ロスト・シンボルへの道(第4回)(執筆者・越前敏弥)

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 下

ロスト・シンボル 下

 短期集中連載「ロスト・シンボルへの道」は、今回が最終回になります。おかげさまで本の売れ行きは順調で、読了した多くの人たちの感想をブログやツイッターなどで読ませていただきました。訳者であるわたしがこんなことを言うと怒られそうですが、予想以上に好評だというのがこれまでの感触です。いや、もちろん、つまらないと思っていたわけではありません。『ロスト・シンボル』は宗教と科学と人間の関係をテーマとしているという点では『天使と悪魔』などと同じですが、『天使と悪魔』では対立の構図がきわめてわかりやすく図式化されていたのに対し、今回の『ロスト・シンボル』の場合は、人間とは何か、神とは何かという、より本質的な問いかけがテーマになっているため、ややとっつきにくいところがあるのではないかと懸念していたのです。


 だから、ある読者のかたが「なぜだかわからないけど、最後の一行を読み終わったとき、なんだか胸が熱くなって、涙がこみあげてきた」と書いていらっしゃるのを見たとき、驚いたとともに非常にうれしく感じました。ダン・ブラウンが執筆に6年以上かけたのは、今回の壮大なテーマをエンタテインメントの枠組みにどうやって組みこんでいくかに腐心していたからだ、という話がつい最近伝わってきました。わたし自身について言えば、訳了した時点ではまだなんとなく輪郭がぼやけた感じでしたが、その後、理神論や神秘主義に関する本を何冊か読んでみて、いろんなことが納得できたものです。今回読了なさったみなさんも、なんらかの形で「復習」なさったうえで、『ロスト・シンボル』をもう一度読み返されると、ああ、そういうことだったのか、と膝を打つことがあるかもしれません。手軽なものとしては、下の本がお勧めです。

フリーメイソン (講談社現代新書)

フリーメイソン (講談社現代新書)


 今回は『ロスト・シンボル』にまつわるいくつかのトリヴィアをさらに紹介しましょう。


 まず、前回のクイズの答は「ボアズ」と「ヤキン」。ソロモン神殿にあった一対の柱で、ボアズは螺旋模様、ヤキンは縦縞模様だとされており、フリーメイソンの会堂や儀式の間によくあると言われています。角川書店の『ダ・ヴィンチ・コード』のサイトには、ロスリン礼拝堂の柱の写真があるので、探してみてください。


 http://www.kadokawa.co.jp/sp/200405-05/


『ロスト・シンボル』では、マラークの両脚にボアズとヤキンの刺青がある、という描写が2か所あります(文庫版では上巻24ページと中巻192ページ、ハードカバーでは上巻20ページと下巻22ページ)。


 そのマラークですが、作中にも説明があるとおり、ヘブライ語で「天使」という意味です。ダン・ブラウンは登場人物の名前に含意をこめたりアナグラムを使ったりするのが好きで、たとえば『ダ・ヴィンチ・コード』では、ソフィーの祖父ソニエールの名前にも、ラングドンに協力する学者リー・ティービングの名前にもちょっとした意味がこめられています(興味のある人は検索して調べてください)。今回はドクター・アバドンという名前の人物が登場しますが、アバドン(Abaddon)というのは聖書などに登場する地獄の魔王や悪霊の名前です。無理やり日本語にすると「閻魔医師」でしょうか。作者もすごい名前をつけたものです。


 原書ではカバーに暗号が組みこまれていたり、あれこれ仕掛けがあったようですが、日本語版では残念ながらそういうものは紹介できませんでした。ただひとつ、あえて何ページかは書きませんが、ピーター・ソロモンの電話番号が出てくる個所があります。まったく伏せ字などは使われていないので、訳稿の編集作業中に、出版社側から「このまま載せてはまずいのではないか」という指摘があったのですが、わたしは問題ないとお答えしました。理由は――ええ、載せてもかまわないからです。度胸のある人は、国際電話のルールに則って、アメリカ国内のこの電話番号にかけてみてください。何かおもしろいことがあるかもしれませんよ。ただし、くれぐれも番号をおまちがえなく。


 そのほかでは、英語ですが、ダン・ブラウン本人のサイト内に"Symbol Quest" というクイズがあります。下のほうに出る説明文に該当するシンボルを選んで中央の枠へ運ぶというもので、33問連続で正解するとゴールにたどり着きます。グーグルの画像検索などを使って答えていくのですが、かなりの難問もあります。『ロスト・シンボル』を未読のかたでもじゅうぶんに楽しめます。


 http://www.thelostsymbol.com/symbolquest/index.php


『天使と悪魔』『ダ・ヴィンチ・コード』『ロスト・シンボル』と、精神世界への傾倒を深めてきたダン・ブラウンは、つぎはどこへ向かうのでしょうか。訳者として、読者として、少々心配であり、大いに楽しみであります。


 最後に、『ロスト・シンボル』のあとがきや〈王様のブランチ〉を見てこのサイトを訪れてくださったみなさん、そしてもちろん、以前からアクセスしてくださっているみなさん、この連載を最後まで読んでくださってありがとうございます。翻訳ミステリーの世界には、ダン・ブラウンの作品以外にもおもしろいものが数かぎりなくあります。日本のミステリーにも傑作は多くありますが、異国の地で繰りひろげられる、異文化を土台とした物語には、また格別のものがあり、そこから数えきれぬほどの発見があるはずです。ダン・ブラウンをきっかけとして、たとえば歴史ミステリーや、秘密結社ものや、どんでん返し満載のノン・ストップスリラーなどなど、気に入ったジャンルの作品をどうぞ見つけてください。このサイトは、翻訳ミステリーを愛するおおぜいの翻訳者・書評家・編集者が、ひとりでも多くのかたに読んでもらいたいという情熱から自主的に運営し、ほぼ日替わりで記事を更新しています。トップページの目次を見て、興味のありそうな記事を探していただければ、きっとご自分に合った翻訳ミステリーに出会うことができるでしょう。翻訳者として、それ以上の喜びはありません。


 越前敏弥


古書の来歴

古書の来歴

運命の書 上 (角川文庫)

運命の書 上 (角川文庫)

運命の書 下 (角川文庫)

運命の書 下 (角川文庫)

ソウル・コレクター

ソウル・コレクター

ロスト・シンボルへの道(第3回)その1(執筆者・越前敏弥)

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 下

ロスト・シンボル 下

 ようやく日本語版が刊行された『ロスト・シンボル』、もうお読みになったでしょうか? 連載第3回は、先週おこなったフリーメイソン東京ロッジ探訪の様子を紹介します。その前に、まずは前回のクイズの答から。


[1] ラングドンという名前は、ある人物にちなんでつけられたものです。その人物のダン・ブラウンとの関係は?

  (1) 高校時代の恩師

  (2) 大学時代の親友

  (3) 『パズル・パレス』でIT関係の知識を提供してくれた人物

  (4) 『天使と悪魔』のアンビグラムの作者


 正解は(4)。前回も書いたとおり、ダン・ブラウンは小説を書く前にシンガーソングライターだった時期があり、第2作として出したCDのタイトルが〈天使と悪魔〉でした。このときのジャケットの表紙をデザインしたのがジョン・ラングドン。上下逆さに見ても同じになるアンビグラムのデザインを大いに気に入ったダン・ブラウンは、のちに小説として『天使と悪魔』を発表した際にも、同じ図案を選びました。この表紙がそれ。"Angels & Demons" がアンビグラムになっているのがわかりますね。

Angels & Demons (Robert Langdon)

Angels & Demons (Robert Langdon)


 もちろん、小説『天使と悪魔』に登場する数々のアンビグラムの作者も同じ人物です。無名時代から協力してもらったことへの感謝をこめて、ダン・ブラウンは主人公の名をラングドンに決めたそうです。


 ジョン・ラングドンの作になるほかのアンビグラムは、ここでたくさん見ることができます。


 http://www.johnlangdon.net/


[2] ダン・ブラウンは仕事の合間にある健康器具を使っているそうです。それは何?

  (1) エキスパンダー

  (2) ブルワーカー

  (3) ぶらさがり健康器

  (4) 足つぼ健康器


 正解は(3) の「ぶらさがり健康器」。毎朝4時に起きて執筆をはじめるダン・ブラウンは、仕事の合間にぶらさがり運動用のブーツを履いて、5分から10分にわたってコウモリのような恰好で逆さ吊りになるそうです。「頭を下にしてぶらさがっていると視点が一変して、構成上の難題を解決するのに役立つんです」と、かつてインタビューで答えています。


[3] ダン・ブラウンの出身大学はアマースト大学ですが、ロバート・ラングドンの出身大学は?

  (1) イェール大学

  (2) ハーヴァード大学

  (3) プリンストン大学

  (4) スタンフォード大学


 これは難問中の難問です。だれもがハーヴァードだと思うでしょうね。わたしも最近までそう思っていました。ところが、『ロスト・シンボル』を訳していたとき、意外なことがわかったのです。お持ちのかたは文庫版上巻の29ページ、後ろから3行目(ハードカバー上巻の23ページ、後ろから3行目)を見てください。


 ――ピーター・ソロモンは友人にして恩師であり、歳はひとまわり上でしかないものの、プリンストン大学ではじめて会って以来、父親のような存在でありつづけている。当時ラングドンは二年生で、その著名な若き歴史家かつ慈善家の夕方の客員講義は必修とされていた。ソロモンの講義には人を引きこむ情熱があり、そこで示された記号論や原型の歴史についての鮮やかな考察はラングドンの心に火をつけ、象徴学に対して生涯にわたる情熱をいだくきっかけとなった。


 これを見るかぎり、ラングドンプリンストン大学の学生だったころに客員教授ピーター・ソロモンの講義に出席した、と読むのが自然ではないでしょうか。最初は作者のまちがいかと思い、『天使と悪魔』と『ダ・ヴィンチ・コード』の全文を確認したのですが、たしかにハーヴァードという語は数えきれないほど登場するものの、ラングドンがハーヴァードの学生だったという記述はどこにもないのです。


 そんなわけで、正解は(3)の「プリンストン大学」。たった1か所の記述ですが、そう断定するほかなさそうです。いつか書かれるであろう第4作にどんな説明があるのかが、いまから楽しみです。


 ミュージシャン、教師、ノウハウ本の著者……。苦労人だったダン・ブラウンの人となりをもっと知りたいかたは、角川書店ダン・ブラウン公式サイトや伝記『「ダ・ヴィンチ・コード」誕生の謎』などをご覧ください。2回にわたるクイズのうち、最後の問題以外はこのふたつが出典です。


 http://www.danbrown.jp/


(つづく)


『ダ・ヴィンチ・コード』誕生の謎

『ダ・ヴィンチ・コード』誕生の謎

ロスト・シンボルへの道(第3回)その2(執筆者・越前敏弥)

 さて、きょうの本題であるフリーメイソン探訪記。
 2010年3月2日、つまり『ロスト・シンボル』が発売される前日に、角川書店の編集者ふたりとともに、東京タワーのすぐ横にあるフリーメイソン東京ロッジへ行ってきました。外から見るとこんな感じ。



 事前に約束があることをインターホンに告げると、女性の声がして、しばらくしてから解錠してくれました。フリーメイソンは女人禁制ではないのか、とのっけから疑問に思いましたが、このかたは単に事務を委託されている女性だとあとで教わりました。


 美しいステンドグラスの装飾がある玄関ホールで待っていたところ、エレベーターからふたりの男性が現れました。どちらも70歳代か80歳代の温厚そうな紳士です。ひとりはスーツ姿で、ひとりはカジュアルないでたち。スーツ姿のかたの襟でフリーメイソンのバッジが輝いています(思ったより小さく、直径1センチぐらい)。おふたりとも広報委員会のかたですが、どちらも以前グランドマスターをつとめたことがあるそうで、いわば日本を代表するフリーメイソンです。なんでも訊いてかまわないということなので、いくつか質問しました。


 まずは入会の資格について。健全な成人男性ならだれでも、とのこと。どんな宗教でもかまわないが、信仰心を持っている必要があるそうです。この点は『ロスト・シンボル』にも"フリーメイソンの入会資格には、超越者の存在をかならず信じるというものがある"(文庫版上巻61ページ後ろから3行目、ハードカバー上巻47ページ4行目)という記述があります。


 ご本人の入会動機をお尋ねしたところ、ひとことで言えば、若いころに身のまわりにいた魅力的な人物(外国人を含む)の多くがフリーメイソンだったから、とのことでした。仕事で付き合いのある外国人からパーティーに呼ばれる機会がよくあり、そこに集まる人々が実に楽しそうで、みなあたたかく接してくれたので、彼らの属する「秘密結社」とやらに危険があろうはずがないという印象を持ち、興味があるから自分もはいってみたい、と持ちかけたのがきっかけだそうです。


『ロスト・シンボル』の文庫版上巻204ページ5行目(ハードカバー上巻147ページ最終行)にもあるとおり、フリーメイソンはけっしてみずから勧誘をしません。これは本人の自由意思を尊重するためで、そのおふたりも、勧誘は厳禁だとはっきりおっしゃっていました。ご自身がはいってみたいと告げたとき、相手のフリーメイソンは「おまえがそう言いだすのを待ってたんだ」と言って微笑んだそうです。勧誘はしないものの、仲間としてふさわしいと思う人物に対しては潜在的に働きかけていたのかもしれません。ちなみに、現在日本には2,000人程度の会員がいて(以前は5,000人だった時期もある)、そのうち日本人は4〜500人ぐらいだろうということでした。


 フリーメイソンの理念や目標はなんですか、とお尋ねしたところ、「私利私欲なき真の友情がもたらす限りなき満足感」という答が返ってきました。実のところ、そのおふたりと話していると、こちらもほんとうに和やかな気分になるのです。一方のかたは10分に1回ぐらい、楽しい親父ギャグを飛ばします。まさかフリーメイソンの本拠で親父ギャグを何度も耳にするとは予想もしていませんでした。


 つづいて、歴史についての質問。フリーメイソンの起源については諸説あるものの、中世の石工職人の組合に端を発するという一般的な説に異論はないとのことでした。むろん、ソロモン神殿をはじめとして、古代のさまざまなエピソードが講話などに組みこまれているのは事実ではあるけれど、それらはあくまで象徴的な寓話であり、実際にそこから連綿と伝統がつづいているとは理解していないそうです。


 フリーメイソンのシンボル(上の外観写真参照)について尋ねたところ、コンパスと直角定規は石工職人の使った道具だからその名残だ、という答にとどまりました。コンパスは精神・天空・道徳などの象徴、直角定規は物質・大地・真理などの象徴で、それらの調和を示す、としている資料が多いので、そのように申しあげたところ、「そうですか、知りませんでした」とあっさりかわされてしまいました。中央のGのマークに関しては、Geometry(幾何学)やGod(神)の頭文字とする資料が多いのですが、これは"Great Architect of Universe"(宇宙の偉大なる建設者)の頭文字だという答が返ってきました。もっとも、意味は神と同じなので、そう解釈してもらってもかまわない、とのことです。Architect という語を使うところが、いかにも石工職人の組合らしいですね。そう言えば、このArchitectという単語は、『ロスト・シンボル』のなかでも、作品全体のテーマに関連する重要なキーワードのひとつとなります。


 フリーメイソンには徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方 (Master Mason)の基本3位階があります。今回訪れたフリーメイソンのブルーロッジにはその3位階しかありませんが、一方、『ロスト・シンボル』の冒頭に登場する秘儀参入者は、第33位階までのぼっていきます。第33位階まであるのはスコティッシュ・ライトと呼ばれる儀礼で、これと一般的なフリーメイソンのブルーロッジとの関係は外部の者から見て非常にわかりにくく、『ロスト・シンボル』においてはスコティッシュ・ライトを「上位儀礼」という訳語で説明したのですが、今回うかがったお話によると、両者のつながりはきわめて弱く、むしろ「傍系団体」と呼ぶほうがふさわしいようです。会員同士は、位階の略称をつけて「EA」「FC」などと呼ぶこともあるものの、たいていは分け隔てなく「ブラザー田口」「ブラザー杉江」などと呼び合うそうです。昇格儀礼でどんなことをするのかを尋ねましたが、さすがにそれは教えるわけにはいかない、とのことでした。ただ、これは形式的な儀礼というより、フリーメイソンの思想や理念をどれだけ深く理解しているかを問う試験に近いものではないかという印象を受けました。


 その他の関連団体として、『ロスト・シンボル』で何度か言及されるイースタン・スター(女性が入会できる)や、ビル・クリントンがかつて属していたと言われるデモレー(青少年が入会できる)などがあり、いくつかある東京ロッジの団体も含めて、東京タワー横の建物で交互に会合をおこなっているとのことでした。ブッシュ父子が大学時代に属していたスカル&ボーンズはまったく無関係の組織のようです。


 ひととおり話をうかがったあと、地下にあるホールを見せてもらいました。下の写真がそれです。



 詳細は聞けませんでしたが、ここでいくつかの儀式をおこなうのはまちがいないようです。『ロスト・シンボル』のプロローグの舞台であるテンプル会堂の一室とまったく同じではないものの、なんとなくイメージが浮かびやすくなるのではないでしょうか。もっとも、プロローグの場面にいくつかの誇張した描写があるのは事実のようです。



 上の写真は、同じ部屋の入口付近のものです。この2本の柱、『ダ・ヴィンチ・コード』の終盤で1回、『ロスト・シンボル』では2回言及されるのですが、なんという名前だったか覚えていますか? これを今回のクイズの問題とし、正解は来週発表します。小説のなかでは、一方が螺旋模様、一方が縦縞模様となっていて、ソロモン神殿の頂上にあったものを模したとされていますが、日本にあるものはそこまで精巧に作られていないようです。


 最後に、今回『ロスト・シンボル』をお読みになってどう思いますか、という質問をぶつけてみました。すると、たしかに細かい描写で納得できないところはいくつかあるものの、小説として非常におもしろいし、基本理念の部分ではおおむね正しく描かれているのだから、目くじらを立てることもないのではないか、と言ってくださったので、こちらもひと安心できました。


ダ・ヴィンチ・コード』が刊行されたあと、日本のフリーメイソンにも入会希望者がずいぶんいたようですが、単なる興味本位や、人脈作りへの過度の期待などから、結局長続きせずにやめていった人も多かったそうです。『ロスト・シンボル』の刊行後もまた増えるかもしれませんよ、と申しあげたところ、おふたりとも、心の底から賛同してくれる人ならばもちろん歓迎します、とおっしゃっていました。


 ロッジから帰ったあと、何人かの人から「ひょっとして入会したくなったんじゃない?」と尋ねられました。正直言って、そういう気持ちもなくはありません。ただ、『ロスト・シンボル』のなかに、"ラングドンフリーメイソンの理念や象徴主義に大いに敬意を払っているものの、秘儀参入はしまいと心に決めていた。秘密厳守の誓いは、フリーメイソンについて学生と論じる妨げになるだろう"(文庫版上巻204ページ7行目、ハードカバー上巻148ページ2行目)という記述があります。わたし自身も、まだダン・ブラウンの作品の翻訳をつづけていきたいので、いまはラングドンと同じスタンスでいようと思っています。


 今回はここまで。来週3月16日の最終回では、訳出中のこぼれ話や刊行後の反響などをいくつか紹介する予定です。では、また1週間後にお会いしましょう。

フリーメイソン (講談社現代新書)

フリーメイソン (講談社現代新書)

ロスト・シンボルへの道(第2回)(執筆者・越前敏弥) 


(承前)


 きょうも引きつづき、いよいよ刊行があすに迫った『ロスト・シンボル』について書かせていただきます。まずはきのうのクイズの正解から。


[1] 『天使と悪魔』は小説として書かれる前、別の形で発表されました。それは何?

 (1) 戯曲  (2) 音楽  (3) 絵画  (4) 彫刻


 正解は (2) の音楽。1995年、当時シンガーソングライターだったダン・ブラウンがリリースしたCDのタイトルが「天使と悪魔」でした。歌詞を読むと、のちの同題の小説の原点ではないかと思えるような個所も少しあります。しかし、東部の保守的な名門校で育った内省的なダン・ブラウンには、エンターテインメントの都ハリウッドの水があまり合わなかったらしく、徐々に生活の基盤を著述業へ移していくことになります。


[2] ダン・ブラウンと妻ブライズの年齢差は?

  (1) 妻ブライズが12歳下

  (2) 妻ブライズが6歳下

  (3) 妻ブライズが6歳上

  (4) 妻ブライズが12歳上


 正解は(4) の「妻ブライズが12歳上」。1991年、一流のミュージシャンになることを夢見つつ、デモ盤を持ってロサンゼルスに乗りこんだ若きダンが最初に所属したのが全米ソングライター協会という団体で、ブライズはその芸術開発部門の責任者でした。ブライズはその後、事実上のマネージャーとしてダンの音楽活動全般を支援していきます。ダンに小説を書くように勧めたのも、著作のための綿密な調査の半分を手がけたのもブライズですから、この姉さん女房なしには、けっしてラングドン・シリーズは生まれなかったでしょう。


[3] 小説を執筆する前、ダン・ブラウンが書いたと言われるノウハウ本のタイトルは?(日本で未刊行)

  (1) 最高のパートナーを得るための187か条

  (2) 近づいてはいけない187人の男

  (3) 187ドルあればだれでも幸福になれる

  (4) あなたの本質を知る187の問い


 正解は (2) の「近づいてはいけない187人の男」(原題は "187 men to avoid")。「恋に恵まれない女性のためのサバイバル・ガイド」という副題がついています。タイトルから想像できるように、「近づいてはいけない男」の例をたくさん並べたものです。たとえば「電気鼻毛カッターを持っている男」、「猫より小さい犬を飼っている男」……そして最後が「女性向けの本(たとえばこれ)を読む男」。当然、著者が男性では変なので、表向きは「ダニエル・ブラウン」という女性が書いたことになっています。その後、ブライズ・ブラウンの名義で書かれた "The Bald Book"という本(訳題は……うーん……「毛髪の少ない男性をハゲます本」とか?)も実はダンの手になると言われていますが、小説第1作の前に書かれたこの2冊のことは、ダン・ブラウンもあまり積極的には知られたくないらしく、公式サイトなどにはまったく情報が載っていません(もっとも、書いたことを否定しているわけではありませんが)。

187 Men to Avoid

187 Men to Avoid

『ダ・ヴィンチ・コード』誕生の謎

『ダ・ヴィンチ・コード』誕生の謎

 さて、トリヴィアはこのぐらいにして、きょうのテーマは秘密結社。


『天使と悪魔』のイルミナティ、『ダ・ヴィンチ・コード』のシオン修道会、そして『ロスト・シンボル』のフリーメイソンダン・ブラウンは秘密結社を作中に登場させるのが大好きなようです。また、それを言うなら、『デセプション・ポイント』のNRO(国家偵察局)や『パズル・パレス』のNSA(国家安全保障局)も、一般国民から見てどんな活動をしているかが非常にわかりにくいという意味では、ある種の秘密結社だと言えるでしょう。


 ダン・ブラウン自身は、秘密結社に興味を持ったのはニューイングランドで育ったからだとインタビューで語っています。アイビーリーグの大学の秘密クラブや、建国の父である政治家たちが所属していたフリーメイソン支部などに囲まれていたため、自然に関心が芽生えたというのです。そういうこともあってか、ラングドン・シリーズでは、秘密結社の姿をことさらに突飛なものとして描こうとはしていないという印象を受けます。たとえば『ダ・ヴィンチ・コード』では、祖父が属していたシオン修道会に対して反感を持つソフィーに対し、ラングドンは偏見を捨てるよう粘り強く説得します。その点は『ロスト・シンボル』でもまったく同じで、フリーメイソンの等身大の姿に迫ろうとしているように見受けられます。唯一今回ちがう点があるとすれば、イルミナティシオン修道会が、少なくとも小説のなかで描写されたような形で実在した可能性は低く、純粋にフィクションとして楽しむべきだったのに対し、今回のフリーメイソンはまぎれもなく実在する組織であるため、読んでいていっそう緊迫感があるということでしょう。


『ロスト・シンボル』では、ラングドンの恩師かつ親友であるフリーメイソン最高幹部のピーター・ソロモンが誘拐されます。拉致犯である全身刺青の男マラーク(ヘブライ語で「天使」の意)は、ピーターを救いたければ、古来フリーメイソンに伝わる究極の知恵――"古の神秘"――へ至る門を解き放て、とラングドンに命じます。ラングドンはピーターの妹キャサリンとともに、例によってさまざまな暗号を解きながら、一方で当局からあらぬ疑いをかけられて追われながら、"古の神秘"の正体を明かすべくワシントンDC一帯を駆けまわり、最後に行き着いたのは――というのが今回のあらすじです。


 舞台がワシントンDCで、フリーメイソンを扱っているとなると、かならず扱われそうな題材や建造物があるのはたしかです。DCの街路図の随所に、フリーメイソンのシンボルであるコンパスや定規の模様が配されていること。CIA本部の敷地内にある謎の彫刻クリプトス。そして、1ドル紙幣の絵柄にまつわる謎。それらについては、本書よりはるかに前に出版された"The Solomon Key"の数々のガイドブックでも採りあげられてきました。『ロスト・シンボル』では、作者はそれらの題材のすべてにふれつつも、だれも予想しなかったであろう方向へと話を展開させていきます。そして、フリーメイソンにかぎらず、古来人類が思索をつづけてきた究極の質問――神とは何か、人間とは何か――に真っ向から挑むことになります。『ロスト・シンボル』はページターナーの側面を持ちつつも、これまで以上に深遠な境地を作者がめざした意欲作だと言えるでしょう。その意味で、これまでのダン・ブラウンの作品とはちがった味わいを感じとることができるはずです。


 ところで、秘密結社の登場する翻訳ミステリーはこれまでにも多くありました。みなさんは何を思いつくでしょうか。まずはロバート・ラドラム。いや、『フリッカー、あるいは映画の魔』だというかたもいるでしょう。映画だと〈フロム・ヘル〉、〈王になろうとした男〉、〈ゴッドファーザーPART3〉……。それぞれにお気に入りの作品がありそうですね。


 わたしの場合、自分の読書体験のなかで最初に秘密結社が強烈な印象を残したのは、中学生のときに読んだ、シャーロック・ホームズものの長編『恐怖の谷』でした。『恐怖の谷』の第2部に、マクマードという男が田舎町で、ある結社の支部の参入儀礼に臨む場面があります。目隠しをした両目の先に棒のようなものが押しあてられているのですが、そこでマクマードは一歩前へ出るよう命じられます。目がつぶれるのではないかという恐怖を感じつつ、思いきって前へ出ると、棒の先がすっと引っこみ、周囲から賞賛の声があがるのです。マクマードは勇気のある男と認められ、支部員としてその後尊敬を集めることになります。


 この描写の恐ろしさと、相手を信頼することによってメンバーとして認められるというしきたりのおもしろさが相まって、この作品はその後も長く自分の心に残りつづけました。もちろん、そのあとのどんでん返しにみごとにやられたのも一因です。その結社の名前が「自由民団」だったこともあり(「自由民連盟」「大自由人団」という訳もあるようです)、その後長年にわたってわたしはこれがフリーメイソンのことだと思いこんでいました。『恐怖の谷』の「自由民団」はかなり悪辣な組織として描かれているので、フリーメイソンもその手のものだろう、となんとなく決めつけていたのですが、翻訳の仕事をはじめるようになってから、実は原語が "Order of Freemen" だと知り、誤解を恥じたものです。でも、『恐怖の谷』の作者コナン・ドイルはまちがいなくフリーメイソンだったのですから、まぎらわしいですね。


『恐怖の谷』に登場するピンカートン探偵社ダシール・ハメットが勤務していたことがあることも、この「自由民団」のモデルとなった組織が『ポップ1280』にも登場するということも、知ったのはずっとあとのことです。


 話がそれてしまってすみません。要は、おもしろい翻訳ミステリーは連鎖反応のように別の作品をつぎつぎ思い起こさせてくれる、ということを言いたかったのです。


 ところで、"Order of Freemen" の "Order" に「結社」という意味があることを知っていた人はあまり多くないでしょう。実は『ロスト・シンボル』でも、この "Order" という単語が非常に重要な意味を持ちます。刊行前なので、ヒントはここまで。


 さて、きょうも最後にクイズを3問。


[1] ラングドンという名前は、ある人物にちなんでつけられたものです。その人物のダン・ブラウンとの関係は?

(1) 高校時代の恩師

(2) 大学時代の親友

(3) 『パズル・パレス』でIT関係の知識を提供してくれた人物

(4) 『天使と悪魔』のアンビグラムの作者


[2] ダン・ブラウンは仕事の合間にある健康器具を使っているそうです。それは何?

(1) エキスパンダー

(2) ブルワーカー

(3) ぶらさがり健康器

(4) 足つぼ健康器


[3] ダン・ブラウンの出身大学はアマースト大学ですが、ロバート・ラングドンの出身大学は?

(1) イェール大学

(2) ハーヴァード大学

(3) プリンストン大学

(4) スタンフォード大学


 最後の問題はあまりにも簡単だと思った人は――おそらくまちがっていますよ。実はこれがいちばんの難問です。


 次回は『ロスト・シンボル』刊行後の3月9日。クイズの正解や、詳細はまだ明かせませんが、フリーメイソンの実像に迫るレポートなどを掲載する予定です。では、また1週間後にお会いしましょう。


越前敏弥

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 下

ロスト・シンボル 下

シグマ最終指令〈上〉 (新潮文庫)

シグマ最終指令〈上〉 (新潮文庫)

シグマ最終指令〈下〉 (新潮文庫)

シグマ最終指令〈下〉 (新潮文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

  

ロスト・シンボルへの道(第1回)(執筆者・越前敏弥)

 きょうから数回にわたって、ダン・ブラウンの新作『ロスト・シンボル』(2010年3月3日発売)にまつわる訳出上のこぼれ話や最新情報などを書かせていただきます。題して、「ロスト・シンボルへの道」。

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 上

ロスト・シンボル 下

ロスト・シンボル 下

 いやあ、ほんとうに長らく待たされました。『ダ・ヴィンチ・コード』の原書が出たのが2003年の3月。訳書が出た2004年5月には、続編(当時は "The Solomon Key" という仮題)がまもなく書きあがるのではないか、と言われていました。それから早6年。そのあいだに、こちらはノン・シリーズの『デセプション・ポイント』と『パズル・パレス』を訳し、『天使と悪魔』も含めた4作すべてが文庫化され、映画2作が公開され、"The Solomon Key"のガイドブックまでもが刊行され、それでもなんの音沙汰もなく……。何度か作者サイドに照会しましたが、そのたびに「いま書いてます」って、そば屋の出前じゃあるまいし……いえ、もちろん、『ダ・ヴィンチ・コード』の反響があまりにも大きかったんで、推敲に推敲を重ねたのであろうことは推測できます。でも、その割にダン先生、映画の撮影現場を毎日訪れて、ロン・ハワードとかトム・ハンクスとかとにこやかに記念写真におさまったり……いえ、いいんです、ついに出たんですから。そう言えば、このサイトが開設されたばかりのころ、扶桑社の(と)さんから励ましのことばをいただいたんでしたね。遅ればせながら、どうもありがとうございます。あのとき、こちらは翻訳に手をつけたばかりの修羅場でしたが、俄然やる気が湧いてきました。

http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20091002/1254478730

http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20091002/1254478706


 ちなみに、本国アメリカでの発売日は2009年9月15日でしたが、これは『ロスト・シンボル』の作中で何度も(約50回!)言及されるフリーメイソンの聖なる数「33」に基づいています。え、なぜって? だって、09+9+15=33でしょう? うーん、ちょっと苦しいか。でも、日本語版は完璧ですよ、3月3日発売ですから。その日に合わせるために、こっちは正月返上で……いえ、いいんです、ついに出るんですから。


 さて、『ダ・ヴィンチ・コード』から何年も経ったので、ラングドン・シリーズのことをすっかり忘れてしまったかたも多いでしょうから、軽くおさらいしておきましょう。主人公のロバート・ラングドンハーヴァード大学教授で、専門は宗教象徴学。宗教や美術に関する該博な知識を持つ一方、スポーツ万能で、とりわけ水泳が得意。しかし、子供のころに井戸に閉じこめられた経験があり、せまい空間が大の苦手。にもかかわらず、『天使と悪魔』では棺桶に閉じこめられたり、『ダ・ヴィンチ・コード』ではエレベーターで異様に息苦しくなったり、さんざんな目に遭いますが、『ロスト・シンボル』ではそれとは桁ちがいの絶体絶命の危機に陥ります。『天使と悪魔』ではローマ、『ダ・ヴィンチ・コード』ではパリとロンドンというように、前2作はヨーロッパが舞台でしたが、今回はアメリカ合衆国の首都ワシントンDC。ちょっと地味な印象があるかもしれませんけれど、いえいえ、とんでもない、ワシントンにこれほどすばらしい美術作品や建造物があることと、つぎつぎ意外な事実が判明することに、みなさんも驚かれるはずです。


 ダン・ブラウンの作品の魅力は、ひとことで言えばスピード感と蘊蓄です。そのふたつは本来なら両立しないはずのものですが、ダン・ブラウンの作品は緩急の使い分けが実に巧みで、一気に読まされてしまいます。また、ページターナーであるために見落とされがちですが、伏線の張り方が巧妙だと思います。ここまではあとがきなどにも書きましたが、そのほかに、「過剰」や「唐突」を楽しむ、という読み方もできるかもしれません。たとえば、『天使と悪魔』で、20ページぐらい進んでもたった1分しか経っていないという、異様に濃密な描写。『デセプション・ポイント』では、あの動機のために北極全体を使ってトリックを仕掛ける過激さ。そして『パズル・パレス』では、さんざん考えさせたすえの、意表を突くあのパスワード。

 もちろん、『ロスト・シンボル』も、上にあげたすべての特徴を備えたページターナーだと請け合います。どうぞお楽しみに。


 さて、今回はまだ発売前ということもあり、ダン・ブラウンにまつわるトリヴィア・クイズを少々。


[1] 『天使と悪魔』は小説として書かれる前、別の形で発表されました。それは何?

 (1) 戯曲  (2) 音楽  (3) 絵画  (4) 彫刻


[2] ダン・ブラウンと妻ブライズの年齢差は?

(1) 妻ブライズが12歳下

(2) 妻ブライズが6歳下

(3) 妻ブライズが6歳上

(4) 妻ブライズが12歳上


[3] 小説を執筆する前、ダン・ブラウンが書いたと言われるノウハウ本のタイトルは?(日本で未刊行)

(1) 最高のパートナーを得るための187か条

(2) 近づいてはいけない187人の男

(3) 187ドルあればだれでも幸福になれる

(4) あなたの本質を知る187の問い


 重箱の隅ばかりですみません。正解はあす(3月2日)に発表します。次回はほかに、『ロスト・シンボル』の最大のテーマであるフリーメイソンの話を書きます。お楽しみに。


 (つづく)


 越前敏弥


天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (中) (角川文庫)

天使と悪魔 (中) (角川文庫)

天使と悪魔 (下) (角川文庫)

天使と悪魔 (下) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

デセプション・ポイント〈上〉 (角川文庫)

デセプション・ポイント〈上〉 (角川文庫)

デセプション・ポイント〈下〉 (角川文庫)

デセプション・ポイント〈下〉 (角川文庫)

パズル・パレス 上 (角川文庫)

パズル・パレス 上 (角川文庫)

パズル・パレス 下 (角川文庫)

パズル・パレス 下 (角川文庫)