雪山の殺人」(『空白の時』))の彼は現実感が希薄で、きまりきった台詞を読み上げる、二流の俳優にしか見えません。最初に登場したときはすごくいいキャラクターに見えたのはなぜ?と思うほど。
 『クレアが死んでいる』でのクリングは、初期の軽薄キャラを脱して急成長を遂げましたが、この時点では単に大暴れしただけ。積極的には支持できません。『麻薬密売人』で、息子を逮捕するか悩む部長はなかなか良かったのですが、その後は87分署の「いいお父さん」に収まってしまい、メインを張る機会がない。あとはマイヤー・マイヤー辺りかな。我慢強いキャラなのはよく分かったので、そろそろ分別を無くしてもいいのではないかと思います。
 まとめると、87分署シリーズの主演役者たちは、いわばマネキンに様々な属性を張り付けた「分かりやすく」、「動的な魅力に乏しい」キャラクターばかりです(少なくとも第十五作の時点では)。もちろん分かり易さは大事ですよ。でも、意外性を内面に秘めてこそ、読書の喜び=驚きもあるのではないでしょうか。もっと裏切って欲しい、と思うのは私だけか?

 このようにけちょんけちょんに書いてきておいて何ですが、私はマクベインのことを「人間が書けないつまらん作家」とは思っていません。第十三回『死にざまを見ろ』で書いた内容をちょっと見なおしていただけるとありがたい。この作品に登場するアンディ・パーカーという悪徳警官は、最初は「プリティ・ボーイ」キャレラの裏返し、つまり「分かりやすいバッド・ガイ」として登場(@『キングの身代金』)、たちまち消えていくことが予想されながら、「人種差別」というテーマと激しく反応し、主役に抜擢された男です。
 この男が面白いのは、終始一貫してプエルトリコ人を侮辱し続けながら、物語が終わりに近づくにつれ、その態度がぶれ始めるところ。彼は「身勝手な男」という立場に居座ることによって、心配しながら嫉妬し、悲しみながらも涙を流さず唾を吐く。「刑事パーカーは悪い奴」という私の安っぽく一面的な理解を嘲笑いながら物語の幕を下ろしてしまいます。このある種の不明性は、マクベインが『被害者の顔』で、被害者の隠された面を書こうとしたことに通じるのではないでしょうか。いわば『刑事の顔』ですね。
 つまり、マクベインは書けないのではない。書かないだけなんです。書けるんだったら書くべきでしょう。なぜそこで敢えて筆を抑えるのか。それこそ、マクベインがこの87分署シリーズで書こうとしている「何か」に通じるというのが、現時点での私の見解です。では「何か」とは何なのか?


 と、引っ張っておいてなんですが、正直まだ分かりません。ただ、重要なキーワードが「アイソラの街」であるのは間違いないと思います。マクベインにとってアイソラという架空の街が、非常に愛着の深いものであるのは間違いないでしょう。「デフ・マン」が街に放火、爆破した『電話魔』を思い出して下さい。87分署の敵は街を破壊する者なのです。
 閑話休題。では、マクベインが「街」を描こうとするときに一体何が必要か。それは土地でも建物でもなく、ただ人間です。しかも出来るだけ多くの。街とは、そこに暮らす様々な人間の「顔」を寄せ集めたコラージュです。87分署シリーズを通してマクベインは、紙の上にそれを築き上げようとしました。その時、際立った個性を持った人間はむしろ邪魔です。そこに視線が集まってしまいますから。それゆえマクベインは、敢えて人物を「分かりやすく」書くのではないでしょうか。

 マクベインが何度もキャレラを殺そうとするのはきっとそこに由来する部分だと思います。一つには「キャレラ一人が死んでも街は変わらないこと」を示すため。あるいは街の均衡を崩すほどに、一人で読者の視線を集めてしまう邪魔者を消すため……?


 思わず妄想推理を垂れ流してしまいましたが、そろそろ私の第一の疑問に答えを提示したいと思います。

「87分署シリーズって、キャラクター小説だっけ?」
「キャラクターの魅力で読ませるシリーズという意見には反対。でも、多様な人物像の積み重ねによってもっと大きいものを描き出そうとする、キャラクターありきの小説だという指摘はしておきたい」


 ということで、今回は作品というよりもシリーズについての論を、お読みいただきありがとうございました。また、突然のことではありますが、87分署攻略作戦は、今回を持ちまして一旦終了、第一部完とさせていただきます。長らくのご愛顧ありがとうございました。

オレは
ようやく
のぼりはじめた
ばかりだからな

この
はてしなく遠い
108式坂をよ…

(未完)


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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第十五回:『空白の時』


 87分署攻略作戦第十五回は、シリーズ初の短編集『空白の時』です。87分署シリーズは長編五十三に対して短編が十強と極端に長編寄りのシリーズですが、マクベインの短編作家としての実力はどうなのか。お手並み拝見といきたいと思います。

 安アパートの一室で、女の死体が発見された。家具もろくにない粗末な部屋に住みながら、彼女は二つの銀行に驚くばかりの金額を預金していた。果たして彼女の正体は? そして殺人犯は誰なのか?(「空白の時」)四月一日、エイプリルフール。ユダヤ教のラビが殺され、教会の壁にはペンキで、“J”の一文字が残されていた。(「“J”」)休暇を取って恋人とスキー旅行に出かけたコットン・ホース。しかし、事件は起こった。スキーリフト上の殺人を目撃したホースは地元警察と対立することに。(「雪山の殺人」)


 以上の三編を収録。いずれも文庫で100ページほどの作品なので、短編というよりむしろ中編と呼ぶべきかもしれません。
 「空白の時」および「“J”」は87分署管区で起こった事件を描いた作品です。この二作品のうち、前者は独立した短編というよりも、むしろ長編の一部を切り出した作品と考えた方がしっくりくるような気がします。この作品では冒頭から、アイソラの街を女に例えたり、例のごとくの美文調で滔々と語ってしまうマクベイン節が炸裂。迷宮入りギリギリまで行きながらも、証言に見られる微かな違和感から犯人が仕掛けたトリックを暴き出すというプロットは非常によく出来ています。ただ書きこみ不足なのか、被害者とその親友という女性を含め、事件関係者の人物造形にに生彩が欠けているのが残念です。
 ところでこの作品にはクリングが登場しますが、彼が「恋人にアクセサリーを買うべく何を買うかキャレラに相談する」というシーンがあります。これは多分クレアのことでしょう。このことからも「空白の時」が『クレアが死んでいる』以前に書かれた作品であることが分かります。このようなエピソードを増やすこと。人物造形をブラッシュアップすること。そして「空白の時」という言葉の意味をもっときちんと説明し、作品との結びつきを示すこと。だいたいこんな感じで一本長編が書けてしまうのではないかなあ。マクベインには長編の原型となる中編も多いらしいので、この作品も長編化して欲しかったですね。


 「“J”」は、マイヤー・マイヤーが主役を張る作品です。彼の特徴の一つであるユダヤ教徒というファクターをフルに活用した作品で、ユダヤ教の教会における風習を説明しつつ、ラビ殺しの謎に迫っていきます。アイソラの街に生きるマイノリティの立場、そして宗教的に互いに分かりあうことの難しさを切実に感じさせる、なかなかいい作品です。ただ一点、決定的な問題点を上げるとすれば、それは裏表紙のあらすじです。うーん、またかよと言わざるをえませんな。この本のあらすじはほとんどが表題作に触れたものなので、「“J”」についてはわずか一行、十四文字分しか書かれていません。しかしながら、この一行が命取り。この作品の真相に抵触する十一文字のキーワードをばっちり収録しているので、先にあらすじを読んだ人は泣きます。具体的には私です。嘘あらすじも罪深いですが、絶対に書いてはいけないことを敢えて書いたあらすじにはかないません。私自身も、書いていいことといけないことをよくよく考えてあらすじを考えなければならないな、とつくづく思い知らされます。


 「雪山の殺人」はあらすじでも書きましたように、87分署管区からは遠く離れたスキー場で起こった殺人事件を扱ったものです。しかし、これがまたつまらない。重くなりがちなキャレラに対して、コットン・ホースは一筋だけ白髪の赤毛巨漢で女にモテモテという軽妙を絵にかいたようなキャラクター。二人のコンビは非常にうまい具合に噛みあって面白い。ただしホースは一人になるとどこまでも薄っぺらな軽薄警官になってしまうんです。まったく無意味に地元警察の偉い人と対立してみたり、私立探偵バリに頭を殴られて気絶してみたり。長い付き合いのはずの彼女にもこれだと振られそうな勢いです。あらすじには「犯人の意外性を秘めた」と書いてありましたが、この程度の意外性なら今日日ありふれてしまっていて、驚くということはありませんでした。


 ということで、いい作品ちょっと残念な作品相当残念な作品と、出来がバラバラなので、マクベインが短編作家としてどうかということは今回は判定不能でした。もしこれから読もうかという人がいましたら、裏表紙あらすじは見ずに可能ならカバーをはずしてお読みくださいまし。


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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第十四回:『クレアが死んでいる』

 87分署攻略作戦第14回は『クレアが死んでいる』です。第二作『通り魔』で登場して以来、クリングの恋人として87分署ワールドの一部を構成してきたクレアの突然の死が、作品にどのような影響を及ぼすのか。マクベインの新たな試みに注目の作品です。さて、それではあらすじをば。

 特に事件も起こらない、秋の平和なアイソラ。87分署にキャレラやマイヤーとともに詰めていたクリングに一本の電話がかかってきた。それは、婚約者クレアからだった。同僚たちに冷やかされながら、通話を終えたクリングだったが、まさかこの電話が生前のクレアと交わす最後の会話になるとは思いもよらなかった。彼女は書店で起こった無差別発砲事件の犠牲者になってしまったのだ。


 タイトルがタイトルだけに、まあ、楽しい作品にはならないだろうと思っていましたが、無差別発砲事件とはなかなかにインパクトのある殺し方です。しかも通報を受けて最初に現場に到着した刑事の中にクリングを混ぜることで、その衝撃と悲嘆が読者により強く伝わるような形になっています。もちろん、この事件からもっとも大きな影響を受けたのは、彼女の婚約者であったクリングです。仕事熱心な彼が、事件以降数日間に渡って仕事を放り出し、部屋に引きこもって悲しみに暮れるほど。クレアとの出会いやこれまでのデートの様子を描き出すことで、読者もまた、クリングの悲しみや怒りに共感することが出来ます。この辺りの描写が淡々と日常を繰り返す物であることで、逆に気持ちを引きたてており、マクベインの巧さを感じさせる部分です。


 87分署のメンバーたちにとって、クレアは「クリングの婚約者」でしかなく、必ずしも親しかった訳ではありません。しかし、クリングの受けた衝撃は、様々な形で捜査に波及していきます。捜査陣のみならず、パトロール警官など87分署に所属するメンバーのすべてがこの事件を「クリング事件」と呼んでいること、また、特に打ち合わせなどせずとも、他の仕事をしている間、各自可能な限り街に目を配ろうと団結できるといった点などは、彼らの言葉には出さずとも伝わる結束が浮かび上がると思います。


 「犯人は狂人ではなく、被害者の誰かを狙っていたが、結果として書店の中にいた7人全員を撃ち殺そうとしたのではないか」という仮説に則って、被害者それぞれの関係者に話を聞いて回るという捜査を始めたキャレラ。しかし、いずれの被害者にも誰かに殺されるような動機があるようには考えられませんでした。唯一分からないのは、クレア。彼女にはある犯罪にまつわる、クリングすら知らされない秘密があったのです。捜査チームはクレアが関わってしまった、社会の闇部に踏み込んでいきます。その捜査が導き出したのは下劣な原因と、そして悲しい結末でした。
 しかし、捜査は終わりません。果たして殺人者はどこに? 最後に明かされる悲しい真実は、この殺人の動機があまりにも希薄であること。大切な人の死に対して「動機」というカタルシスすら与えない。あまりにも現実的なこの結末を、マクベインは乱れぬ筆致で記して行きます。クリングはこの事件を受けてどこに向かうのか。今後の作品が気になる所です。


 このように『クレアが死んでいる』は、非常にマクベインらしい良い作品です。しかし個人的には、一点瑕疵があるように感じられます。
 それは、この「クリング事件」の捜査にクリング自身も参加しているということです。先に、クリングは自宅に引きこもっていると書きました。しかし彼はそのあと87分署に突如現れ、まだ休んでいろという部長の言葉を無視する形で、強引に事件の捜査に加わってしまいます。キャレラもこれを止めることはなく、むしろ正当と見ているシーンすらありました。
 しかし、これは現実的に見てどうなのか。私も、警察官のルールに詳しい訳ではありません。しかし、自分の身内を殺されて、冷静に捜査を行なうことのできる人間などいません。思い込みや激情に囚われ、事件の本質を見失いかねない、そんな人間を果たして捜査に参加させてよいものか。これは大きな疑問ですし、実際クリングはこの捜査の中で証人に食ってかかってもいます。そこの感情の動きまで含めて、マクベインの意図通りと読むこともできるでしょう。そこは分からないところです。


 警察官の身内が殺される事件を描いて成功した作品として、ピーター・ラヴゼイの『最期の声』があります。この作品はダイアモンド警視シリーズの第七作で、警視のまさに糟糠の妻であるステファニーが突如殺害されてしまう事件を描いています。
 シリーズをお読みでない方のために説明しておくと、ダイアモンド警視は、第一作でバース警察を一旦首になり、アパートの夜間警備員まで落ちぶれてしまいます。その後の作品で元の職に復帰しますが、誇りを傷つけられ、貧しく惨めな生活を送る間も、また、警察官としての厳しい職務にあっても、彼のことを優しく支えているステファニーの様子が幾度も描かれていました。それだけに、彼女の死は読者にとっても大きな衝撃であったと言えるでしょう。
 彼女の死体を見て衝撃を受けた警視は、「被害者の関係者」ということで捜査から外され、あまつさえ有力容疑者として尋問を受ける始末。真実は彼女の過去にあると考えた警視は、警察組織の力を借りずに独力で事件を追います。その中でどのような事実が明らかになるか、そして警視がどのような真実に辿りつくか、という点についてはぜひ読んで確認していただきたいところです。
 

 私はこの作品の中に、『クレアが死んでいる』でマクベインが選び得たもう一つの展開があると思います。マクベインはクリングに勝手な捜査をさせてもよかったのでは、と思います。クリングはクレアと出会った『通り魔』の事件でも、捜査権などないにもかかわらず、勝手にうろつき回り結果的に犯人につながる重要な証拠を掘り出しました。今回も同様に、クリングにキャレラたちから離れた全く別な視点から捜査を行なわせることが可能だった……いやむしろ、そうすることで物語に深みを与えることが出来たかもしれない、と私は考えます。


 まあ、すでに完成した作品に何を言っても意味はないのですが。しかし、クレアを失ったクリングが警察組織の中で無茶をすることに、「私怨による仇討」の正当化を感じずにはいられないところ、そこはこの作品の大きな欠点であるように感じました。


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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第十三回:『死にざまを見ろ』

 87分署攻略作戦第13回は『死にざまを見ろ』です。このタイトル、最初に見た時は驚きましたとも。おいおい、タイトルから命令形ですか?! しかも「『死にざま』を見ろ」とは、どういうこと? またも87分署のメンバーが死んでしまうのか。あるいは、被害者の死に方がすごいのか。とにかくインパクトのあるタイトルであることは間違いないようです。

 七月のある日曜日、熱射にあえぐアイソラの街は静まり返っていた。しかし、そんな中でも事件は起こる。札付きのワル、ペペ・ミランダは老婆を射殺、逃亡を続けていた。87分署の刑事たちは必死に彼を追うが、ペペを英雄視する街のチンピラたちは容易に口を開かない。時を同じくして、弱小ギャング団<ラテン・パープルズ>は、ボスの女に色目を使った男を見せしめに殺そうとしていて……。



 正直な話、これまで12作マクベインを読んできて「これは傑作だ!」と思ったことは一度もありませんでした。私の中では、読んだ作品のほとんどが「そこそこ出来のいい作品」で、たまに「ちょっと落ちる作品」があるという感覚。この中で心に残るような作品は……ちょっと思い当たりません。別に面白くないという訳ではないんですけれど。とはいえ、この攻略作戦を書くにあたって、是非面白い作品を紹介したい。「87分署シリーズはキャラクターがよければそれでいい、佳作が続けばいい」と、手前勝手に考えてしまって本当にいいのか? こんなことでぐねぐねと悩んでいました。


 本作『死にざまを見ろ』は、そうした停滞の空気を一気に吹き飛ばす傑作と言える作品です。この作品で、主に描かれる刑事は二人います。一人は、『キングの身代金』で初登場以来、刑事部屋の空気を悪くすることに定評のあるアンディ・パーカー(白人)、もう一人はプエルトリコ移民の二世で、実直な刑事のフランキー・フェルナンデス(ヒスパニック)。この二人の内面が、ペペ・ミランダが起こした殺人事件を軸に描き出されていきます。

 パーカーはしばしば、プエルトリコ系のギャングたちのことをフェルナンデスの「仲間」と呼びます。とはいえ、彼はプエルトリコ人が嫌いという訳ではないようです。何に対してもシニカルな態度で臨み、嫌味を吐き散らし、適当にサボり、手がらは横取りし、微罪の犯罪者をいびる、そんな現在の自分とあまりにも対照的で、理想主義的なフェルナンデスのことが気に障って仕方ない、そのように読めます。


 パーカーも昔はいい警官だった、とマクベインは綴っています。しかし、ある暴行事件をきっかけに、パーカーは「殴られるのはよろしくない」、そして「殴られる前に殴る」、この二つを学んだといいます。このプロフィールから考えて、マクベインがパーカーを、第五作であえなく死んだ悪徳警官、ロジャー・ハヴィランドの後継として創造したのは間違いないところでしょう。パーカーの場合は手よりも先に口が出るという感じですが……。フェルナンデスはパーカーの嫌味に晒されながらも、懸命の捜査を続けます。逃亡者捜索は一本の密告電話を潮に立て籠もり事件へと変貌。87分署総出の銃撃戦へと発展していくのでした。


 本作では、刑事たちの視点と同等に、たまたま現場近くに居合わせた三人の視点が描かれます。地元の変わりのない生活に絶望し、刺激的なアイソラで運命の恋を求める水兵のジェフ、すべてを諦めたような視線で、移ろう街を眺め続ける、カフェのオーナーのルイス、<ラテン・パープルズ>の名を上げるために、半ばやけくそになって人を殺そうとしている弱冠16歳のジプ。それぞれ事件と関わりを持ちながら物語を「死にざま」に向かって突き動かして行きます。


 やっぱりキャラクター小説なんじゃないか。そうです。その通りです。しかし……そればかりではない。マクベインはアイソラという架空の都市のを通して、人間の中に巣食う「悪」を描こうとしているように見えます。しかも、大所高所からではなく、実際にそれらが存在する地面を歩く人物たちの視点から。


「なぜプエルトリコ系の子どもたちは犯罪に走ってしまうのか?」


 この問題は、プエルトリコ人の血統が為せる業なのか、それとも街の、彼らの住む貧しいスラム街のせいなのか、あるいは、犯罪者は生まれながらにして「悪」を持っているのか。もちろん私には分かりません。誰にだって分からないでしょう。しかし、マクベインはともかく書いています。ペペ・ミランダを、彼を慕う犯罪者予備軍のジプを、あるいは刑事パーカーを。その「悪」は物語の枠に留まらず、私たちの身の回りにも確実に存在するものです。この作品は、そんな大事なことを思い出させてくれます。


 登場人物の個性と物語の凄絶さが見事に結びつき、衝撃的なラストまで一気呵成に持っていく、非常に優れた作品だと思います。これは本当にオススメ。


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 三門優祐
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第十二回:『電話魔』

 87分署攻略作戦第十二回は『電話魔』です。87分署の宿敵と後に呼ばれると話には聞く「デフマン」の初登場作品となります。果たしてどんな奴なのか。そして、彼が今回目論む犯罪計画とは? その辺りを織り込みつつ、あらすじを紹介してみたいと思います。

 体格は中肉中背、ごく普通の顔立ちで、ただ一点耳が悪いため補聴器を付けているというのが目につく男「デフマン」。彼とその手先は、アイソラ中の様々な店舗に電話をかけ続けていた。「四月三十日までに店を引きはらえ。さもないと貴様を殺す」。果たして本気か悪戯か、相談を受けた87分署の刑事たちにも判断がつかないまま、運命の日は刻一刻と近づいて行く。

電話魔 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-13)

電話魔 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-13)

 「耳が悪いんでもう一度」と聞き返すのが口癖である「デフマン」が一体何を目論んでいるのか、というのがポイントです。様々な捜査と、犯罪の進行が交互に描かれるため、読者は87分署の刑事たちより早い段階から、その計画の断片を目にしていきます。しかし、これらがどういう風に繋がるのかが分からない。見せつつ見せないことで読者のフラストレーションを高めることに成功しています。


 今回87分署の刑事たちにはこれっぽっちもいいところがありません。敢えて言うならクリング君かな。悪戯電話についての報告書を見て、彼が今読んでいる某短編小説との共通点を指摘しています。これによって、警察の捜査に一つの方針が立った訳ですから。しかし、「デフマン」の計略はこの程度ではとても揺らぎません。


 『電話魔』は「デフマン」が手下とポーカーをやっているシーンから始まりますが、ここで彼は、この世のすべては計算に基づいているんだと嘯いています。「デフマン」は入念な調査によって、警察という組織に可能な行動の限界を探り出して、その外側を進んでいきます。頭の切れる刑事が計略の一部を見破り、対策を練り始めるところまで彼の計算のうちなのです。クリングはまんまと「謎を解かされていた」という訳。


 「デフマン」が紡ぎ出すのはアイソラという街そのもの、そして近隣の警察官のすべてを巻き込む恐るべき計画。物語はその一点に向かって収斂していきます。え、87分署の刑事たち? 先にも書きましたが、今回はまったくといっていいほど出番がありません。キャレラは殺人事件の捜査をしていますし、悪戯電話はマイヤーが対応しているのですが、どうやっても「デフマン」の掌から出ることが出来ません。


 「デフマン」の計画がその全貌を見せた瞬間、そのとんでもないスケールのでかさに、全読者驚嘆間違いなし。いやむしろ、その一瞬を見せるためだけにこの小説が書かれたと言ってもおかしくないでしょう。もちろん詳しくは自ら確認していただくほかない形ですが、こんなことを考えていたとは……と、もはや呆れるほかありません。簡単に比較できるものではありませんが、ジェフリー・ディーヴァーマイケル・スレイド(特に『メフィストの牢獄』は、87分署と「デフマン」の関係からインスパイアされたとか)のような現代の作家のどんでん返し連発にも比肩する爆弾が埋め込まれた作品です。


 今回の事件では、ほんの小さな偶然の綾が運命を分け、「デフマン」と87分署の戦いは痛み分けに終わります。しかし、現状の警察組織では太刀打ちできない相手であったのも事実。今後また彼に出番が回ってきた時、いかなる手段でアイソラの街に襲いかかるのか。「帰ってきた『デフマン』」に早くも期待で胸が高鳴ります。興味の焦点が激しく後半に寄った非常に極端な作品ですが、最後にもたらされる一撃の重さではこれまでの87分署シリーズの中でも随一であると思います。かなり楽しめました。



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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

 第11回:『大いなる手がかり』

 
 87分署攻略作戦第十一回は『大いなる手がかり』です。多くの人が代表作に挙げるともっぱらの噂である『キングの身代金』の次ということで、作者側にも若干プレッシャーがかかりますが、果たしてどんなものか。早速読んでみたいと思います。

 三月の雨に煙るアイソラの街。パトロール警官のジェネロは、任務中にとんでもないものを発見する。それは人間の右手入りのカバンを捨てている、黒いコートを着た男(?)の姿だった。87分署の刑事たちは、その「大きな手」を唯一の手がかりに死体なきバラバラ殺人を追っていく。


 あらすじと原タイトル"Give the Boys a Great Big Hand"から推測する限りでは、まずタイトルありきで描かれた作品だと思います。マクベインがこういう言葉遊びを好んでいるということは、これまでの連載で書いた中でもたとえば『通り魔』などで見られました。ところで今回のタイトルですが、口に出して見るとその語感は、なんとなくマザー・グースなどの童謡に似ていませんか。タイトルの陽気さと裏腹に、起こる事件は陰惨なものですが、そのギャップの中に童謡殺人につきもののねじけたユーモアが含まれているように感じられました。


 発見者のパトロール警官ジェネロは、初めて出てきたように見せかけて実は二度目の登場。第三作『麻薬密売人』で、最初に死体を発見したのがこの男。事件の核心に望まずとも近づいてしまう、少し可哀そうな体質の持ち主と言えそうです。犯人と思しい人物を見かけながらも、そいつを識別するための手がかりを一切得られず、部長に怒られてますし。


 捜査は大きく分けて二つの段階、つまり、第一に「被害者の特定」、そして第二に「犯人の断定」、という順番で進められていきます。しかし今回の場合、まず第一段階が極めて困難。何しろ右手一つきりでは血液型と肌の色くらいしか分かりません(当時は勿論DNA分析技術などありません)。しかも、犯人は周到にも指紋を削り取ってから捨てており、「手」も足も出ない状態です。それでも手の形や発達度合いなどから職業を絞り込み、それを行方不明者リストと照らし合わせることで、二人に絞り込むことに成功します。ここまでの捜査の動きは極めてリアリスティックに描かれており、地味ながら面白いと思います。


 しかし、そう簡単には事件は終わりません。なんと、その二人がきちんと右手のくっついている状態でひょっこり現れてしまうのですな。ここまでの捜査は一旦リセットされ、再度検討が始まります。展開的に完全白紙という訳ではなく、見落としがあって……という形ではありますが。


 行方不明になったと見られる男たち、そしてその周囲に配されたキャラクターの人物像が読みどころのひとつでしょう。特に、港に戻って金が入ったら家には帰らず売春宿や安ホテルを泊まり歩いてすべて使い果すまで殆ど失踪してしまう、人間の屑としか言いようのない男のエピソードはなかなか面白い。ただ、それを探り出して行く過程は単調であるため、先が読めたり、なんとなく飽きがきてしまったり、という弱点があるのは否定できないのですが。


 物語をひっぱるキークエスチョンは「なぜ犯人は手だけ捨てたのか」という点につきます。死体をバラバラにするにしても、腕から手だけを切り離して捨てるというのは明らかにおかしいからです。しかし、マクベインはそこには殆ど深入りしていません。キャレラもそうですが、「動機について深く考えても、よく分からないし仕方がない」からでしょうか。ただ、物語の結末でその理由の一端が明らかになると、読者は慄然必至だと思いますが。


 ようするに本書最大の読みどころは、犯人の「妄執」としか呼びようのない情動が明らかになるラストシーンなのです。読んでいて、まさかこんな話になるとは、あるいはマクベインがこんな話をこんな形で書いてしまう……と驚かされました。酷く曖昧な感じになってしまいましたが、ぜひお試しください。


 それでは、次回の108式は第十二回『電話魔』。87分署最大のライバルと呼ばれる天才犯罪者「デフ・マン」が初登場する作品です。お楽しみに。


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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

第10回『キングの身代金』

 
 87分署シリーズ攻略作戦、第十回『キングの身代金』です。マクベイン作品の中でも傑作として名高い作品ですが、その小説としての評価に間違いはないという点を確認できました。疵も少ないし。ただ、「警察捜査」小説としては若干物足りない部分も……。

グレンジャー製靴会社の重役であるキングに、息子をさらったという脅迫電話がかかってきた。しかし、実際に誘拐されたのは、キングの運転手の息子だった。このことを伝えても誘拐犯は、間違い誘拐でも構わないからとにかく身代金を払うことだという要求を繰り返す。キングは、少年の命と、そして今後の人生を買うために生涯を掛けて積み上げてきた「命金」の果たしてどちらを選ぶのか。


キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)

 既存の作品の中ででマクベインが書こうとしてきた「登場人物の人間性を深く掘り下げる小説」の集大成と言ってよい作品です。同時に、これまでで初めて、警察官以外を主人公とした作品でもあり、その意味ではかなりの異色作でもあります。そう、本作の主人公は、八十七分署の刑事の誰でもなく、紛れもなくキングなのです。


 身代金を要求されたキングは、「自分の金が大事」という俗物では決してありません。彼は工場の下働きから叩き上げ、会社の重役になった「セルフメイド」の男であり、また、自社の製品に誇りを持ち、安いけれど質は悪い商品を叩き売る、儲け主義の現状を憂える理想主義者でもあります。つまりはアメリカン・ドリームの体現者ですね。
 彼が身代金として要求されたのは、会社の全権を握るために用意した金でした。たとえ、一人の子供の命がかかっているとはいえ、軽々に投げ捨てることのできる金額ではありません。しかし、もし子供を見捨てれば、たとえ会社を手に入れることができても、彼の名には「金のために子供を見捨てた男」という烙印が押されることでしょう。キングが追い込まれたのは、このような二律背反の状況でした。


 板挟みになったキングが身代金を払うのか、という点が本作の焦点のひとつですが、これに対するコントラストとして配されているのが、キャレラの存在です。捜査側の一員である以上に、まだ生まれたばかりの双子の父親として、彼はキングの煮えきらない態度に激高し、身代金を支払うべきだと主張します。この態度は、冷静であることが求められる捜査官としては逸脱しているかもしれません。しかし、彼が妻との間に築いてきた愛情や、子供を求めながらも踏み切れずにいた彼の心情を知る読者からすれば、納得できる部分と言えるかもしれません。
 もう一つ、マクベインが配しているのが誘拐犯側のサブストーリーです。ここでは、悪びれない職業的犯罪者と切実に現金を必要としている若い恋人たちという三人組が誘拐計画を遂行していきます。しかし、シリアスで感情的にも納得できる本筋と比較すると、理解に苦しむ形にまとめざるを得なくなっていて、成功しているとは言えません。


 上で述べたように、本作はほぼ捜査側の動きを描くことを放棄し、キングの精神的苦悩を描出することに終始しています。幾分不必要と思われる部分はあるものの、結果としては、マクベインのやりたいことはかなりやりきった感があります。
 しかし、その上を行くのが『キングの身代金』の舞台を横浜の山の手に移した黒澤明監督作品『天国と地獄』です。黒澤明は、『キングの身代金』ではほとんど描かれることのなかった捜査側のパートをじっくりと描きこみ、あの手この手の捜査の末に少しずつ犯人の住居を絞り込んでいくサスペンスを演出しました。また(原作でのキングに当たる)権藤金吾の、気も狂わんばかりに苦悩して身代金を支払いながらも、結局莫大な借金を背負い破滅していく姿を演じる三船敏郎の凄まじさは相当のもの。有名な身代金受け渡し方法まで含めて、全編見事に作りこまれています。私は今回初めて観ましたが、かなり長丁場の作品でありながらだれることもなく一気に最後まで観てしまいました。


 と、途中で『キングの身代金』そのものの話からはそれてしまいましたが、これまでの作品の中では一番面白く読むことが出来ました。また単独で読むよりも、読後に『天国と地獄』を観て黒澤明の凄みも感じることが出来るというまさに二度楽しい作品です。ぜひお試しあれ。

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 三門優祐
えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。