多重人格でいこう〜S・ジャクスン『鳥の巣』他(執筆者:ストラングル・成田)

  
(シャッフルビートに乗って二人登場)
 
博士:わしは、ふぐり蒸太郎博士じゃ。長年ミステリを研究しておる。
りりす:私は、普通の女子高生りりす。
博士:師走で猫の手も借りたいくらいだから、今回は近所の女子高生の手を借りて対話形式でお送りする。
りりす:乱歩「カー問答」の昔から、大井廣介『紙上殺人現場』石川喬司の連載「地獄の仏」(『極楽の鬼』所収)、最近では木村二郎氏のジロリンタンと速河出版の女編集者まで、対話形式はレヴューの王道よ。
博士:君、いつの時代の女子高生じゃ。
りりす:何とかじゃ、と話すお爺さんに会ったことがないわ。
博士:そういえば、「ヒヒヒ」と笑う老婆にも会ったことがないのう。
りりす:子どもができたと言ったら、眼を潤ませて「やった〜!」と叫ぶ父親にも会ったことがない。
博士:君、何人産んどるんじゃ。
 
博士:今回は9冊じゃ。うち、国書刊行会の5冊を合わせると、税込み13,824円じゃ。これはぜひ世界の中心で叫びたかった。
りりす:私は、博士から借りて読んだわよ。
 

喜国雅彦国樹由香『本格力』


本格力 本棚探偵のミステリ・ブックガイド

本格力 本棚探偵のミステリ・ブックガイド

博士:最初は、漫画家にして本棚探偵、喜国雅彦氏と国樹由香氏の「今まで見たことのないブックガイド」。ミステリにまつわる面白コーナーがたくさんあるけど、当欄的には、「本当にお薦めしたい古典ミステリを選ぶ「H-1グランプリ」が最高じゃ。
りりす:現代の読者の立場に立って海外クラシック・ミステリのベストを選ぼうという企画ね。これが坂東善博士と普通の女子高生りこちゃんとの対話で進むわけ。どこかの趣向とそっくりね。
博士:おっ、どうやら、終電が来たようだ。
りりす:真昼間だって!
博士:なんせ古手のミステリファンは、大昔に古典的名作を読んでいるので、ほぼ筋を忘れてしまっているし、名作が一時期にバーンと並んでいたわけでもないから未読作品も多いんじゃ。そんな中、現代の新しい読者にとって面白いのか、改めて読んで吟味するということを、おおむね毎回5点以上、9年かけた全27試合という一大スケールでまとめられたのは、壮挙じゃ。でも、りこちゃんの評が手厳しくてのう。そして誰もいなくなった『二人の妻をもつ男』も落選しておった…
りりす:何も、ハゲ隠しで涙をふかなくても……。
博士:最初の頃、博士も怯えていたようじゃが、後半になってくると、ずいぶん博士とりこちゃんの波長があってくる。
りりす:それは、原理上、しかたがないわ。
博士:読んでない本は読みたくなり、読んだ本は読み返したくなるというのが、名ブックガイドの条件だと思うが、本書はまさにそれ。二人のやりとりはあくまで楽しいし。クイーン『エジプト十字架の謎』の技術分析やカー『三つの棺』の密室講義の隠れた意図など、評論家も地団駄を踏む見解もある。わしとしては、バークリーの評価とか、びくりと反応したいところも無論あるが、『自殺じゃない!』『グリンドルの悪夢』が優勝しているのは嬉しかった。勝負の結果に一喜一憂するのも楽しみの一つじゃ。
 

戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』

ぼくのミステリ・クロニクル

ぼくのミステリ・クロニクル

博士東京創元社で長く編集者として活躍してきた戸川安宣氏の聞き書き集。一読して思ったのは、個人的なことだが、読者としての大きな部分を戸川氏という「黒幕」に導かれたんだなあ、ということ。わしにとって、創元推理文庫が特に大切な文庫になったのは、戸川氏が企画した〈シャーロック・ホームズのライヴァルたち〉やクラシック・ミステリを発掘していった〈探偵小説大全集〉が決定的だったし、〈日本探偵小説全集〉という画期的文庫全集発刊のことも鮮烈に憶えている。その後、〈鮎川哲也と十三の謎〉を企画、鮎川賞に発展させ、清新な新人たちを次々に送り出してきた。戸川氏の編集の軌跡を追うようにミステリを読んできた一群の読者がいるわけだが、黒子に徹したせいでその業績はおぼろげにしか判らなかったのじゃ。今回、この本で、一連の仕事を詳しく教えてもらって、数十年にわたりシーンを生み出し、その積み重ねとして現在のミステリシーンがあるということがよく判った。
りりす東京創元社の会長を辞めたあとも、編集の仕事を続けているもんね。私は、ミステリ研究会時代の話や売り手としてミステリ専門書店「TRICK+TRAP」の話が面白かった。一度行ってみたかったなって。
博士:しかし、幼少期の〈二十面相シリーズ〉の愛読から始まって、これだけミステリ一筋の編集者というのも珍しいはずじゃ。ファン魂を持続しつつ、新しい書き手と読者を開拓し、今もなお、ミステリに情熱を燃やしていることは、ミステリ界には天祐だったとしか思えない。今回は仕事の話が中心だったが、海外・国内を問わない作品論、作家や翻訳家周辺の話などもまとめてほしいものじゃ。
 

フランシス・M.ネヴィンズエラリー・クイーン 推理の芸術』

エラリー・クイーン 推理の芸術

エラリー・クイーン 推理の芸術

博士:本書は、クイーン研究の第一人者が資料や関係者証言を収集し、偉大なミステリ作家のデビューから晩年までの軌跡をたどったエラリー・クイーン伝の決定版。本文450頁超、書誌70頁超、それに写真、索引がついた巨弾本じゃ。わしの大好きな作家だから嬉しくてのう。邦訳のある『エラリイ・クイーンの世界』の「増補改訂版」だが、合作の内幕、60年代に量産されたペイパーバック・オリジナル等の新情報も満載されていて、面目を一新したものといっていい。
りりす:クイーンの宣伝体質の部分が面白かった。『ローマ帽子の謎』で危険な毒薬の情報を知らせたとして匿名で新聞に投書して話題になることを煽ったり、覆面でバーナビー・ロスVSエラリー・クイーンとして完璧なリハーサルのもと討論したり、自分の名前がどれくらい知られているか調べるために、わざと、ニューヨーク、エラリー・クイーン宛てで郵便を出したり。ラジオドラマに乗り出したのも、プロモーションの一環的なところもあるし。
博士:そこか。わしは、やっぱり、ダネイとリーの軋轢だな。ダネイがプロットをつくり、リーが実際に書くという合作方式が初期から続いていたわけだが、40年代には、リーが、「僕は何なのだろう。雇い主が設計図を放り投げてくるのを待って道具の前に座っている哀れな下働きなのだろうか?」と書いている。リーの文学規範は、リアリズムであり、ダネイのプロットは「構想の広大さと大胆さがほぼすべて」。小説観の相違は、「僕らは独房でわめく二人の偏執狂で、お互いをズタズタに引き裂こうとしている」というところまで行きつく(引用はいずれもリーの手紙)。この二人だから、前人未踏のミステリが誕生したと軽々しくまとめられないような亀裂の深さ。ミステリ好きのいとこ同士として始まったクイーンの人格内ではキャリアを経るにつれ、激しい争闘が繰り広げてられていたんじゃなあと。いずれにせよ、この本は、伝記的事実や二人の人柄、ときに厳しいが独自の魅力を分析した作品評、映画やラジオとの関わり、EQMMやアンソロジーの内幕などなど今後クイーンを語る上で、汲めども尽きぬ興趣に満ちている。
りりす:でも、本文によると、アメリカ本国では、完全に忘れられた作家になっているみたい。
博士:嘆かわしい。わしに言わせれば、クイーンは、探偵小説という形式を突き詰めていくうちに、なにか途方もない領域に触れてしまった20世紀アメリカの文豪じゃ。『十日間の不思議』『悪の起源』『九尾の猫』『盤面の敵』『第八の日』……。「操り」に関してのオブセッションじみた問いかけは、ナチズムや広告宣伝の世紀でもあった20世紀の問題系と正対すものであり、「操り」は、21世紀の今日、より精緻化され、現代の、われわれの……。おーい――。
 

マージェリー・アリンガム『クリスマスの朝に』

クリスマスの朝に (キャンピオン氏の事件簿3) (創元推理文庫)

クリスマスの朝に (キャンピオン氏の事件簿3) (創元推理文庫)

 小学校時代の同級生ピーターズが病死したという新聞広告を見た、アルバート・キャンピオン。卑劣ないじめっ子を葬儀で見送ってから半年後、殺人事件の捜査に協力を求められた警察署で見た死体に、キャンピオンは驚愕する!

 
博士『窓辺の老人』『幻の屋敷』と続いたキャンピオン氏の事件簿も、この第三巻『クリスマスの朝に』をもって、いったん中締めのようじゃ。メインディッシュは、本邦初訳の中編「今は亡き豚野郎(ピッグ)の事件」。中編といっても、200頁超え。内容も堂々たる長編仕様じゃ。
りりす:キャンピオンがいじめられっ子だったのにも驚くけど、殺された男が半年前に葬儀で見送ったはずの当人、というのは魅力的なすべり出しね。では、埋葬されたのは誰だったのかということになるわけだけど、怪しげだったり、奇天烈だったりする登場人物が次々と登場して事態は混乱。村人たちの憩いの地を俗悪なリゾートにしようとするたくらみが背景にあるようだし。全体に霞がかかったような事件なのに、キャンピオンの謎解きで一挙に視界が晴れ渡るのは快感でした。従僕ラッグの出番が多いのも嬉しいし。
博士:クリスティが書いた著者への追悼文も収録されており、その中でアリンガム作品の特徴として、「幻想性と現実感の混在」を挙げているが言い得て妙じゃ。登場人物たちは皆リアルなわけではないが、いきいきとして確かにそこに存在しているようでもある。そういった小世界をつくるのが実にうまい。その世界では、トリックが無理筋などということは些末にすぎない。
りりす:同じ村が舞台の「クリスマスの朝に」も、しっかりミステリもしていて、クリスマスにふさわしい話だったしね。
博士:まだ、短編はあるので、続巻を期待しておこう。
 

シャーリイ・ジャクスン『鳥の巣』

鳥の巣 (DALKEY ARCHIVE)

鳥の巣 (DALKEY ARCHIVE)

エリザベス・リッチモンドは内気でおとなしい23歳、友もなく親もなく、博物館での退屈な仕事を日々こなしながら、偏屈で口うるさい叔母と暮らしていた。ある日、止まらない頭痛と奇妙な行動に悩んだすえ医師の元を訪れる。診療の結果、原因はなんとエリザベスの内にある、彼女の多重人格だった。ベス、ベッツィ、ベティと名付けられた別人格たちは徐々に自己主張をし始め、エリザベスの存在を揺るがしていく……

 
博士:今年は、生誕100年ということもあって、シャーリイ・ジャクスンの当たり年だったのう。
『日時計』『絞首人』の初訳に続き、本書『鳥の巣』(1954)と、『絞首人』の別訳(『処刑人』)が出て、異色作家短編集『くじ』が文庫化。(ついでに言っておくと、『処刑人』の深緑野分氏の解説は、作中のタロットカードを手がかりに作品に新たな照明を当てていて必読じゃ)それだけ、「魔女」と呼ばれた作家への関心が高まっているということじゃな。
 中でも、本書『鳥の巣』は、強烈な異色作だ。1950年代半ばには、多重人格を扱った作品がミステリやホラーがポツポツと出てくる。わしが魔女と呼んでいる作家がみな、この時期、同じテーマを扱ってのは、奇縁じゃ。この本は、多重人格小説の黎明期の作品だが、ここまで真正面から取り組んでいる小説は珍しいだろう。といっても、多重人格という恰好の素材を得て、誰にでも巣食う人間の孤独とコミュニケーションの不全を描いたというのがわしの見立てじゃ
りりす:能書きはいいけど、この本には、ひきずりこまれたよ。平凡な博物館職員がある日、匿名の「おまえはにげられない」という手紙を受け取るオープニングからザワザワして。ライト医師の催眠術治療を受けるうちに、邪悪な人格ベッツイが現れ、家出してニューヨークへ。大都会で困惑するベッツイに少し同情したり。さらに、予想を裏切る展開があり、どこに連れていかれるんだろうと。あちこち怖かったり、こっちの神経に触れてくるところもあるけど、医師がそれぞれの人格と対話するところは、むしろコミカルだったり。なんとなく時代からズレている医師のキャラもいい。そして不思議なことに何か清々しいものが残るの。
博士:前作『絞首人』が自伝的要素を帯び主人公の少女の心理に寄り添ったもので、時に息苦しかったのに対し、こちらは、主要人物のキャラクター設定や複数の語りのスタイルからも、作家としての成熟を感じさせる。皮肉を効かせた登場人物の描き方や分裂した人格の対立には、黒い笑いも感じさせて、これが日時計にもつながっていくわけだ。随所に出てくるマザーグースの童謡の使い方も効果的じゃ。
りりす:粗野で狡猾なベッツイにしても、囚われ人なんだよね。
博士:ここでは各人格が、ゴシックロマンスの塔の中の姫君のように囚われている。いかにも、この作家らしい。そして、人格が一筋縄でないのは、エリザベスだけじゃない。博士は、医者としての使命で治療に熱中するが、むしろ、エリザベスの中の好きな人格と関わりたいという好奇心の方が強く見える。囚われの姫君を救う騎士=治療者だったはずが、フランケンシュタイン博士のように、「怪物」を生み出してしまう。エリザベスの叔母は、偏屈極まりなく姪を縛りつける一方で、ユーモアに富み彼女に寄せる愛情は本物だ。本書においては、登場人物もまた、分裂的存在なんだ。
りりす:これ以上利いた風な口をきいたらお前を食っちまうぞ!/でも、博士のことを信頼していないなんて思わないでね。
博士:人前で「鳥の巣」ごっこはやめろ。
 

ピエール・ボアロー『震える石』

震える石 (論創海外ミステリ)

震える石 (論創海外ミステリ)

 列車内で暴漢に襲われた娘を助けたことをきっかけに、私立探偵アンドレ・ブリュネルはブルターニュ地方の古めかしい伯爵邸を訪れる。次々と起こる奇怪な事件。ブリュネルは謎の襲撃者に翻弄されながら、邸の人々を守り、真実を掴もうと苦悶する。

 
博士『震える石』(1934)は、フランスの合作コンビ、ボワロー&ナルスジャックの片割れボワローのデビュー作。ボワローは、不可能犯罪をメインにした謎解き物で知られている。『殺人者なき六つの殺人』では、密室の謎などが満載だった。不可能犯罪ファンには、嬉しいプレゼントだろうて。メインの謎は二つ。密室状況にある浴室からの襲撃者の消失と、犯行を察知した探偵がごく短時間で駆けつけたのに襲撃者も被害者も消えているという不可能状況。
りりす:190頁弱と短いから、すぐ読めた。でも、不可能犯罪がメインというより、全体には、ルパンシリーズのよう。次々に犯行を重ねる見えない犯人の動きがすごくて、周囲の人を救えない探偵ブリュネルさんの苦悩も深い。あまりなじみのないブルターニュ地方でのカーチェイスも迫力あったわよ。
博士:のちに、ボワロー&ナルスジャックとして贋作シリーズを書いているくらいじゃから、ルパン物は、作者の血肉となっているはずだ。久しぶりに、名探偵VS名犯人が拮抗する大活劇が楽しめた。背景にあるのは、名家のお家事情というのもクラシカルだし。でも、この本で、最もインパクトがあったのは、深夜、ブリュネルが塔の階上から、当主親子の会話を盗み聞きするシーンじゃ。
りりす:二人が会話するようでいて、実は互いに同じセリフを何度も何度も繰り返しているところね。あそこは薄気味悪くて、さきを早く読みたくなった。パンチラインっていうやつかな。
博士:不可能犯罪の絵解き自体は、隠された事情が効きすぎていて、それほどでもないが、ケルトの伝統が息づくブルターニュの地方色も豊かで、ルパンや明智小五郎の長編が好きな人は楽しめると思うぞ。
 

S・A・ステーマン『盗まれた指』

盗まれた指 (論創海外ミステリ)

盗まれた指 (論創海外ミステリ)

 幼い頃に両親を亡くした娘クレールが、唯一の血縁の伯父が住むベルギーの片田舎の古城で遭遇した謎の二重の死。殺された伯父の小指は、切り落とされ、持ち去られていた。マレイズ警部が辿りついた真相とは。

 
博士『盗まれた指』(1930)は、『六死人』(1931)や『殺人者は21番地に住む』(1939)などで知られる作家ステーマンの久しぶりの登場じゃ。『黄色い部屋の謎』がありながら、フランスでは、謎解きミステリは長く根付かなかったが、英米の作品が流入してきて、20年代の後半から10年ほどの間に、盛んに書かれるようになる。その謎解き物の隆盛を担ったのが、(ベルギー出身だが)ステーマンや、ピエール・ヴェリイ、さっきのボワローなどじゃ。『六死人』などは堂々たる謎解き物だった
りりす『本格力』にも「もっと光が当たっていい作家」と書いてあるしね。
博士:といっても、英米の本格物とは、風合いが違うことも、また事実で、その辺りもフレンチ本格の読みどころといえのではないかと思う。本書の場合も、読者への挑戦めいた仕掛けも含めて謎解きミステリといっていいんじゃが、幕開けは、ゴシック・サスペンス風で……
りりす:ストーップ! その続きは『盗まれた指』ストラングル・成田さんの解説を読んでみてね。
博士:ストラングル氏には優しいのう……。
 

ファーガス・ヒューム『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』

 主人公ヘイガーは、豊かな黒髪と浅黒い肌が印象的なジプシー(ロマ族)の美少女。でも、ある事情から仲間と離れ、ロンドンのけちな質屋に身を寄せ、経営している。気が強くて抜け目ないヘイガーは、また、鋭い勘と鑑識眼の持ち主だった。質草として持ち込まれる様々な物にまつわる謎を、知恵と好奇心で解きあかす。

 
りりす:びっくりしちゃった。
博士:19世紀後半から20世紀初頭の女性探偵を主役にしたミステリを集成するという、この「シャーロック・ホームズの姉妹たち」の最初が、ヴィクトリア朝のベストセラー『二輪馬車の秘密』の作家の『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』(1898)。なにせ、「少女」で、「ロマ族」で、「質屋」で、「探偵」じゃからのう。同時代の「男性」「白人」「紳士階級」のホームズを「中心」とすると、よくぞ、これだけ「周縁的属性」を持った名探偵が創造されたものじゃのう。
りりす:お話の方も、いまどきの「日常の謎」や、お仕事探偵に近い感じ。
博士:そうそう。ヘイガーが営む質屋の客は、ほぼ庶民だし、質草にまつわる謎を好奇心が強いヘイガーが解いていくという設定は、今でも使えそうじゃ。扱う謎は、遺産探しあり、暗号あり、盗難事件あり、殺人ありで、バラエティに富んでいる。ただ、謎解きは軽めで、場合によっては、ヘイガーが狂言回しにすぎない回もある。
りりす「八人目の客と一足のブーツ」はなかなかの謎解き物だったよ。運命を狂わせた裏切りにどう決着をつけるかを描いた「六人目の客と銀のティーポット」はしみしじみとしたいい話。いかにもヴィクトリアンって感じ。ヘイガーは、「女にしておくのはもったいない」といわれて「男になるほど悪人じゃない」と切り返すカッコよさ。
博士:気が強い美少女ってのは、ある種、男の理想像でもあるのう。どうじゃ。
りりす:何がどうじゃじゃ。気の弱い美少女に何を言われても。ヘイガーは、遺言管財人になったから律儀に質屋を経営しているだけで、田園を放浪する生活に帰りたくてしかたがない。好きになった青年が相続人を連れ戻してくれるのを待ちわびる乙女でもあるのよね。
博士:わしとしては、世界各地の宝が裏切りやら不品行やら様々な悪徳をまとってロンドンの掃きだめのようなところに流れ込んでくるが、そこに一人の異民族の美少女がいて、謎を解き、罪を浄化してくれるというおとぎ話めいたつくりがロマンティックで良かったぞ。
 

レジナルド・ライト・カウフマン『駆け出し探偵フランシス・べアードの冒険』

駆け出し探偵フランシス・ベアードの冒険 (シャーロック・ホームズの姉妹たち)

駆け出し探偵フランシス・ベアードの冒険 (シャーロック・ホームズの姉妹たち)

 今度の捜査を失敗すればクビ!私立探偵事務所に勤務するチャーミングな駆け出し探偵フランシスが挑んだ任務は、ニューヨーク郊外、「メイプル荘」での貴重なダイヤモンドの見張り番。ところが、見張っていたダイヤモンドは消え、殺人事件が起きる!

 
博士:こっちは、1906年に出たアメリカの女探偵を主人公にした長編ミステリじゃ。
りりす:主人公は、いかにも活発なアメリカ娘って感じ。けど、19世紀末を舞台にしているのに、探偵事務所に雇われている女探偵に、依頼人や周囲の人々が大して驚かないのね。解説によると、実際に女探偵って存在したらしいけど。
博士:地下室の調査で邪魔だから、スカートを脱いでしまう活発さ。当時ぎりぎりのお色気シーン。これが本当のパンチラインじゃな。
りりす:博士も地下室に放り出される前に、そのハゲ隠し脱いだら?
博士:本書のつくりには、驚いてしもうた。宝石が二度盗難されるという謎、続く殺人事件、みずからのアリバイについて固く口を閉ざす容疑者、検死尋問と進行し、フランシスは、事件当夜のタイムテーブルを精緻に再現することによって、意外な犯人にたどり着く。ラストは、関係者を一か所に集めて、さて、という謎解きシーンじゃ。事件関係者の動きを読者の頭に残るよう繰り返し提供していることでも、本書の主眼がフーダニットにあることは明らかだ。こうした骨太の謎解きに、フランシスの片思い、同じ事務所の男探偵との駆引き、事務所との契約がどうなるかといった興味をうまく絡めている。解説によれば、本書の作者は、専業の探偵小説家ではなかったこともあって、海外のレファレンス本でもこれまでほとんど言及されることのない作家だったという。本格ミステリのプロトタイプといえる長編がこの時期のアメリカにあったとは!
りりす:博士的には、そうかもしれないけど、この小説のストーリーは、現代に移しても、何ら古びてないってところが、意外だった。フランシスも勇敢だけど、ドジも踏む普通の女性だし、多少アレンジすれば、いまの時代のコージーなミステリとしてもおかしくないんじゃない? ま、婚約者のいる男に、岡惚れするのは、さすがに天真爛漫すぎるけど。
博士:ん、「岡惚れ」?
りりす:私、普通の女子高生よ。
博士:江戸の普通の女子高生か。
 
二人:皆さん、よいお年を!
    


ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

紙上殺人現場―からくちミステリ年評 (現代教養文庫)

紙上殺人現場―からくちミステリ年評 (現代教養文庫)

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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二人の妻をもつ男 (創元推理文庫)

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エジプト十字架の秘密 (角川文庫)

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自殺じゃない!  世界探偵小説全集 (32)

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グリンドルの悪夢 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

グリンドルの悪夢 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

エラリイ・クイーンの世界 (1980年)

エラリイ・クイーンの世界 (1980年)

十日間の不思議 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-1)

十日間の不思議 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-1)

悪の起源

悪の起源

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

盤面の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 3-7)

盤面の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 3-7)

第八の日 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-6)

第八の日 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-6)

窓辺の老人 (キャンピオン氏の事件簿1) (創元推理文庫)

窓辺の老人 (キャンピオン氏の事件簿1) (創元推理文庫)

幻の屋敷 (キャンピオン氏の事件簿2) (創元推理文庫)

幻の屋敷 (キャンピオン氏の事件簿2) (創元推理文庫)

日時計

日時計

絞首人

絞首人

処刑人 (創元推理文庫)

処刑人 (創元推理文庫)

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

殺人者なき六つの殺人 (講談社文庫)

殺人者なき六つの殺人 (講談社文庫)

六死人 (創元推理文庫 (212‐2))

六死人 (創元推理文庫 (212‐2))

殺人者は21番地に住む (創元推理文庫 (212‐1))

殺人者は21番地に住む (創元推理文庫 (212‐1))

黄色い部屋の謎 (創元推理文庫)

黄色い部屋の謎 (創元推理文庫)

二輪馬車の秘密 (1964年) (新潮文庫)

二輪馬車の秘密 (1964年) (新潮文庫)

横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

  

スパイのいる謎解き空間〜C・ワトソン『浴室には誰もいない』他(執筆者:ストラングル・成田)

 
 1960年代のミステリシーンを一言でくくると、スパイの時代といえるかもしれない。50年代から書き継がれてきた007シリーズは、映画ドクター・ノオ(1962)が大ヒット。これ以降、続々とスパイ映画がつくられていく。一方で、硬派のスパイ小説の代表格ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)も登場。米ソの冷戦状況を背景に、硬派スパイも軟派スパイもこぞって活躍する賑やかな状況だった。
 今月は、奇しくも60年代のスパイブームの影響下にある好一対のミステリが並んだ。いずれも、スパイ小説ではない。そして、スパイ物に寄せる皮肉な視線は共通している。
 

浴室には誰もいない (創元推理文庫)

浴室には誰もいない (創元推理文庫)

 コリン・ワトソン『浴室には誰もいない』(1962) は、英国の架空の港町、フラックスボローを舞台にしたパーブライト警部物の第三作目。二作目の紹介が飛ばされたのは、フラックスボローが舞台となっていないせいだろうか。
 先ごろ紹介された第一作『愚者たちの棺』では、その結末にあっけにとられたが、今でも笑いがこみあげてくる。遅効性の毒ならぬ、遅効性の笑いをもたらす一作だった。
 本書の幕開けは、四人の警官が一軒家から浴槽を運んでいくシーン。捜査の結果、死体を硫酸で溶かして下水に流した痕跡が発見されるが、家主のベリアムと間借人ホップジョイは揃って行方をくらましていた。
 ショッキングな死体なき殺人の捜査に当たるのは、パーブライト警部ほかの面々……のはずだったのだが、セールスマンを名乗っていたホップジョイは、実は政府の情報部員であり、ロス少佐ら二人の情報部員がロンドンから派遣されてきて、捜査は混戦模様に。
 ブラックスボローはそれなりに自足している田舎町。商工会の夜の会合で「近東における変則的商行為」なスライドが上映される(判りますよね?)ような俗な町で、ちょうど私やあなたの住んでいるような町だ。
 やってきた政府の情報部員は上から目線。事件の謎解きは、田舎警察VS政府の情報部員の構図となり、両者の捜査が交互に描かれるが、情報部員二人組の捜査がとにかくおかしい。田舎町の秘密を探るのに、世界を股にかけて磨いたスパイの技術も性的テクニックも、ことごとく場違い。この「牛刀をもって鶏を割く」というようなズレが笑いを呼ぶ。この辺のズレた感覚の笑いは、第12章で頂点に達し、田舎警察の警官と情報部員の二人組の会話は抱腹だ。情報部員の上滑りが、ことさらに笑いを追求するのでもなく、真顔で冗談をいう英国流アンダーステートメントの流儀で貫かれているのが嬉しい。結果として、スパイブームをおちょくりながら、返す刀で、俗で鈍重な田舎町の姿も浮き彫りにしているのは作者の意地悪な批評精神の賜物だろう。
 謎解きの面でも、狙いすました仕掛けが施されている。以前からある型とはいえ、登場人物たちの右往左往が迷彩となって、容易に狙うところを気づかせてくれない。謎が解決されることで、よりストーリー全体のおかしみが増し、ファルスとしての完成度が高まるのも本書の魅力。このシリーズ、ますます続刊が楽しみになってきた。
 
緑の髪の娘 (論創海外ミステリ)

緑の髪の娘 (論創海外ミステリ)

『緑の髪の娘』(1965) は、『国会議事堂の死体』(1958)の紹介のある、スタンリー・ハイランドの第二作。ハイランドは、下院の研究職司書として勤務の後、BBCに入局した放送人。残したミステリは三作にすぎず、小説の執筆は余技といってもいいだろう。『国会議事堂の死体』は、国会議事堂のミイラという特殊な設定と仕掛けで作者の謎解きマインドをうかがわせるには十分だったが、本作はがらりと趣向を変え、警察捜査小説の趣だ。
 イギリス北部、ヨークシャー州の小さな町ラッデン。毛織物工場でイタリアから出稼ぎに来ている若い女性工員の死体が発見される。彼女の髪と遺体は、染色桶の中で高温で茹でられ緑色に染まっていた。
『浴室には誰もいない』と同様、ショッキングな冒頭だが、地方都市、警察による捜査小説、乾いたユーモアという点でも似通っている。おまけに、本書でも、政府の情報局が絡んでくる。
 捜査に当たるのは、ラッデン警察署のサグデン警部以下。主要な活躍をするのは、トードフ刑事。ラッデン警部は頭は切れるが、デブの暴言吐きで、冒頭、トードフ刑事は警部が石段から転げ落ちればいいと小細工をするほどだ。警部のキャラクターは、本書の前年に『ドーヴァー1』で登場した史上最悪の探偵ドーヴァー警部を意識したものかもしれない。
 美人で奔放な娘殺しとあっては、警察の地道な捜査によって彼女の複数の交際相手が次第に浮かび上がり、彼女の秘められた肖像もまた明らかになっていくという展開が予想されるところ。ところがそうはならないのだ。彼女の交際相手の男5人は割合早い段階で、あっさり姿を現す。
 次なる殺人が起き、被害者の所有していたミステリ本から発見された暗号らしきものをきっかけに、事件は、思わぬ方向へ転がりはじめ、政府の情報部員も絡んでくる。そして、さらに、本書は、稀覯本にまつわる謎を追うビブリオミステリに変貌していくのだ。この意外なコード進行によるひねくれた展開は、なんとも型破り。
 途中で、驚きの殺人動機が示されるが、さらに、作者は、ひねる。さすがに最後は説明不足の感があるが、ひねくれミステリというサブジャンルがあるとすれば、本書はその収穫の一つだろう。 
 この作品にもスパイの時代の影響が色濃く落ちているが、それをどのように料理しているかも本書の見所の一つ。
 サグデン警部以下の面々のキャラクターや会話が魅力的で、単発でとどまらず、シリーズ物になっていればと惜しまれる。
 
オシリスの眼 (ちくま文庫)

オシリスの眼 (ちくま文庫)

 R.オースティン・フリーマン『オシリスの眼』(1911)は、シャーロック・ホームズ最大のライヴァルといわれるソーンダイク博士物の第二長編。ヴァン・ダインが長編ベスト7の一つに挙げるなど、フリーマンの代表作とみなされている。過去に翻訳があるが、本書は初の完訳という。1910年代初期の作品なのに、緻密な謎解きが展開されているのには唸らされる。
 エジプト学者べリンガムが忽然と姿を消してから二年が経過した。遺言状の条件をめぐり、相続人の間で争いが持ち上がっている中、各地でバラバラになった人骨が発見される。果たしてべリンガムは殺害されたのか。
 謎の失踪事件、各地で徐々に発見される手がかりという筋立ては、先月紹介したフリーマン『アンジェリーナ・フルードの謎』(1924)との類似を感じさせる。事件関係者に恋愛感情をもつ若い医者が主人公という点も共通する。『アンジェリーナ〜』が『オシリスの眼』の変奏ともいえるのだろう。
 物語は、主人公バークリー医師の学生時代の恩師ソーンダイク博士との出逢いから始まり、代診医の経験中、失踪したべリンガムの弟とその娘ルースと知り合うという形で展開する。エジプト学に精通したルースとの恋愛のエピソードが挟まれ、現代からすると、もったりと、よくいえば、悠揚迫らぬ調子で話は進行する。人骨の一部が各地から次々と発見され、さらに、故人の埋葬に関する奇矯な条件が付けられた遺言の検認に関わる裁判が中盤の見せ場になるなど、決定的な発見に至るまで事件に動きが生じ続けるので、失踪の謎に対する興味は持続する。
 極端に登場人物が少なく、真相は限られたものにならざるを得ないが、かなり大胆な力技が用いられている。真相もさることながら、博士の推理は説得力に富む。作中で、博士の科学的知識は存分に披露されるが、知識がなければ真相に到達できないものではないことは、新聞記事で失踪事件の概略を知った時点で、ほぼ博士が真相を手中にしていたことでも明らかだ。
「結論を得るには程遠い事実でも、十分積み重ねれば、決定的な総体になることも忘れてはいけないよ」バークリーに示唆したごとく、博士は緻密に手がかりを組み立てて、見破った真相を論証していく。これでもか、とばかり、真相に結び付く手がかりと推理を次々と開示していく迫力に満ちた終章は、時代はもちろん逆だが、クイーンばりですらある。エジプト学が単なるペダントリーに終わらず、プロットに密接に関わっている点も特筆すべきだろう。フェアな手がかりと推理による正統的謎解き小説の確立者としての、フリーマンの先駆性をまざまざと示す作品だ。
 
ネロ・ウルフの事件簿 アーチ・グッドウィン少佐編 (論創海外ミステリ)

ネロ・ウルフの事件簿 アーチ・グッドウィン少佐編 (論創海外ミステリ)

 レックス・スタウトネロ・ウルフの事件簿 アーチー・グッドウィン少佐編』は、論創海外ミステリ『黒い蘭』『ようこそ、死のパーティへ』に続く独自編纂のネロ・ウルフ中短編集の第三弾。二次大戦の戦時色が濃い四編が収録されている。巻末に作品リストが付いているが、原題だけで訳書の記載がないのはちと不親切だ。
「死にそこねた死体」の冒頭から、アーチーが陸軍省の少佐として登場するのに、まず驚かされる。アーチーは軍の最高幹部からの指令でNYのウルフ邸に戻ると、「人生最悪のショック」が待っていた。ウルフは何と美食もビールも絶ち、蘭の栽培にも興味を失い、ハドソン河岸でトレーニングにいそしんでいたのだ。ウルフは、一兵卒として従軍し、ドイツ兵を倒すことを夢想している。すっかり体形がしぼんでしまってアーチーのセーターを着ているウルフの姿が見もの。アーチーはウルフの頭脳を取り戻すべく奇策を講じる。二人が取り組むことになる事件も奇人揃いで風変りな事件だ。アーチーの恋人役(?)リリー・ローワンも登場。
ブービートラップは、ウルフが頭脳を取り戻し、軍に協力するようになってからの事件。アーチーが勤務する軍情報部のNYオフィスで、大佐が手榴弾によって爆死する。アーチーが気を惹こうとする美人の軍曹の存在も面白いが、緊張感をもって進行する軍隊ミステリとしても貴重。トラップを仕掛けて捕らえた犯人に対するウルフの冷徹さが忘れ難い。「急募、身代わり(ターゲット)」は、命を狙われたウルフが身代わりの太った男を雇い、事務所で殺人未遂事件が発生する。「この世を去る前に」では、「闇市の王」に対する脅迫事件に端を発して、死体が積み上がり、ウルフの事務所にギャングが集結する終幕となる。
 ウルフの手助けをしていた探偵たちは前線でドイツ兵や日本兵と戦っており、配給制によりウルフの食欲を満たす肉は払底し闇市の王を頼みの綱とする……。そんな状況下でも、アーチーはウルフをうまく操縦し、丁々発止の掛け合いで関係者の間を泳ぎつつ、ウルフの頭脳で事件に決着をつけていく、いつものウルフ譚のテイストは、変わらない。本書は、名探偵と戦争との関わりを描いたという意味でもユニークな作品群と思う。ウルフ中短編集は、これで一応の区切りのようだが、願わくは続巻を。
 
アガサ・クリスティーと14の毒薬

アガサ・クリスティーと14の毒薬

 アガサ・クリスティーが一次大戦中、看護師として働いたことはよく知られるが、薬剤師の資格も1917年に取得し、二次大戦中も、調剤師としてボランティアで働いたという。今なお、ミステリの女王であり続けるクリスティーは、薬物の専門家でもあったのだ。それゆえ、クリスティーの作品では、デビュー作『スタイルズ荘の怪事件』を皮切りに、頻繁に毒物、毒殺が扱われる。
 キャサリン・ハーカップアガサ・クリスティーと14の毒薬』は、クリスティーの小説に登場する毒物を作品に即して概説した、サイエンス・コミュニケーターによる科学読み物。扱われるのは、A:砒素(アースニク)(『殺人は容易だ』)からV:ベロナール(『エッジウェア卿の死』)まで14種の毒物。
 著者は至るところで、クリスティーの毒物に関する知識の正確さや、巧みにプロットに織り込む腕前に賞賛を送っている。正直いって、化学の素養をもたない筆者では、毒物の人体への作用など眼がすべっていく部分もあったが、実際に毒物が使用された豊富な事例や多彩なエピソードを含む薬物講義は、概して興味深い。
 作品との関わりでは、実在の事件をモデルやヒントにしたものとして『マギンティ夫人は死んだ』『無実はさいなむ』などがあると知らされる。逆に、クリスティー作品が現実の事件に影響を及ぼしたと思われる事件もある。ある長編では、あまり知られていなかった毒物タリウムを殺人手段として用いたことで批判されたという。一方ではこの長編でタリウムについて知った読者が、現実の殺人を未然に防いだり、中毒に気づいて適切に処置した例が紹介されており、少なくともこの作品は、二人の命を救っていることになる。
 クリスティー作品の真相に触れざるを得ない部分は明示する配慮がされているが、それでも多少ネタばらし気味のところもあるので、ご注意を。巻末には、クリスティーの全長短編における殺人方法のリストが掲載されている。
 本書では、ほぼすべての毒物は、その痕跡を体内に残すことが明らかにされているので、完全殺人を諦めたい人にも好適だろう。
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

007/ドクター・ノオ 007シリーズ

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寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)

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寒い国から帰ったスパイ【字幕版】 [VHS]

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愚者たちの棺 (創元推理文庫)

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国会議事堂の死体 (世界探偵小説全集)

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ドーヴァー (1) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ (967))

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アンジェリーナ・フルードの謎 (論創海外ミステリ 179 ホームズのライヴァルたち)

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ポッターマック氏の失策―ホームズのライヴァルたち (論創海外ミステリ)

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ネロ・ウルフの事件簿 ようこそ、死のパーティーへ (論創海外ミステリ)

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スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

殺人は容易だ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

殺人は容易だ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

マギンティ夫人は死んだ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

マギンティ夫人は死んだ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アガサ・クリスティー完全攻略

アガサ・クリスティー完全攻略

  

彼女が消え、彼も消える〜フリーマン『アンジェリーナ・フルードの謎』他(執筆者:ストラングル・成田)

 
 ある日、忽然と人が消える――ミステリにとっては魅惑的な状況だ。かつて、人が消えるミステリを500編以上扱い、失踪のパターンを26に分類しているブックガイドまであった(三國隆三『消えるミステリ』青弓社) 。
 我が道を行く論創海外ミステリの今回の3冊は、また、マニアックなセレクションだが、この「消えるミステリ」が並んでいて興味深い。
 

アンジェリーナ・フルードの謎 (論創海外ミステリ 179 ホームズのライヴァルたち)

アンジェリーナ・フルードの謎 (論創海外ミステリ 179 ホームズのライヴァルたち)

 オースティン・フリーマン『アンジェリーナ・フルードの謎』(1924)が扱うのは、美しい元女優の失踪にまつわる謎だ。戦前に翻訳があるが、極端な抄訳といわれており、完訳は今回が初めて。
 こんなことを書くと失格かもしれないが、どうもフリーマンという作家、あまり読む意欲をかき立てられなかった作家だった。『赤い拇指紋』(1907)と短編を読んだくらい。ホームズのライヴァルたちの筆頭に挙げられるソーンダイク博士が、科学者探偵とされていることがまたそそらない。ホームズ譚と黄金期の間に位置する、当時の科学知識によって解決されるいささか古めかしい本格物、くらいの認識だったのだが、本書でその蒙を啓かれた思い。
 
 語り手は医師のストレンジウェイズ。新米の医師だった彼はある夜、見知らぬ男に乞われ眉目秀麗な婦人を往診する。彼女には首を絞められた痕跡があり、ショック状態に陥っている。周囲の男たちも怪しげで部屋ではコカインの包みらしきものも目にする。医師は婦人と一度だけの出逢いが忘れられない。しばらく経って、ストレンジウェイズ医師が独立開業することにした町ロチェスターに、かつて往診した婦人アンジェリーナが夫から逃げ、隠れ住んでいることを知る。
 つまりこの小説で扱われているのは、コカイン中毒のDV夫が起こす、逃げた妻へのストーキング。1920代の小説としては、何とも先鋭的で現代に通じる素材だ。アンジェリーナのかかりつけ医となったストレンジウェイズ医師は、彼女への思いを募らせるが、彼女はある日忽然と姿を消してしまう。そして、彼女を探し、つけまわしていた夫も時を同じくして失踪する。
 アンジェリーナの行方は杳として知れないが、やがて次々と彼女の遺留品らしきものが発見されていく。彼女を失った医師は、ソーンダイク博士と知遇を得て、博士に捜査を依頼する。 
 本書の眼目は、謎多き失踪事件の真相だが、もう一つの売りは、ディケンズエドウィン・ドルードの謎』をモチーフにしている点だ。文豪の遺作で結末が明らかになっていないこの小説は、多くの人の関心を集め、チェスタトンをはじめ、真相に迫ろうとする人たちを生んだ。最近紹介されたブルース・グレイム『エドウィン・ドルードのエピローグ』もそのような小説だったし、我が国でも、観客の投票制で結末を変えるミュージカル版が上演されたのも、記憶に新しいところ。といっても、本書はエドウィン・ドルードの謎』を小説に即して解明しようとするものではなく、舞台となる町ロチェスターや、失踪というプロット、小説の小道具である生石灰やアヘンといったモチーフを使って再構築したというところだろうか。
 古い歴史と独特の地勢をもつ町の風情や、医師と、友人となる若者やソーンダイク博士とのおっとりとした交情を挟みつつ、物語は進行する。ソーンダイク博士は、多数の手がかりを緻密に組み上げて、検死尋問の場で、鮮やかに謎を解いてみせる。
 真相が明らかにされて「えっ」となるか「えーっ」となるかは人によって分かれるだろう。この時代だからこそのプロット、といえるかもしれない。しかし、個人的には作中のところどころに感じていた、かすかな違和感がすっと腑に落ち、大いに堪能した。真相を知って読むと、密やかな手がかりが作中にばらまかれていたことを知らされる。
 右に落ちれば不自然のそしりを受け、左に落ちればネタが割れる、危険な綱渡りだが、作者は、犯人同様、細いロープを最後まで渡りきったといえるのではないか。現代にも通じるテーマに加えて、趣向を凝らした充実の一作で、遅まきながらフリーマン作品に大いに興味をかきたてられた作品。まもなく、初期の代表作オシリスの眼』も新訳で提供されるのも楽しみだ。
 
消えたボランド氏 (論創海外ミステリ 180)

消えたボランド氏 (論創海外ミステリ 180)

 次は、断崖絶壁から飛び降りた男が虚空にかき消えてしまうミステリ。
 ノーマン・ベロウは、イギリス出身ながらオーストラリアやニュージーランドに永らく在住した作家で、不可能犯罪ファンには、唯一の紹介作『魔王の足跡』(1950)に続く邦訳が待望されていた。オカルティズムに彩られた不可能興味満載の『魔王の足跡』は、カーの衣鉢を継ぐ作品を求める読者は喜ばせても、ややごたごたしたような印象があったが、モードを切り替えたのか『消えたボランド氏』(1954) は非常にすっきりしている。その中核をなすのは、やはり不可能興味。 
 霧深いシドニーの郊外の岬。その断崖絶壁から、三人の男が見守る中、ボランド氏は飛び降りた。男たちは直ちに崖下に駆けつけるが、釣り人たちは何も起こらなかったという。ボランド氏は虚空に消えてしまったのか……。
 ホックの短編「長い墜落」を思わせる飛び切り魅力的な謎の設定。
 ボランド氏は、謎の隠遁者。闇取引で委員会の調査が及ぶ寸前であり、失踪する理由はあったのだが、どのように消えたのかは皆目見当がつかない。さらに、事件の背景には、“ジーニアス”なる謎の人物がいて、彼の正体を警察に告発しようとしていた小悪党も時を前後して殺害されていることが発見される。
 消失事件が起きるのは、70ページを過ぎてからだが、それ以前も短い章割りで、人物紹介や事件に至る事情を積み重ねていて小気味いい。
 探偵役を務めるラジオドラマの老優J・モンタギュー・ベルモアは大変存在感がある人物。仕事に入れ込むあまり日常生活でもドラマ上の配役を演じる、いわば成りきり人間であり、彼の役柄の一つには、名探偵というのもある。この老優が色々なキャラを演じ分けながら、謎の核心に迫っていくというのが何ともユニークで、友人のタイソン警部らサブキャラクターとのやりとりも、物語に花を添えている。訛のきついチェコ移民らの造型も面白く、彼が消失事件のときに発した「ヤンプ・・・しないで、ミスター・ボランド!」(本書の原題: Don't Jump Mr. Boland!) は、なかなかの名セリフだろう。
 探偵のキャラクター設定からも分かるように、全体にユーモラスな筆致で綴られている。特に、後半、会社社長の自宅のパーティ場面で繰り広げられる莫迦騒ぎは圧巻で、謎解きの筋を逸脱したかと思わせるほど。しかし、この場面でも新たな殺人が起こり、その状況にも創意をみせ、しっかり手がかりも仕込んでいるのはさすが。 
 肝心の消失トリックは、状況が限定的にすぎ、読者の想像の範囲に収まるものかもしれないが、少なからぬ殺人事件を織り込みながら後味が良く、読者にレッドへリングを掴ませて真相を巧みに隠す手腕は大いに買える。
 
生ける死者に眠りを (論創海外ミステリ 175)

生ける死者に眠りを (論創海外ミステリ 175)

 こじつければ、「消える人たち」ということになるだろうか。
 かつては、幻の作家であったフィリップ・マクドナルドの紹介も進んできて、この作家についての見通しもだいぶん良くなってきた。本書『生ける死者に眠りを』(1933)は、本格ミステリからスリラー、サスペンスに軸足を移していく時期の長編。本書も、探偵役ゲスリン大佐は登場せず、本格ミステリとも言い難いが、映画を意識した場面運びの妙、シャープな筆さばきは十分味わえる。
 英国片田舎の岬に立つ屋敷に、女主人ヴェリティからの手紙で、かつての陸軍少将と大佐が呼び寄せられる。三人は、かつて七百名の兵士の命が失われた事件に関わりがあり、女主人はパスティオンを名乗る男に殺害を予告されていた。どこからともなく最終通告が寄せられたその夜、猛烈な嵐が押し寄せる中、少将は、親戚らの客三名を呼び、周囲を固めるが、屋敷にいる男女の中で第一の凶行が発生する。 
 典型的な嵐(雪)の山荘物、クローズド・サークル物といえるだろう。クリスティーそして誰もいなくなった(39)が有名だが、閉ざされた屋敷での殺人を扱ったパウル・レニ監督の映画『猫とカナリヤ』(1927) 辺りが淵源となるのだろうか。ほかに有名なところでは、クイーン『シャム双子の謎』(1933)、最近紹介されたものではP・ワイルド『ミステリ・ウィークエンド』(1938)  などがある。注目すべきなのは、クローズド・サークル物のフォーマットが既に本書で確立されていることだ。
 次々と起こる殺人の恐怖、見えない犯人、周囲からの孤立と公的捜査の非介入、生き残った者の主導権争いと疑心暗鬼、錯乱などクローズド・サークル物の諸要素が網羅的に盛り込まれている。場所を限定した一夜の物語としての完成度は、作者の先見性を示すものだろう。
 犯人を隠蔽する仕掛けとして面白いものを用意してあるし、その正体も最後まで隠されている。本格ミステリにしなかったのは、作者の志向は既に映画的なサスペンスの追求に向いており、検証-推論を繰り返す探偵小説的形式を欲しなかったのかもしれない。
 読んでいる間に思い浮かべたのは、マクドナルドの戦争小説 Patrol を映画化したジョン・フォード監督の『肉弾鬼中隊』(34)だ。英軍の中尉が率いる騎兵偵察隊がアラビア兵の銃弾に殲滅されていく。銃弾は四方から飛んでくるのに、敵の姿が見えない恐怖は、この作品にも通底しているように思われる(法月綸太郎氏の本書解説でも、この映画との関連が詳しく論じられている。この解説は作品史を踏まえた上で「大量死論」までを射程に入れた深い考察がなされており、マクドナルドのこれまで見えなかった像を浮かび上がらせて必読だ) 。
 正体を隠して跳梁する犯人がいささか超人的すぎるなど、俗に流れるところもあるが、そこも、また作者らしいといえばいえるだろうか。
 
ロルドの恐怖劇場 (ちくま文庫)

ロルドの恐怖劇場 (ちくま文庫)

 グラン・ギニョル風、ということばは知っていても、それが実際どんな恐怖演劇だったのかは一ミステリファンには判然としなかったのだが、2010年に真野倫平編・訳『グラン=ギニョル傑作選』(水声社)が出て、ベル・エポックのパリに生まれた恐怖演劇のおおよそが掴めるようになった。アンドレ・ド・ロルド『ロルドの恐怖劇場』は、そのグラン・ギニョル座の座付き作者で恐怖演劇の創始者でもあるロルドの短編小説を22編収録した日本オリジナル短編集。
 当然のことながら、蝋人形の恐怖、手術台での惨劇、恐るべき復讐譚などグラン・ギニョル劇と同様のモチーフを扱っている。『グラン=ギニョル傑作選』掲載の主要作品紹介を眺めると、同工のものが多くみられ、自身による演劇台本を小説化したものも多いようだ。
 運命の皮肉を描いたモーパッサン的な短編もないではないが、一編が短いだけに、わびもさびも抜きにして、簡素な物語に様々な恐怖が剥き出しに投げ込まれている。血が噴出し、眼が抉り取られる、直截に感覚に訴える部分は、こどもの頃に接した怪奇漫画や風説めいてもいて、郷愁すら感じさせる。
 超自然的な要素が入ったゴーストストーリーめいたものはない。グラン・ギニョル的な恐怖の培養器となるのは、人間の精神、とりわけ狂気や強迫観念といった人間内部に潜むものだ。それゆえ医者や病院を描いたものが多く、特に、この時代の、科学と神秘のあわいにあるような精神医学の領域からは、多くの恐怖を汲み上げている。これらの短編は、サイコホラーやサイコサスペンスのルーツともいえ、「無罪になった女」などは、ルース・レンデルの長編のプロットのようでもある。
 作中、ほぼ扱われるのは悲劇で、復讐譚の形が多く取られるが、その悲劇には多くの場合、嫉妬や傲慢、自然の摂理に逆らうなどの原因がある。
 それゆえ、むしろ復讐に何ら説明のない「精神病院の殺人」「ヒステリー患者」、迷妄を糺すことで逆に復讐される「大いなる謎」といった短編には、ヴィヴィッドな恐怖の肌触りがある。
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
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消えるミステリ ブック・ガイド500選

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証拠は眠る (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

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エドウィン・ドルードのエピローグ (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

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魔王の足跡 世界探偵小説全集 (43)

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フライアーズ・パードン館の謎 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

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鑢―名探偵ゲスリン登場 (創元推理文庫 (171‐2))

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Xに対する逮捕状 (創元推理文庫)

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ライノクス殺人事件 (創元推理文庫)

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ゲスリン最後の事件 (創元推理文庫 (171‐1))

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そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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パウル・レニの猫とカナリヤ [DVD]

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シャム双子の謎 (創元推理文庫 104-11)

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シャム双子の秘密 (角川文庫)

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ミステリ・ウィークエンド (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

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Patrol (Casemate Classic War Fiction)

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肉弾鬼中隊 [DVD]

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グラン=ギニョル傑作選―ベル・エポックの恐怖演劇

グラン=ギニョル傑作選―ベル・エポックの恐怖演劇

  

新・黄金の七人〜マクロイ 『ささやく真実』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

黄金の七人  [HDニューマスター版] Blu-ray

黄金の七人 [HDニューマスター版] Blu-ray

 60年代半ばに黄金の七人というイタリア映画があった。綿密な計画の下、名うての大泥棒である七人の男女がチームで黄金を狙う犯罪コメディ。60年代的にお洒落で華やかな雰囲気をみなぎらせていたが、そのシャバダバ音楽とも相まって、後年、再評価されたのも理由なきことではない。
 今回は、クラシックミステリ的にビッグネームが揃った。名付けて新・黄金の七人。一部妄想を交えつつ個性豊かな各メンバーを紹介とともに、彼らの新着のたくらみにご案内する。
 
ささやく真実 (創元推理文庫)

ささやく真実 (創元推理文庫)

 ニューヨーク出身、ソルボンヌ大学卒業。国際派、知性派の眼鏡美女(眼鏡は妄想)。心理学に造型が深く、幻視能力ももつという。
 ヘレン・マクロイ 『ささやく真実』(1941) 。
 マクロイ作品の発掘が急ピッチで進んでいる。『二人のウィリング』に続き、今年2冊目の本書は、ベイジル・ウィリング博士シリーズの第3作目。ごく限られた登場人物の中で殺人事件の犯人を捜すストレートな謎解き物だ。といっても、マクロイらしさは、この初期作にも刻印されている。
 悪趣味ないたずらで騒動をもたらす美女クローディアは、強力な自白作用をもつ新薬を入手。彼女は自宅で催したパーティで飲み物に新薬を混入し、その夜を大暴露大会に代えてしまうが、悪ふざけが過ぎたのか彼女は何者かに殺されてしまう……。
 『死の舞踏』では、新型のダイエット薬というのが出てきたが、本書でのフックの役割を果たすのは、自白薬。スコポラミンという自白薬は現存するが、本書では意識混濁を招くという欠点を克服した新薬という設定だ。クローディアを取り巻く元夫婦、会社経営者ら一筋縄でいかない人間関係の中に「真実の血清」を投げ込んだときに、何が起きるかという一種の思考実験のようでもある。というように、本書の表のモチーフは、「真実」なのだが、ある医学的知識を事件の裏地として使っているのも、マクロイらしい。例によって文学趣味も豊富で視野が広く、謎解きの鍵は、大胆すぎるのも含めて、ちりばめられている。欲をいえば、「真実」という表のモチーフと謎解きが呼応しあうようなふくらみが欲しかったところだが、それは『暗い鏡の中に』『逃げる幻』といった後年の作品を待たねばならなかったというところか。
 ウィリング博士の調査は、例によって俗物たちの心理に切り込んでいくが、それは殺されたクローディアの過去の探索にも及び、彼女の悪意の動機は物悲しい。後年の作のアイデアを思わせる一節もあるので、この面からも見逃せない作。
 それにしても、海辺のコテイジから水上飛行機でニューヨークに出勤するウィリング博士、かっこ良すぎるぞ。
 
ハイキャッスル屋敷の死 (海外文庫)

ハイキャッスル屋敷の死 (海外文庫)

 放浪癖があるのか世界各地を転々とし、職業も次々と変えるエキセントリックな人物。周囲を驚かす創意と手練のテクニックには定評がある。
 レオ・ブルース 『ハイキャッスル屋敷の死』(58) 。
 レオ・ブルースも、関係者の尽力で刊行が進んでいる一人。英国本格ミステリを語る上で欠かせない作家の一人だろう。本書は、歴史教師キャロラス・ディーン物の第5作。邦訳のあるものの中では、『ミンコット荘に死す』(1956)と『ジャックは絞首台に!』(1960)の間の作に当たる。『ささやく真実』は、絵解きの場面での参加者は数名だったが、こちらの場面では、使用人も含めて無慮20名を超える人物が集う。解決編が40頁に及び、ディーンが「13の条件」を提示して犯人を指摘するという大謎解き絵巻で、発想の質においてクリスティに近いとされるブルースだが、本作はクイーン作品すら思わせる。
 ディーンはゴリンジャー校長直々に捜査の要請を受ける。貴族のロード・ペンジが謎の脅迫者に狙われているというのだ。数日後、ペンジの住むハイキャッスル屋敷で主人のオーヴァーを着て森を歩いていた秘書が射殺される。不承不承、現地の屋敷に赴いたディーンが見出したものは。
 これといった捜査手段をもたず、現地の警察からも疎んじられているディーンは、屋敷の中をインタビューして歩くことになるが、これが非常に民主的というか、ペンジの家族のみならず、屋敷の従僕や家政婦らに分け隔てなく接するし、こうした使用人のキャラクターもくっきり書き分けられている。家族らが皆感じがよく、これといった悪意のありそうな人物も見当たらないのが、かえって定石破りだ。 
 本書に特徴的なのは、全体の半ばを過ぎた辺りで、ディーンが犯人の正体を突き止めたと公言してしまう点で、読者としては、もどかしくてしかたがない。これが単に読者をじらすテクニックとして使われているのではなく、謎解きの構造や物語の組立ての面からも、意味ある遅延になっているところが本書の大きな面目だ。他のシリーズ作に比べ、ユーモアは控え目だが、その理由も、真相解明で明らかにされるディーンの苦悩によって納得させられる。
 解決は、犯人を指し示す「13の条件」に決定打が欠けている点がやや惜しいが、解決は、意外性を原理的に追求したこの作者らしいものだ。混じり気なし、すべてが結末に向けて奉仕していく純度の高い本格ミステリであり、その厚みのある謎解きはファンを堪能させるだろう。
 
J・G・リーダー氏の心 (論創海外ミステリ)

J・G・リーダー氏の心 (論創海外ミステリ)

 一見英国紳士だが、暗黒街のあれやこれに精通。交友範囲が広い座談の名手で、ハリウッドでは巨大ゴリラも巧みに扱う。
 エドガー・ウォーレス『J・G・リーダー氏の心』(1925) 。
「ウォーレス風」というのが一つの代名詞になっている20世紀前半の犯罪スリラーの巨匠で、最近では、
『淑女怪盗ジェーンの冒険』『真紅の輪』が紹介されているが、本作は、ウォーレスの作品集の中では最も高く評価されており、ミステリ短編集の殿堂『クイーンの定員』にも選出されている。8編収録。
 主人公J・G・リーダー氏のキャラクターが実にユニーク。馬面に白髪交じりの頬髯、飛び出した耳をもつ貧相な男。叱責されれば泣き出してしまいそうな物腰。山高帽に黒いフロックコート、いつもずり落ちた金縁の眼鏡。常に雨傘を持ち歩いているが使用しているのを見た人はいない。52歳独身。とまあ、ブラウン神父を思わせなくもないリーダー氏だが、実は、鋼鉄の刃を忍ばせている彼の傘同様、銀行強盗や贋金づくりに対するのっぴきならない知識と推理力を発揮する探偵なのだ。
 本書は、フリーランサーだったリーダー氏が公訴局長事務所の役人として勤務することになってからの一連の事件を扱っている。劈頭を飾る「詩的な警官」に、まず驚かされる。単純な銀行強盗殺人と思える事件だったが、リーダー氏は、一見無関係で些細な事実を関係づけて、まったく意想外の構図を明らかにする。「宝さがし」も同様で、複線で進行する話がいつの間にか交わり、ブラウン神父譚のような魔術的な展開がある。さらに、「大理石泥棒」は、大理石の塊を集める女という奇妙な挿話が、結末で犯人の凶悪すぎるたくらみに結びつく秀作だ。このままいけば、傑作パズラー短編集になったと思われるが、さすがに謎解きのテンションは持続せず、それはそれで面白いものの、リーダー氏がヒーローとして立ち回りをみせる短編が多くなる。
 リーダー氏は自ら「犯罪者の心を持っている」といい、その経歴にもほの暗い影があるのもシリーズの特徴の一つ。「緑の毒ヘビ」事件では、温和な毒ヘビと称される氏の冷酷な一面も明らかにされる。
 しかし、そんなリーダー氏にも春の訪れか、「大理石泥棒」事件で、知り合った若い娘マーガレットとの交際が始まる。(訳者あとがきに「頑張れ、じいさん!」とあるが、52歳でじいさん呼ばわりはお気の毒) 淡いロマンスの行方も作品集を通じてのお楽しみだ。
 
幻の屋敷 (キャンピオン氏の事件簿2) (創元推理文庫)

幻の屋敷 (キャンピオン氏の事件簿2) (創元推理文庫)

 田園生活になじんだ温顔なご婦人で編み物が似合いそうだが、実はあらゆる業界事情に通暁した自由な女性。中年の色気みたいなものが感じられる(乱歩談)。
 マージェリー・アリンガム 『幻の屋敷 キャンピオン氏の事件簿II』
 優雅な社交家にして名うての素人探偵アルバート・キャンピオン氏の『窓辺の老人』に続く事件簿。30年代から50年代の短編が時代順に並べられている。
 相変わらず、キャンピオン氏は社交家ぶりを発揮し、広い交友関係から情報を拾い集め、友人のオーツ警視らを驚かせる推理を連発する。
 キャンピオン物短編の魅力は、tale(お話) の魅力だろう。そこでは、帽子のミニチュアをみせるだけでレストランの料金が無料になってしまったり(「魔法の帽子」)、火星からやってきた男たちを見たという老人が現れたり(「奇人横丁の怪事件」)。屋敷が消える(「幻の屋敷」)、監視された部屋での殺人(「見えないドア」)といった不可能犯罪物に分類される短編も、そうした不思議なtaleの魅力を思い起こさせる。市井の奇譚を拾い上げ、盲点を突く解決を示す作者は、世情に長け、人の情に通じている。この温雅で澄んだ作品世界の魅力がつまった短編集。
 ここに挙げた短編はもちろん、骨太の謎解き小説「ある朝、絞首台に」、個性的な事件関係者の視点から綴られた面子めんつの問題」、犬が年に一回話せる奇跡を描いたクリスマス・ストーリー「聖夜の言葉」など、一編一編に工夫も怠りない。
 エッセイ「年老いてきた探偵をどうすべきか」で、キャンピオン氏が作者の手を握っても「もうわたしの胸はきゅんとうずくことはなかった」というくだりには、クスっとしてしまう。やはり、女性ミステリ作家は、作中の探偵と恋に落ちる傾向があるのかな。予期せぬ『III』も予定されているということで、こちらも愉しみ。
 
絞首人

絞首人

 四人の子育てに奮闘中の眼鏡ママ(眼鏡は本当)だが、舌鋒鋭く、人の心を見抜く達人。ずっとお城で暮らしているという噂あり。
 シャーリイ・ジャクスン『絞首人』(1951) 。
どうやら本格的なシャーリイ・ジャクスンのリバイバルが到来したらしい。この1年で、初邦訳作が、短編集『なんでもない一日』『日時計』に続き、3冊目だ。訳者あとがきによれば、この小説は、現実に起きた女子学生の失踪事件をモデルにしているという。1946年ヴァーモント州の女子大(当時)の学生ポーラ・ジーン・ウェルデン18歳が森にハイキングに出かけたままふっつり消息を絶つという事件が起き、生死不明のまま未解決事件になっている。この事件に触発されて書かれたのが、ヒラリー・ウォー『失踪当時の服装は』(1952)であり、もう一つが、この『絞首人』ということだ。といっても、本書は捜査小説ではなく、幻想的要素も持ったストレートノベルに近い。ウォーの作品が、捜査という外側から真実に近づこうとしたのに対し、本書は失踪少女の内面に切り込んでいった小説といえようか。『なんでもない一日』にも、「行方不明の少女」という事件を淡々と扱った失踪少女の短編があったのも想い起こされる。
 中流家庭に育った17歳のナタリーは、それまで育った家を離れ、こじんまりした女子大に進学する。豊かすぎる感受性ゆえ、周囲の学生ともなじめず、プライベートは独り、寮の自室に引きこもっている。そんなある日、彼女に転機らしきものが訪れるが、事態は悪い方へと転がっていく。
 ナタリーが育った家庭は中流の家庭だが、ナタリーの父は文芸評論家で、ナタリーは文章修行をさせられている。母は、生活能力のない父に、結婚を悔いている。両親は、ナタリーにとって、煩わしい桎梏でもあるが、情愛を注いでくれる唯一の存在でもある。そのアンビバレンツを生きなければならないナタリーは、多かれ少なかれ、我々の似姿でもある。その上に、ナタリーは文芸修行により人一倍感受性が鋭く、幻聴も度々起きる。人と打ち解けることができない。自分宛てに手紙を書く。ときに、自らの才能に酔う野心家であり、ときに絶望の谷に落ちる。常に死ぬことを考えている。本書は、そんな多感な少女の内面の振幅を、周囲の人々への怜悧な観察を交え、余すところなく描いている。その少女の姿には、失踪事件の再現というよりは、少女時代のジャクスンの内面が反映されているように思われる。
 
 ここまでなら、少女の心理を端正に描いた小説だが、ある事件を契機に、ナタリーは自らの鏡像めいた友人と小旅行に出る。この部分の描写が、それ自体幻想であるような、浮遊感覚漂うものであり、後の作品に通じるものを思わせる。作者としては、シュールレアリズム的な技法をことさらに使ったわけではないだろう。ナタリーが出会う異景が、彼女の内面を裏返したらこうなるといった、心理と地続きになっているところが、作者の持ち味でもある。その世界で、彼女は「ただ一人の相手……ただ一人の敵」を自覚する。結末のつけ方には、いささか戸惑いも憶えるが、それがハッピーエンドでないことは明らかだ。
  数々の伝説に彩られた斯界の暴れん坊将軍。身長は低いが、五度結婚。「ハリウッドのもっとも好ましい独身男性四人」に選ばれたこともある。危険なヴィジョンの持主。
 ハーラン・エリスン『死の鳥』
 ハーラン・エリスンは、アメリカSF界の生きる伝説。ミステリファンには、アシモフ『ABAの殺人』の主人公のモデルといったほうがとおりがいいだろうか。このSF作家の日本オリジナル短編集を取り上げるのは、ほかでもない。MWA最優秀短編賞受賞作が二本も含まれているからだ。
 「鞭打たれた犬たちのうめき」(1974年受賞作)は、それまでの受賞作とまったく相貌の異なる作品で、時を置かずに紹介された邦訳(1974)も衝撃的だった。MWA賞をこの作品に授けるのは、選考委員たちにとっても賭けだったに違いない。フォーミュラ・ノベル〜約束のある形式の小説、ミステリを狂気と猥雑さが充満するNYのストリートのど真ん中に放り込んでしまったからだ。炸裂する暴力と性、殺されていく人間をただ見つめる無関心、孤独とディスコミニュケーションの支配する街に、新たなる神が顕現する…。今なお、そのヴィジョンの強烈さに目も眩む。これに比べれば、1988年受賞作「ソフト・モンキー」は、ミステリ雑誌に掲載されたもので、まだ、まろやかだ。ギャングから逃走し、奮戦するバッグ・レディ(女性浮浪者)の姿には、ユーモアすら漂うが、暴力描写は凄まじく、最底辺の眼から大都市の苛烈な現実を描き出していることには変わりない。
 他の収録作は、すべてがヒューゴー賞受賞などSF短編の名作揃いであり、奇抜で破格の構成、華麗なる比喩と語彙が乱舞する文体、権威の虚飾をはぎとる怒りにも似たまなざしを共有している。ミステリファンにとっては、時を往還する切り裂きジャックを描く「世界の縁にたつ都市をさまよう者」、複雑な構成で鮮やかな収束に着地する「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」なども必殺の一撃だ。
 
エアポート危機一髪―ヴィッキー・バーの事件簿 (論創海外ミステリ)

エアポート危機一髪―ヴィッキー・バーの事件簿 (論創海外ミステリ)

 この種のメンバーには、誰も知らない人が紛れ込んでいるのが通例だが、今回の七人では、さしずめこのご婦人。皆に愛想のいいこの女性はいったい誰?
 ヘレン・ウェルズ『エアポート危機一髪 ヴィッキー・バーの事件簿』(1953)。
 ヘレン・ウェルズは、少年少女向けのミステリ・シリーズで有名なアメリカの作家。中でも、スチュワーデスを主人公としたヴィッキー・バーと看護婦チェリー・エイムズが活躍する二つのシリーズがよく知られているとのこと。ヴィッキーのシリーズは少年少女向けに4冊ほど邦訳があるようだが、本編は本邦初公開のシリーズ8作目。
 好奇心が強くいつも溌剌としたスチュワーデス、ヴィッキーは、ふだんはニューヨークで暮らしているのだが、今回は、イリノイ州の実家の小さな町で事件に遭遇する。飛行機操縦の免許をとるため、パイロットが経営する貧乏飛行場に通ううちに、飛行場の利権にまつわる陰謀が浮上してくる。ヴィッキーが次第に陰謀を明らかにしていく過程が中心で、謎解き的にはこれといった綾はあまりないのだが、免許を取るためのヴィッキーの悪戦苦闘と空を飛ぶ歓び、貧乏飛行場を盛り立てるための試行錯誤、妹の高校生ジニーら家族との絆がほどよく盛り込まれているし、利権にまつわる陰謀も少年少女向けと思えないほど当時の社会相を反映している。実在した、飛行機操縦を楽しむ女性の集まり「全米女性パイロット協会」のメンバーが登場するなど、登場人物は飛行機好きの人ばかり。航空ファンにも手に取ってほしい一冊。
 
 さて、個性豊かな黄金の七人が何を企んでいるかって?
 あなたの時間と財布を狙っています。(それは、版元)
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

二人のウィリング (ちくま文庫)

二人のウィリング (ちくま文庫)

死の舞踏 (論創海外ミステリ)

死の舞踏 (論創海外ミステリ)

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

逃げる幻 (創元推理文庫)

逃げる幻 (創元推理文庫)

ミンコット荘に死す (扶桑社ミステリー)

ミンコット荘に死す (扶桑社ミステリー)

ジャックは絞首台に! (現代教養文庫―ミステリ・ボックス)

ジャックは絞首台に! (現代教養文庫―ミステリ・ボックス)

淑女怪盗ジェーンの冒険―アルセーヌ・ルパンの後継者たち (論創海外ミステリ)

淑女怪盗ジェーンの冒険―アルセーヌ・ルパンの後継者たち (論創海外ミステリ)

真紅の輪 (論創海外ミステリ)

真紅の輪 (論創海外ミステリ)

窓辺の老人 (キャンピオン氏の事件簿1) (創元推理文庫)

窓辺の老人 (キャンピオン氏の事件簿1) (創元推理文庫)

甘美なる危険 (新樹社ミステリー)

甘美なる危険 (新樹社ミステリー)

なんでもない一日 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)

なんでもない一日 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)

日時計

日時計

  

「退屈派」の非凡な輝き〜J.J.コニントン『九つの解決』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

九つの解決 (論創海外ミステリ)

九つの解決 (論創海外ミステリ)

 今年の夏はリオ五輪に熱中した方も多いのではないだろうか。「熱中」の反対語は「退屈」だそうだが、この辺で「退屈なミステリ」はどうだろうか。
 
 ジュリアン・シモンズがその評論集『ブラッディ・マーダー』で「退屈派」(Humdrum)と呼んだ作家たちに、近年、再びスポットが当たっているようだ。今回ご紹介するJ.J.コニントン『九つの解決』(1929)の訳者あとがき等によれば、2012年上梓されたカーティス・エヴァンズという人による Humdrum の研究書が上梓され、ジョン・ロード、フリーマン・W・クロフツ、そしてこのコニントンという英国のミステリ作家三人を大きく扱っているという。個人的には、クロフツの作品は一冊ごとに表情豊かで工夫も凝らされており、地味であっても退屈は感じないだけに、Humdrum(平凡な、退屈な)というシモンズの悪口が一群のミステリの肯定的なサブジャンル名として定着するならば、これはなかなか愉快なことではないだろうか。
 本書は、そのコニントンの初期代表作という触れ込み。戦前訳があるが、我が本格ミステリのマイスター鮎川哲也がベスト表に入れているという作品である。
 冒頭はこんな感じ。
 霧深い夜、呼び出された代診医が誤って踏み込んだ家で、瀕死の男に遭遇したことには始まり、さらに立て続けに、二つの死体が発見されて……
 捜査に当たるのは、『レイナムパーヴァの災厄』と同様、警察本部長であるクリントン・ドリフィールド卿。
 事件の前提として、二重の死があり、そのどちらも、他殺とも事故とも判別がつかない錯綜した状況。『九つの解決』というタイトルからは『毒入りチョコレート事件』のような多重解決ものを想像してしまうが、本書の趣向はそうしたものではない。ドリフィールド卿の指摘によれば、二つの死それぞれに「殺人」「事故」「自殺」の3とおりの解決の可能性があるから、3×3、すなわち9とおりの可能性があり、そのいずれかが真実であるというもの。事件に関わる状況や証拠が明らかになるにつれて、可能性が絞られていき、真実に近づいていく過程が一つの読みどころ。 
 事件の進行とともに、ドリフィールド卿と部下の警部のディスカッションが繰り返されるのも要注目。警察本部長自らが捜査に乗り出すことは現実にはないだろうが、ここでのドリフィールド卿は名トレーナーでもあり、警部の見落としや独善をしばしば指摘し、水際立った捜査の指揮をみせる。
 これらに限らず、退屈・単調を避ける工夫は各所に施されており、そのうちの大きなものが、「ジャスティス」を名乗る人間の密告者の存在。捜査の急所で密告の手紙を寄越し、その正体も含めて、捜査陣の悩みのタネとなる。暗号で寄せられた密告を解読するドリフィールド卿の推理はなかなか爽快だ。
 登場人物が限定的なだけに犯人の想定はできるかもしれないが、その根拠となると大方の読者にとっては怪しいものだろう。本書の結末には、十数ページにわたるドリフィールド卿のノートが付されており、ディクスン『孔雀の羽根』クロフツ『ホッグズ・バックの怪事件』の手がかり索引のような効果を挙げている。この部分が本書の精華であり、推理がもたらす意外性にはいささか欠けるにしても、初期の段階から多くの手がかりが稠密に配置され、卿の推理が真相に近づいていることに唸らされる。異色の道具立てと奇抜な真相の『レイナムパーヴァの災厄』とはまた異なり、フェアプレイと推理の愉しみに徹した好編だ。
 
ケイレブ・ウィリアムズ (白水Uブックス)

ケイレブ・ウィリアムズ (白水Uブックス)

 国書刊行会から刊行されていたが、この度、白水Uブックスから再刊され手軽に手にとれるようになったウィリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』(1794)にも触れておこう。
 著名なミステリベスト表、ジュリアン・シモンズ選の『サンデータイムズベスト99』の冒頭に掲げられている長編で、一般に探偵小説の祖とされているポー「モルグ街の殺人」より50年近くの前の作品だ。ゴドウィンは、『政治的正義』などで知られる社会思想家でもあるが、小説も書き、フランケンシュタインの作者メアリー・シェリの父君でもある。
 農民の息子ケイレブは両親を亡くし、名望家の地主フォークランドの秘書となる。次第に学問を身に着けていくケイレブ。やがて、好奇心にかられ、主人の不可解な性格に興味を抱き、秘密を探りあててしまった彼に、耐え難い苦難の連続が襲う。
 18世紀の小説だが、侮るなかれ、やや大仰な一人称のナレーションは気になったとしても、ストーリーテリングだけでも、現代の読者を惹きつけるものがある。
 裁判、投獄、脱走、夜盗集団との生活、ロンドンでの息を潜めた生活などケイレブの変転する運命を描きながら様々な階層の人間が彩なす様々なエピソードも豊富だ。
 この小説は、法の正義が実現しないことを告発するプロパガンダ小説、殺人と秘密と恐怖に彩られたゴシック小説、愛情と憎悪が複雑に交錯する心理小説、追う者と追われる者を描いた冒険物語、冤罪を晴らすべく不屈の闘争を描くレ・ミゼラブルのような作品の先行作……と、どのようにでも読め、そのいずれでもあるという混沌の魅力がある。 
 探偵小説的には、殺人とその解明が前半の関心事になっている点が興味深いが、デュパン探偵のような推理がみられるわけではない。むしろ、謎とサスペンスを軸にして、主人公の運命のみならず社会の告発すべき一断面をリアルに描き出している点では、黄金期以降のミステリに近いともいえる。「逃亡と追跡」を描いた第三巻の構想が先にあり、劇的迫力をもつ状況設定のために、第二巻「殺人事件と解明」を必要としたとする作者自身の説明(すなわち、迫力あるサスペンスのために「殺人と解明」という形式が「発見」された)、ケイレブを追い苦しめるジャインズという探偵が盗賊を出自としていることなどは、ミステリ水脈の源の作品として、示唆に富むと思う。
 ケイレブは、何度、脱出を試みても連れ戻される。仮に肉体的には自由であっても心理的には虜囚にされる。その主人公を襲う繰返しの不条理に、迫害する側の「超人的な力」、「良心の呵責に苦しむ罪人を追う全知の神の視線」を感じさせずにはおかない。筆者としては、「神」への愛と憎悪が渦巻く争闘、虜囚の運命への抵抗を描いた作品としての側面に大きな興趣を覚えた。
「父」によって育てられ知恵を授けられたものが、その知恵により「父」に反逆し、その結果、条理に合わない、苦難に満ちた放浪をするというオイディプス的モチーフには、娘メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』との共通性も感じさせ、この点でも興味は尽きない。
  思わぬところから、エラリー・クイーンのジュニア・ミステリが出た。
 角川つばさ文庫『幽霊屋敷と消えたオウム』(1944) 。1970年代後半にハヤカワ文庫Jrからシリーズ8冊が紹介されているが、とうに入手は困難になっている。本書は、早川版では『緑色の亀の秘密』として出されていたものの新訳。原典は、エラリー・クイーンJr名義で発表されているが、クイーンは基本設定にだけに関与し、執筆は別の作家によるものらしい。
 主人公は少年ジュナ。この話では、ふだん一緒に暮らしているアニー・エラリーおばと離れて、おばの姉の街に住んでいる。ジュナが幽霊屋敷の噂を聞きつけて訪ねると、女の子が現れ、次に訪れたときには空き家になっていて、おかしな言葉をしゃべるオウムが出現する。謎を探っていくうちに、街を騒がせる偽札事件が絡んできて……。
 不思議な亀を飼っている新たな友人や腕ききだが怠け者の新聞記者との交流、離れて暮らす愛犬チャンプとの再会なども織り込みながら展開する明るくのどやかな探偵物語。幕切れのジュナの推理も児童に配慮した行き届いたものだ。続刊があるのか不明だが、この辺りを入門編にして、エラリー・クイーンの世界に誘われる若い読者が増えれば嬉しいことだ。
  

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
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ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史

ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史

レイナムパーヴァの災厄 (論創海外ミステリ)

レイナムパーヴァの災厄 (論創海外ミステリ)

ホッグズ・バックの怪事件 (創元推理文庫 (106‐26))

ホッグズ・バックの怪事件 (創元推理文庫 (106‐26))

政治的正義(財産論) (1973年)

政治的正義(財産論) (1973年)

メアリ・ウルストンクラーフトの思い出―女性解放思想の先駆者 (1970年)

メアリ・ウルストンクラーフトの思い出―女性解放思想の先駆者 (1970年)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)

新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)

レ・ミゼラブル (下) (角川文庫)

レ・ミゼラブル (下) (角川文庫)

熱く冷たいアリバイ (エラリー・クイーン外典コレクション)

熱く冷たいアリバイ (エラリー・クイーン外典コレクション)

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

中途の家 (角川文庫)

中途の家 (角川文庫)

  

巧緻で異形のノワール〜ウイルフォード『拾った女』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

拾った女 (扶桑社文庫)

拾った女 (扶桑社文庫)

 チャールズ・ウイルフォード『拾った女』(1954)は、底辺に生きる男女の絶望的な愛を描いた小説にして、ラストにトリッキーな一撃を秘めた巧緻な作品だ。結末に驚きを求めるクラシックファンもお見逃しなく。
 
 80年代に『マイアミポリス』などで華を咲かせるウイルフォードだが、デビュー二作目の本書は、既に独自の個性をもった成熟した作家であったことを物語っている。
 主人公ハリーは、サンフランシスコにある安食堂の調理係。ある晩、ふらりと入ってきた小柄で美しい酔いどれ女が一文無しと知り、ホテルを世話する。再び会うこともないと思った彼女が次の夜、再び店を訪れ、ハリーは衝動的に店の仕事をやめ、二人で夜の街に繰り出す。
 運命の女ファム・ファタールとの一瞬で落ちた恋、ノワールの定型そのままだが、ハリーはタフガイではない。女との再会を淡く期待して、汚れきった自分の部屋を掃除するような、どこにでもいるような男なのだ。同棲した二人は金に行き詰まり、ヘレンのアルコール浸りもあって死を希求するようになる。出口なしの二人だが、ハリーは美大出の元画家、ヘレンは大学で地質学を学んだインテリというところがありふれた話にしていない。ヘレンの求めで、ハリーが一度捨てた筆を執り、彼女の肖像画を描いていく短い蜜月の場面は、破局への予感がしつつも、心なごむ一幕だ。
 重要な転機が中盤であっけなく訪れ、物語は求心力を失ったクライムノベルとして浮遊しはじめる。しかし、物語の真のオリジナリティが発揮されるのは、ここからかもしれない。
 死を望んでいるにもかかわらず、そこから遠ざけるように動いていく社会。見向きもされなかったハリーに押し寄せてくる世間の好奇と関心(ある女をめぐる挿話は強烈)。求めても得られなかった金儲け話…。うつろな男に襲いかかる獰猛な社会の機構がアイロニーたっぷりに描かれる。特に、ハリーの心理分析や精神医に対する嫌悪感は強烈だ。
 変転する運命の最後に、ラスト二行がさりげなく置かれている。どこかで同じ光景をみたことがある読者であれば、初めの印象は、軽い驚きかもしれない。しかし、そのうち、その二行がじっとりと重くなってくる。小説の様々な場面が改めて深い意味をもって立ち上がり、肺腑に沁み入ってくる。(13章の奇妙な夢のシーンも新たな象徴性を帯びてくる)
 ノワールの形式から発し、逸脱していく歪んだノワールであり、不似合とも思える小説技巧が凝らされている。全編に横たわっているのは、絶望の愛。これを異形の作と呼ばずして、何と呼ぼう。
 
 以下も参照ください。
訳者自身による新刊紹介 チャールズ・ウィルフォード『拾った女』(執筆者・浜野アキオ)
 
守銭奴の遺産 (論創海外ミステリ)

守銭奴の遺産 (論創海外ミステリ)

 イーデン・フィルポッツ守銭奴の遺産』(1926)は、かつて『密室の守銭奴』として抄訳があるものの完訳版。この1年くらいで、『だれがコマドリを殺したのか?』(『だれがダイアナ殺したの?』)『極悪人の肖像』が次々と刊行されているフィルポッツだが、じっくりと物語と向き合うタイプの読者には、いずれも充実した読書体験が味わえるものであり、やはり悠然たる運びの本書も同様だ。
 冒頭で提示されるのは、壁に金属板が張られた鋼鉄製の金庫のような密室での守銭奴殺し。鉄壁の密室という強烈なフックに対峙するのは、『闇からの声』で活躍した元の名刑事リングローズと、彼に私淑するアンブラー警部補。密室の謎は解明の糸口さえなく、事件の関係者は皆アリバイをもっている。
 相当の難事件だが、被害者の弟の農園で、「樽」が発見されるところから事態は、急展開していく。二人の執念の捜索により、樽が見つかるくだりは名場面だが、中に何が入っているのかは、作者はすぐには明らかにしようとしない。この辺の「じらし」は作者のテクニックで、事件が新展開をみせつつも、捜査が暗礁に乗り上げてしまう辺りにも、読者はじらされることになる。
 というのは、ある段階で、読者にはおおむね犯人の見当はついてしまうからで、捜査側がなかなかそこに思い至らないのももどかしい。これも作者のテクニックと考えれば、味わいの一つだろうか。
 それだけに、リングローズが、子どもの絵本をきっかけに、事件の全貌に思い至るシーンにはカタルシスがある。
 とはいえ、解明された密室トリックは非現実的であっけにとられるもの。
 本書の読みどころは、やはり「悪の創造」。最近の二作も、個性的な悪人像が強烈な印象を残したが、この作品で、リングローズが辿りついた、悪人像、怪物像も極めて異色なもの。このような性格が形成されうる、ということに納得できるかどうかは本書の評価の分かれ目になると思うが、ある種の思考実験のように、次々と新たな悪人像を開発していたフィルポッツの「悪の研究」の姿勢には、一種畏敬の念を抱かざるを得ない。
 
灯火管制 (論創海外ミステリ)

灯火管制 (論創海外ミステリ)

『灯火管制』(1943) は、英国女性ミステリ作家アントニー・ギルバートの長編。69作の長編を残した息の長い作家だが、邦訳は3作と恵まれない。近年では、同じ版元の『つきまとう死』(1956)があるのみだ。本書は、ギルバートのシリーズ・キャラクター、アーサー・クルック刑事弁護士の魅力も十分出た好編。
 舞台は、1940年、二次大戦のさなか、ヒトラー率いるドイツ軍が空爆を続けるロンドン。クルック氏の住むフラット周辺も爆撃を受け、住人はみな田舎に退避、建物にはクルック氏を含め数人しかいない。そんなある日、下の階の変わり者の老人と出会い、彼の叔母がどうやら失踪したようだと知って、クルックは失踪人探しに乗り出していく……。
 失踪人探しが一体どこへ向かうのか、解かれるべき謎が何かというシッポもみせずに作者は話を運んでいくが、とにかくそのユーモラスで読者を惹きつける語り口が好ましい。次々に登場してくる人物たち、例えば、地下の引きこもりの老婆、独自の時間理論をもつネジのゆるんだような老人、金持ちにのしあがった老婦人、戦火を逃れてノルウェーから来た娘……いずれも個性的で立体感ある人物であり、それぞれの小さな物語を抱えている。作者は、彼らの小さな物語をパッチワークのように縫いあわせ、悪意のたくらみを浮かび上がらせていくタッチには独自のものがある。
 その触媒の役割を果たすのが、弁護士クルック。彼は「犯罪者の希望」「判事の絶望」と称され、「依頼人はみな無罪」をモットーとする。口も悪く、いわば、悪徳弁護士すれすれの人物だが、弱者には優しい面を持ち合わせており、本書でも、あるときは高飛車に、あるときは聴き手に寄り添い、硬軟自在に事件に切り込んでいく。
 クルックが行きついた事件の構図は意外性のあるものだが、堂々たる推理が展開され、なにげないところにも伏線が仕込まれているところも大いに評価したい。
 今年は、エリザベス・フェラーズ『灯火が消える前に』も出て、奇しくも、灯火管制下のロンドンを舞台にした作品が立て続けに訳されたが、本書は、『灯火が消える前に』のトーンとは打って変わってユーモラスで、ヒトラーは何度となくギャグのネタにされている。このタフネスにも感服。
  ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』
「日本では実現不可能と思われていた禁断の企画」(本書解説より)ジャック・ヴァンス・トレジャリー〉第一弾。
 ヴァンスといえば、『竜を駆る種族』〈魔王子〉シリーズなどで一部に熱狂的なファンをもつSF界の大立者だが、ミステリ『檻の中の人間』MWA賞処女長編賞を受賞しており、最近紹介された『チェスプレイヤーの密室』のように、エラリー・クイーン名義のぺイパーバックの代作者でもあった。短編集『奇跡なす者たち』収録のSFミステリ「月の蛾」は、奇妙な文化が支配する異星での殺人事件をチェスタトンばりの奇想で解決する謎解き編でもあった。1940〜50年代に書かれたマグナス・リドルフ物全10編を収録した本書もミステリファンも十分堪能できる作品集となっている。
 本書の主人公マグナス・リドルフは、白いヤギ髭の老人。宇宙をまたにかけるヒーローにはほど遠い哲学者的風貌、言動の爺さんだが、なかなか食えない男である。探偵と称されたり、トラブルシューターを名乗ったりしているが、その本質は、抜け目ない投資家・商売人に近く、儲けるチャンスは逃さない。トラブルを解決しても、心無い依頼人などに対してはさらなるトラブルを突きつける。トラブルシューターでもあり、価値紊乱者でもあるという二面性がリドルフという存在の面白いところであり、その抜け抜けとしたやり口には笑いを誘われる。
 
 リドルフの活躍譚には、ホラー、秘境探検、コンゲームなど色々な要素があるが、本格ミステリ的には、様々なタイプの異星人らが容疑者となるとどめの一撃クー・ド・グラースが一等か。地球の(通常)の論理の通じない世界での意外な動機を扱い、アシモフ『SF九つの犯罪』にも収録された佳編。「禁断のマッキンチ」は、市長室の金庫から横領している悪党を探し出す話。十二種以上の知性体が跋扈する惑星での事件で、市の幹部連が、奇天烈な異星人なのはヴィジュアル的にも強烈。「呪われた鉱脈」は、採鉱地で続発する殺人の謎。「数学を少々」はカジノ経営者の宇宙を舞台にしたアリバイトリックを暴く。
 そのほかにも、賭博の対象となっている部族間の合戦をやめさせるという難題に挑む「ココドの戦士」、リドルフの倍返しが痛快な「馨しき保養地スパ、オイル・サーディンの缶詰に生じた変事から突拍子もない結論に行きつく「ユダのサーディン」(リドルフが缶詰工場の工員として潜入する!) なども、異世界と奇想のブレンドが楽しめる。
 色彩感豊かなエキゾティズム、多種多様な知生体が行きかう混沌とした世界をひょうひょうと行くリドルフの物語は、妙に現生的で人間臭い世界でもある。ヴァンス独特の宇宙に遊べる好短篇集。
 
 以下も参照ください。
訳者自身による新刊紹介 ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』(執筆者・酒井昭伸)
  ホック『怪盗ニック全仕事3』
 価値のないものばかり盗むニック・ヴェルヴェットを主人公にした『怪盗ニック全仕事』シリーズも順調に刊行が続き、第三弾の登場。全14編中、初訳4編、邦訳ニック短編集に未収録6編を含んでいるので、早川版で親しんでいる方も見逃せない。why (なぜ盗むのか)、how (どのように盗むのか)だけではマンネリ化が避けられないとみてか、毎回、様々な謎解きのヴァリエーションを試みている。舞台も、ニックが東京にやってきたり(「駐日アメリカ大使の電話機を盗め」)、競馬界や選挙戦に題材をとったりとあの手この手を繰り出している。命の危機が迫ったり、恋人グロリアが誘拐されたり、謝礼をとりはぐれたりで、ニックが冷や汗をかくシーンも多くなったように思う。特筆すべきなのは、ある短編で、ニックは政府関係の仕事に就いていると思い込んでいるグロリアに、本来稼業がバレてしまうことで、そこでグロリアがどういう反応を見せるかは、読んでのお楽しみ。
 謎解きの手並みが鮮やかな「家族のポートレイト写真を盗め」、盗難理由が可笑しい「感謝祭の七面鳥を盗め」、捕り物でのニックの機知が冴え結末も意外な「使用済みのティーバッグを盗め」あたりがお気に入り。
 

  • 『怪盗ニック全仕事1』レビュー

http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20141217/1418771509

  • 『怪盗ニック全仕事2』レビュー

http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20150923/1442971117
    


ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

炎に消えた名画(アート) (扶桑社ミステリー)

炎に消えた名画(アート) (扶桑社ミステリー)

マイアミ・ポリス あぶない部長刑事 (扶桑社ミステリー)

マイアミ・ポリス あぶない部長刑事 (扶桑社ミステリー)

だれがダイアナ殺したの? (論創海外ミステリ)

だれがダイアナ殺したの? (論創海外ミステリ)

極悪人の肖像 (論創海外ミステリ)

極悪人の肖像 (論創海外ミステリ)

闇からの声 (創元推理文庫)

闇からの声 (創元推理文庫)

つきまとう死 (論創海外ミステリ)

つきまとう死 (論創海外ミステリ)

灯火が消える前に (論創海外ミステリ)

灯火が消える前に (論創海外ミステリ)

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

檻の中の人間 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

檻の中の人間 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

SF九つの犯罪 (新潮文庫 ア 6-1)

SF九つの犯罪 (新潮文庫 ア 6-1)

怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)

怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)

 

保安局長はタンゴ熱の夢を見るか〜カミ『ルーフォック・オルメスの冒険』他(執筆者:ストラングル・成田)

 

 (ある一軒家の窓辺に死体が転がっている)
保安局長 無惨です、オルメスさん。被害者のストラングル氏は、絞殺された上に、顔も裂かれ、眼をえぐりとられ、腰骨も折られています。
オルメス 殺害予告があったと聞きましたが。
保安局長 予告の手紙が来たので、助手にはドーナツの穴で家の周囲に落とし穴をつくっておくように頼んでおいたのですが。
助手 申し訳ありません。普通のドーナツの代わりに、餡ドーナツを使ってしまいまして。
 (オルメスらは家の周囲の足跡を確認して) 
オルメス なるほど。だが、私には犯人がわかりました。怪人スぺクトラの仕業だ!
保安局長 さすがオルメスさん。でもどうしてわかるんですか。
オルメス 家の周囲にある足跡、これはアルゼンチン・タンゴのステップです。「死刑台のタンゴ」事件でスペクトラが使用していたワクチンが切れて、タンゴ熱が発症したのに違いない。
 (保安局長は思い出したように♪チャッチャッチャッと少し踊る) 
オルメス しかし、大雨の後なのに、家の周囲3メートル以内には足跡がない。窓が開いていたとはいえ、これは不可能犯罪だ! 何か手がかりは。
保安局長 被害者は、昨夜読んでいた本の感想を残しています。
 (オルメス、文章をのぞき込む)

 

ルーフォック・オルメスの冒険 (創元推理文庫)

ルーフォック・オルメスの冒険 (創元推理文庫)

 『ルーフォック・オルメスの冒険』(1926)
 こどものころに、児童書でオルメス譚に出会って以来、その全容が詳らかになるのをいかに待望していたか。此の度の上梓はまさに近年の欣快事なり。収録の34編、いずれも天馬空を行く、いやギロチンも空を往く奇想に満ちている。「聖ニャンコラン通りの悲劇」などの訳文も超絶。これぞ笑いのシャンゼリゼ、一大マルシェなり。「シカゴの怪事件」「血まみれのトランク事件」「巨大なインク壺の事件」などにはポエジイすら感ずる。そのナンセンスの詩学の考察は別に。
 

オルメス はっはっは。ヒントはすべてこの文章にあります。考察は別。すなわち「絞殺は別」だ。
 (助手、出ていこうとする)
保安局長 どうした。
助手 いま、「高卒は別」と。
オルメス 絞殺と死体の損傷と切り離して考えるのです。文章から被害者が私の活躍を読んで驚愕し、抱腹したのが分かるでしょう。顔が裂けていたのは、アゴが外れたから。眼球がないのは目玉が飛び出したから。腰の骨が折れていたのは腹を抱えたからです。
保安局長 でも、スペクトラはどうやって家に近づかないで被害者の首を絞めることができたでしょう。
オルメス 被害者は本の刊行を首を長くして待っていたからです。窓から出た首を絞められてショックで縮んだのです。
保安局長 カミも笑覧!      

━ 幕 ━  

  
 お目汚し失礼しました。
参考 訳者自身による新刊紹介もご覧ください。
 

闇と静謐 (論創海外ミステリ)

闇と静謐 (論創海外ミステリ)

 オーストラリアの作家マックス・アフォード『闇と静謐』(1937)。『百年祭の殺人』『魔法人形』に続く第三作が扱うのは、ラジオドラマ生放送中の謎の死。昨年紹介されたヴァル・ギールグッド&ホルト・マーヴェル『放送中の死』(1934)とまったく同じシチュエーションだ。ラジオドラマの一人者でもあったアフォードはおそらく『放送中の死』を読み、ミステリ作家としての血が騒いだのではないか。
 BBCの新社屋のお披露目に招かれたラジオ狂のリード首席警部は嫌がるジェフリー・ブラックバーンを引き連れていく。二人がミステリドラマ「暗闇にご用心」の生放送の現場をスタジオの隣の部屋からガラス越しに観覧中、新進女優が突然の死を遂げる。スタジオには鍵がかけられている状況で、いったんは死因は病死と判断されるが、ブラックバーンは他殺を疑う……。
 これまでの作品と同様、クイーンやカーといったマエストロ志向が随所にうかがえる。クイーン警視とエラリーのようなリードとジェフリーの関係、ジェフリーの引用癖、過去の実際の犯罪事件への言及、登場人物の少なからずがミステリに一家言もっている、など黄金期の稚気まんまん、雰囲気むんむん。逆にいうと、装飾が多すぎて、垢抜けないとの評価にもなりうる。
 女優の死に絡むトリックは途中で明かされる(横溝正史の小説に同工のものがある)が、解説の大山誠一郎氏が詳細に分析しているように、これを事件の構図を鮮やかに反転させる仕掛けとして使っているところは、この作品の大きな手柄。クイーンの某作への挑戦の意味合いもある。作者が熟知した生放送のラジオドラマの現場の雰囲気も楽しめる。
 ただ、プロット上の欠点もある。被害者を取り巻く事情がなんだか絵空事にすぎて事件に至るプロセスを十分に納得させてくれない。意外な犯人を用意はしているものの、この手でいくなら解決に至る道筋は性急にすぎる。手がかりを含め、もうひと演出を施してほしかった(直前の解決の方がむしろ魅力的だ)。ともあれ、既成の作品に挑戦し、新味を盛り込むことに努めた意欲作で、クラシック本格好きは、この作品を肴に本格談義を楽しめるだろう。
 
嵐の館 (論創海外ミステリ)

嵐の館 (論創海外ミステリ)

『嵐の館』(1949)は、論創ミステリでは『死を呼ぶスカーフ』に続くミニオン・G.エバハートの作品。
 サトウキビを煮る甘酸っぱい匂いでむせかえるカリブ海の島、大農場を経営するビードンとの結婚式を数日後に控えたノーニは、心の中で島の青年ジムを愛していることを知る。そんな渦中にあるヒロインの周辺で、殺人事件が発生して……。
 ノーニは、まだ若く、ビードンとは年はかなり離れている。とはいえ、ビードンは資産家でハンサムで聡明。一方、若いジムは生活能力もなさそうだ。いっときの激情に身をまかせないでよく考えた方がいい、と頼まれてもいないのにヒロインに説教をしそうになったが、「真実の愛」を知ってしまった以上、もはや流れはとめられない。
 殺人事件の顛末より、ヒロインがどうやって婚約者ビードンに切り出すのかに興味津々で読み進むと、殺人容疑はジムに降りかかり、やがて島に嵐が襲う。
 エバハートは、よくラインハートの流れを汲む「もし知ってさえいたら派(H・I・B・K)」といわれるが、本書には、ラインハート流の表現も、もったいぶった展開もない。
 また「家が聞き耳を立てている」というヒロインの不安から始まる典型的ロマンティック・サスペンスの体裁だが、そこは、『スーザン・デアの事件簿』で謎解きにも秀でたセンスを示しているエバハートのこと。真相の伏線は随所に巧みに仕込んでいる。
 典型的ヒロインを擁して、相次ぐ殺人事件、島を襲う嵐の猛威を描き、結末に向けてサスペンスは高まっていく。島の警察署長は無気力な酔いどれ、捜査陣は船でやってくる、といった具合で小さな島という舞台設定が生きている。スモールサークルの男女のエゴも剥き出しにされていくのも、ヒロインを追いつめる。そして、意外な犯人が指摘され、ヒロインは新たな運命の入り口にゴールインする。手がかりがオープンすぎるきらいがあるが、過不足のない仕上がりで、リーダビリティも高い。
 
虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

 若島正横山茂雄という第一人者の責任編集により、ジャンルや年代を問わずに、知られざる傑作、埋もれた異色作を紹介していく〈ドーキー・アーカイヴ〉全10巻の刊行が始まった。
 切り込み隊長は、L.P.デイヴィス『虚構の男』(1965)。 
 訳者の矢口誠氏が「訳者自身による新刊紹介」で本書の妙味を余すことなく伝えるバクハツした文章に、誘われてフラフラになってしまった人も多いはず。筆者も文中の『宇宙刑事ギャバン』が気になって、その名が俳優ジャン・ギャバンから来ているというムダ知識まで得てしまった。「ストーリー紹介厳禁」ともあるし、蛇足を少しだけ。
 
 主人公の平穏で満ちたりた田舎町の生活に亀裂が入っていくくだりが、まずいい。日常生活のなかの、ちょっとした違和感がじわじわと拡大していく描写が丁寧だ。主人公の運命が変転するきっかけになるヒロインとの出逢いも、期待をふくらませる。
 本のカバー袖には、「どんでん返しに次ぐどんでん返し」とあるが、物語上の大きな転回点はそう多くはない。物語の骨組だけとれば、60年代のある種のTVドラマやP.K.ディックの小説を思い出させ、今となってはさほど目新しいものではないはないともいえる。
 むしろ、主人公不在というか、主人公が物語のキーマンとして機能しなくなり、まるで撮影カメラが誰を映していいのかわからなくなってしまった映画のようになってから、物語の文法がぶち壊されていく進行にオリジナリティが発揮されているように思う。品川から乗ったらマチュピチュについたような着地には、呆然としてしまう。
 デイヴィスはイギリスの作家。ミステリ・SF・ホラー等のジャンル横断の元祖のような存在らしい。『忌まわしき絆』(1964)は、教師が子どもの秘密を探る話がホラー寄りに越境していく小説だが、じわじわと世界を押し広げつつ一貫して探索小説のスタイルを貫いているのが印象的だった。
『虚構の男』の背景には、60年代のスパイ小説ブームや洗脳恐怖があるはずで、テイストは懐かしくも、後半のいびつな展開で記憶に残る作品になった。
 
人形つくり (ドーキー・アーカイヴ)

人形つくり (ドーキー・アーカイヴ)

 本欄で扱うのが適当かどうかは判らないが、唖然、呆然の作品が多かった今回の中で、もっとも茫然とさせられたのは、同じく〈ドーキー・アーカイヴ〉のサーバン『人形つくり』。1950年代に三冊の作品を発表し沈黙したサーバンは、長らく正体不明の作家で、実はイギリスの外交官だったという事実が判明したのは70年代後半だったという(唯一の邦訳書『角笛の音の響くとき』永井淳氏による訳者あとがきでは、同書の序文を書いたキングズリイ・エイミスペンネームではないかという推測さえされている)。
 端正、精緻、そしてあくまでもジェントルに組み上げた二編の中編は、読む者の内奥に食い込んでくるような戦慄と美がある。
「リングストーンズは、奇妙な体験を伝える手記を中核とした一種の枠物語。体育教師養成学校の女子学生が三ヶ月の約束で人里離れた谷間の地で家庭教師をつとめる。教え子は美しく均整のとれた異国の少年と二人の少女。陽光あふれる小天地で、彼らと遊びに興じ、満ち足りたときを過ごすうちに、少年のふるまいや異教めいた雰囲気に違和感を覚え……。
 本の扉に、「支配」と「被支配」、「マゾヒズム的快感とあるから、主人公が魅入られ、からめとられる運命はおぼろに予期できるのだが、手記の結末近くで出現する異様な光景には心底驚かされた。『角笛の音の響くとき』からの連想もあるが、ナチスが若さと健全な肉体を大いに称揚、賛美したことすら思い出される。我が国の竜宮譚やケルト神話「常若の国」のめいた幻想譚が不意に、極めて20世紀的な悪夢に接続される衝撃に息をのみ、立ち竦む。
「手記」部分だけでも傑作として残っただろうが、手記を読んだ男子学生の行動の物語が続く。事件編に続く解明編といった体裁だか、こちらも曲者。登り切った山を下るように、非合理を合理で割り切り、高まった恐怖を柔らかに慰撫してくれると思いきや、待ち受けている淵の深さは……このさきは実見していただくしかない。
 表題作「人形つくり」は、ぱっとしない女子寄宿舎校の優等生で、オックスフォード大学受験のために残留しているクレアがふとしたきっかけで青年ニールと知り合う。ニールは人形つくりが趣味で……。
 こちらも、この後の展開は予期できるような話だが、その繊細な手触りは類話とはまったく異なる。クレアが思いを寄せて満たされる恋愛の歓喜、そして束縛され、服従していくことに陶酔していく描写には胸をうたれる。「虜になる」というのは恐い言葉だ。クレアの陥った束縛されるほど自由になれるという一種のパラドックス。恐怖の源に庇護を求めるしかない悲しみ。それだけに、最後に残った尊厳のかけらを拾いあつめて、運命に抗おうとする18歳の少女の姿は、いたましくも美しい。
 いずれも、自然描写に魅了される。この精緻な散文が甘美で苦い小世界を幻想の高みに飛翔させている。みずみずしい訳文もまた。
   

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)


 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita
  

エッフェル塔の潜水夫 (ちくま文庫)

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百年祭の殺人 (論創海外ミステリ)

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魔法人形 世界探偵小説全集 4

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放送中の死 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

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死を呼ぶスカーフ (論創海外ミステリ)

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スーザン・デアの事件簿 (ヒラヤマ探偵文庫)

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忌まわしき絆 (論創海外ミステリ)

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四次元世界の秘密 (1971年) (少年少女世界SF文学全集〈6〉)

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